【エピローグ】魁と雪乃
季節は秋。関東北部の山奥。
魁と雪乃は紅葉狩りデートに繰り出した。
「わー! すごーい!」
視界一面が、燃えるような紅。
獣人姿の雪乃は、断崖絶壁に突き出した細い岩の先端で声を上げた。
「ああ、そうだな」
魁は山肌に近い広めの岩場から、言葉を返した。
さすがに崖の先端まで行くのは正気の沙汰ではない。
今日の雪乃は、ジャングル探検隊のような服装である。
上はカーキ色でポケットが沢山ある丈夫な素材のベスト。
動きを妨げないよう袖無しだ。
下はベストと同色同素材の短パン。
白い被毛に覆われた太腿が眩しい。
麗しの極太尻尾達も元気に揺れている。
雪乃の足先はユキヒョウのような"ぽってりあんよ"であるからして、靴など無用の長物だ。と言うより、そもそも人間とは脚の構造が違うので、靴を履いたら逆に動きが阻害されてしまうのだ。
色といい服装といい登山には向かない装備だが、動きやすくて破れない素材なら何でもいいのだ。
なお、魁はいつもの黒いツナギなので、細かい説明は省略する。
――充分景色を堪能したのか、雪乃が崖の先から、ぴょいぴょいと軽快に跳ね戻ってきた。
「絶景スポットって、いいね!」
雪乃は、やや興奮している様子。
どうやら、この場所を気に入ったようで、極太尻尾達が柔らかに揺れる。
景色はもちろんだが、人目を気にしなくてよいのも、この場所の加点要素なのだろう。
魁は雪乃に頷きを返す。
「じゃあ、そろそろ昼にするか。景色を見ながらな」
魁の居る岩場は広く、見晴らしも良い。休むには絶好の場所であった。
「わーい! ごはーん!」
豪華とは言えないが、いつもとは違う場所で食べる昼食である。
それは、彩り豊かなものになったようだ。
◆◆◆
今回の紅葉狩りは、雪乃が言い出したものである。
魁は色々な理由から紅葉狩りに消極的なのだが、里から帰ってきた雪乃が、
「里で、"人間が来ない絶景スポット"教えて貰ったよ!」
と、嬉々として穴場情報を語る姿を見ては、行くしかあるまい。
魁にとっては、喜ぶ雪乃を見に来たようなものである。
そんなワケで、雪乃の道案内で"人間が来ない絶景スポット"へ向かったのだが――
「あの岩山を越えた向こう側に――」
「ここは道が無いから、岩肌の足場を――」
「川の中にある石を飛んで向こう岸に――」
一億以上の人間がひしめく現代日本に於いて、"人間が来ない場所"とはどんな場所か?
それは"おいそれと人間が行けない場所"である。
「この谷を向こうに飛び越えたらもう少し!」
幅約十mの谷川を前に、雪乃が向こう岸を指して元気に笑う。
そこで魁は、ようやく苦笑交じりに一言。
「雪乃…… 俺がこの谷を飛び越えるのは、さすがに無理だぞ?」
「え……? あっ……!」
雪乃にとって魁は、強くて優しくて何でもできる大好きな旦那様である。
そのため、魁の身体能力が"まだ常人の域"であることを失念していたのだった。
「ごめんね……? 魁は基本、人間並みだってこと忘れちゃってた……」
雪乃、しょんぼり。
「轟さん級になれば、獣人にも引けは取らないと思うがな。
まあ、今までは何とかなってたから、言わなかったんだ。気にするな」
そんなトラブルに見舞われつつ、この絶景ポイントに到着したのであった。
◆◆◆
――昼食後、魁と共に岩へ腰掛け、渓谷を眺める雪乃。
何気なく、呟きを漏らした。
「そういえば、魁と会ったのも秋だったよね」
目前に広がる、紅葉に染まる山。青く高い空。
遠い昔を思い出すように、遠くを見遣る雪乃。
だがそれは、たった二年前の出来事なのだ。
それから、色々なことがあった。
これまでの思い出を、思いつくまま口にする雪乃。
「――クリスマスに、急に魁と話せるようになって、びっくりしたよね」
「――お正月なんか私はまだ猫だったけど、皆揃って楽しかったなあ。
お義父さま、お義母さま、蒐さん、鎮也さんに美佳さん。あと、鎮信君に恵魅ちゃん」
「――それから私が獣人になって。
試験の準備で轟さんに会いに行って。
そうそう! 轟さん、お餅食べるの早過ぎだよね!」
「――試験でも色んな人に会ったよね。
高尾君、葛葉ちゃん、皇君、寺馬嶺君に、真除ちゃん」
「――海水浴は、結局友達のみんなも島に呼ぶことになっちゃって!
