烏の仮面
奥山にたぎりて落つる滝つ瀬の
玉ちるばかり 物な思ひそ
菊地はイヤホンを付けて歩道橋を渡る。
耳を刺すほどの爆音が菊地の耳を刺激する。菊地は少しリズムに乗るように歩いていく。
「おはよう、瑠璃ちゃん。」
菊地は焦っていた。美桜からの宣戦布告が頭を巡って、瑠璃の答えを待つことに苦痛を覚えた。
「おはよぉ。」
菊地は瑠璃の声が一番好きだ。
昔から菊地は、音楽が好きで耳に入る音の心地よさには敏感だった。
瑠璃の声は菊地の耳にこの上なく心地よく聞こえたのだ。菊地は伸びやかで柔らかいその声の虜だった。
「ねぇ、今日の課題やった?」
「えっと菊地くん、ごめんねぇ。ちょっと美桜に用あって…。」
瑠璃が気まずそうに言うので菊地は話しかけたことを少し後悔した。
「おっけー…。」
(告白された相手と話すの、気まずかったかな…。)
その後の瑠璃の対応はだんだんと冷たくなっていった。菊地が話しかけても美桜の方へ逃げてしまうし、瑠璃から菊地に話しかけることも減った。しかし、ただ冷たいのではなく、冷たい態度の奥にほんのり温かい優しさがあることに菊地は気付いていた。
「おい、菊地。次移動だから行くぞー」
「うーっす。」
「お前、告ったんだって?」
友人の立花はニヤけながら菊地を小突く。
「うるせーなぁ。ほっとけよ。」
「まあ、お前ら良い感じだったからな」
立花は感慨深そうに腕を組む。
「いや、まだ保留にされてるけどな。」
菊地が笑いながらそう言って前を向くと、美桜とすれ違った。菊地は美桜の少し目尻の上がった目を見て、すぐに目を逸らす。菊地の脳内に美桜の宣戦布告がよぎった。
「菊地、また明日なー。」
「おう、立花。また明日。」
菊地は校門を出てすぐにポケットからイヤホンを取り出し、耳に入れる。
いつものプレイリストを再生すると、耳をつんざくような音が菊地の耳に入る。耳が痺れる感覚を味わいながら菊地は、近くの公園に立ち寄った。
瑠璃の行動、言動から伝わる戸惑いや怯えが菊地の脳内にこびりついて離れない。公園のブランコに座り、菊地は地面に伸びる自分の影を見た。
(瑠璃ちゃんは、俺のことを避けてるのかな…。もしかして、嫌われた…?)
丸くした菊地の背中を誰かが勢いよく叩いた。菊地は思わず立ち上がる。
「やっほ。」
菊地の前に現れたのは美桜だった。鞄を持って片手を上げる美桜を見て、菊地は目丸くした。
「美桜?めっちゃ痛かったんだけど」
そう言って笑う菊地に美桜は心配したような顔をして、ブランコに座る。つられて、菊地もブランコに座った。
「菊地ってさ、男子と女子で話し方変えるよね。」
美桜の言葉に、菊地はそれまで聞こえていた子供たちの声、17時を告げるチャイム、町の音全てが聞こえなくなった気がした。
「そう、かな。」
「男子と話すときはノリに合わせてるって感じで、女子と話すときは聖人って感じがする。」
そう言って美桜が微笑みかける。
「…でもそれって疲れない?」
風が吹いた。髪が目にかかって菊地はそれを指で払う。
「俺にも…」
菊地は美桜の優しい表情に全て話そうかと思ってしまう。
「俺にもよくわからない。」
頭で考えるより先に口が動いた。
「わからない?」
「中学のときはこんなんじゃなかったから…。」
美桜の瞳はただ真っ直ぐに菊地を見つめた。まるで、もっと聞かせてと言うように。
「俺、高校デビューで。中学のときは友達も少なくて、本当の俺は人と話すのも苦手でネガティブだから…。偽物の自分を作らないと人と話せないんだよ。」
中学時代、人と関わることを嫌い、諦めていた自分の姿が菊地の頭に浮かび上がる。
美桜は突然立ち上がり、菊地を見た。
「別に、全員に本当の自分を見せなくてもいいよ。自分を認めてくれる人に見せれば充分だって!」
「なんで、そんなこと言ってくれるんだよ…。」
菊地は俯いて影を見る。
「だって、」
美桜は菊地を指差して言い放った。
「菊地は大事なライバルだもん!」
カラスの声が聞こえて菊地は頭上を見る。見ると、カラスの群れが飛んでいた。群れの中に1羽、遅れて飛ぶカラスがいた。そのカラスの元にもう1羽が来て、並行して飛び始める。
「大事なライバルか…。」
美桜と別れ、一人家路を辿る中、菊地は呟いた。
イヤホンをしていない菊地の足取りは軽やかで、リズムを刻むようだった。
誰も見つけたことのないこの顔を、声を
受け入れたいものに貪欲な性格を