轟さんが泳いで島まで来た時はびっくりしたよね!
友達のみんなは、轟さん見た瞬間に整列し始めてさ~
私もびっくりしちゃった!
合宿で叩き込まれた条件反射って言ってたけど、轟さんが声掛けるまで直立不動だったね!」
「――あとさ、蒐さんと轟さんの組み手、凄かったね……
島の管理人さんが"あなた方は島の形を変えるつもりですか!"って!
あのまま続けてたら、どうなってたんだろうね……」
とりとめもなく思い出を語る雪乃。
魁は、微笑みながら頷きだけを返し続ける。
「楽しいこと、いっぱいあったね! 私、みんながすき! だ~いすき!!」
雪乃は不意に、両手を広げて空へ掲げる。
それは、手には届かぬ高く遠い秋の空を抱き寄せるような仕草であった。
「でもさ。時々思っちゃうんだよね。
大好きなみんなも、私を置いてっちゃうんだなって。
魁と一緒に居られるのも、あと五十年くらいしか無いんだなって。
その後私は、いつまで、ひとりぼっちなんだろうなって……」
振り向いた雪乃の蒼には、涙が溢れていた。
「雪乃…… それは、まだずっと先の事だろう?」
魁は、雪乃をそっと抱き寄せた。
「そうなんだけどさ…… そうなんだけど……」
魁の胸に顔を埋めて呟く雪乃。
「何にでも終わりはあるさ。惜しむより、どう楽しむかだろう?」
そう言って雪乃の頭をぽんぽんと撫でてから、肩を掴み、体を離した。
「魁…… うん…… うん!そうだね! 残りを数えても、増えるワケじゃないしね!」
魁と雪乃は再び互いに身を寄せ、静かに微笑み合った。
◆◆◆
――時は流れ、とある初冬の昼下がり。
赤神神社の本殿で、御神体を背に並んで座る、魁と獣人姿の雪乃。
神社の儀式に用いられるような、上下共に黒く光沢のある式服姿である。
二人以外、本殿内に人影は無い。
一切口を開かず落ち着いた様子で、誰かが来るのを待っている。
すると、静かに本殿正面の扉が開かれ、本殿内に二人の老人が現れた。
一人は老爺。
魁達と同じような形で白の式服を身に着け、白髪で短髪。
老人としてはかなり大柄で、腰は曲がっていない。
それなりに歳を重ねていることは窺えるが、弱々しさは感じない。
ゆっくりと、だが確かな足取りで歩みを進める。
いま一人は老婆。
こちらも老爺と同じく白の式服姿で、白い長髪が美しく輝いている。
雪乃よりも背が高く、年老いた女性としてはかなり長身であり、背筋もすっきりと伸びている。
外見上は、頭髪の白い初老の女性といった様相である。
その歩みは舞踊の如く滑らかであり、音も無く魁達の前へと進み出てきた。
二人の老人は、魁と雪乃の前まで進むと、並んで座った。
両者恭しく両手を突いて一礼してから、老爺が口上を述べる。
「社守様方に於かれましては、ご健勝のご様子で何よりでございます」
――赤神神社の敷地内は、以前とは大きく様変わりして
老人二人は、両手を着いて再び一礼。
魁と雪乃は、それに応えるよう頷きを返した。
――かなりの広さがあった駐車場は、新たに宿泊所が建てられ、半分以下に
「今年も一年、我々を支えていただき――」
老爺の形式的言上。
――魁と雪乃が結婚式の夜に登った物見櫓は、櫓上の小屋が撤去されて
「来年も、変わらずお引き立ていただきたく――」
老婆の形式的言上が続く。
――かつて皆で度々集まった奥座敷は、杉の大木群が日の光を遮り、昼でも薄暗く
「赤神一族は神職の要なれば――」
雪乃が、これまた形式的な言葉を二人に与えた。
――魁の自室である"離れ"があった場所には、増築された母屋が
「我等は社守。赤神の意を受け、何時如何なる時でも、この力を揮わん」
魁から締めの言葉を賜ると、二人の老人は両手を着いて深々と礼。
そして、顔を上げた老婆が、
「それでは、母屋の方へおいでくださいませ。ささやかながら、おもてなしなど!」
と、先程までとは打って変わって、生き生きとした表情で告げた。
◆◆◆
――それは、もう随分昔のことになる。
魁と雪乃は、とある猫又獣人の女性と出会った。
その女性は、昔、自分達と同じく人間の男性と愛し合ったのだと語った。
そして、その男性が亡くなってから、既に百年以上経過していた。
人間同士であれば、残された方も数十年で寿命を迎えるが――
妖怪には寿命などない。
彼女に出会った当初はまだ、自我の欠片が残っていた。
だが、彼女は長い年月を経て、心は擦り切れてしまっていた。
出会ってから程なくして、彼女の心は闇に飲まれた。
どうにかして助けられないかと奔走した。
しかし、彼女の壊れた心が戻ることは無かったのである。
魁は、彼女達の結末と自分達の未来が、重なって見えた。
雪乃に同じ末路を辿らせるワケにはいかない。
魁は、そこで閃いた。
――そうだ! 妖怪になろう!
猫が妖怪になれるなら、人間だって妖怪になれるはずである。
雪乃のためなら、人間としての生にに未練などない。
それから魁は妖怪になるための方法を調べ始め、苦労の末、強い【妖】を倒した後に残される【力の結晶】を大量に取り込むという方法を見つけ出した。
調査を終え、親族一同にその決意を語ると、あっさりその場で了承された。
魁の動きは一族のみならず各所に筒抜けだったらしく、拍子抜けしたものだ。
それからの魁は積極的に【力の結晶】を集め始め、かなりの年月を経て、遂に妖怪化を果たした。
――だが、魁が妖怪になったとして、その後の生活をどうするのか、という問題があった。
そのまま生き続けていては戸籍上おかしなことになる。
適当なところで死んだことにしても、野良妖怪だと、後ろ盾がないため、存在が危うくなる可能性も否定できない。
そして、魁は猫又獣人ではないため、猫又の里に身を置くわけにもいかない。
そこで、"くろすけ"と共に試験を受けた真除の一族を守る【守猫】のように、赤神神社の守り神のような契約を行うことにした。
それが【社守】であり、赤神家が契約している【妖】ということで、追われるような心配は解決したのである。
◆◆◆
――母屋の奥座敷に、明かりが灯った
「あぁ~ん 叔父さまぁ~ん お久しぶりですの~!」
箱膳を手に奥座敷へやってきた老婆。
魁の横に箱膳を置いたかと思うと、魁の膝へ、しなだれかかった。
この老婆は、かつての天才少女、恵美である。
「百歳の婆様が あぁ~ん もないじゃろ…… それに、去年も会ったじゃろうが……」
こちらも箱膳を携えた老爺が、老婆に向けて苦言を呈す。
老爺は雪乃の前に箱膳を置くと、雪乃の隣に座り、にこにこにこにこと雪乃を眺め始める。
そしてこの老爺は、先々代の赤神家当主、鎮信である。
――あれから長い年月が流れ、鎮信と恵魅は、今年でもう百歳。
――二人は既に現役を引退し、【特殊調査員】協会の最高顧問である。
「一日千秋の想いと申しますでしょ? それに、お兄様も大概ですの。
儀式の間も雪乃ちゃんばかり、じろじろ、じろじろと…… 嫌らしいジジイですこと」
老婆は、魁の膝に手を置いたまま老爺を睨む。
その他の面々――
赤神家の人々や魁の友人達は、既に旅立っていった――
そこで、魁が笑いながら口を開いた。
「ははは 恵魅も鎮信も、相変わらず元気そうだな。そうやって喧嘩するところなんか、子供の頃を思い出すよ」
「あら、これはお恥ずかしいところを……
叔父さまが、お若い頃のままなので、メグミもなんだか若返ったような気になってしまいますの。 ぽっ 」
老女となった恵魅の頬が、赤く染まる。
「婆様が顔を赤くしても、気色悪いだけじゃろ……」
年老いた鎮信は、赤神家当主を経ることで、相応の貫禄を身に着けていた。
相変わらず、雪乃の傍から離れようとはしなかったが――
「懐かしいね、みんなが居た頃……」
昔を懐かしんで微笑む雪乃の表情に、悲しみの色は無い。
魁と雪乃は 末永く 幸せに暮らしましたとさ
―― 幸せの定義は 人それぞれ ――
「 ミャ~ ミャ~ 」
おや?
何やら赤子の鳴き声も聞こえるような?
こんな結末も、いいんじゃないですか?
【 完 】
本作品を最後までお読みいただき
ありがとうございました。
長編想定から方向転換して短編連続に舵を切ったため
やや強引にエピローグへ繋げて完結、となってしまいました。
私の技術不足で歪な作品になってしまったこと
申し訳ございませんでした。
続編などの予定はございませんので
本作品はこれにて完全終了となります。
それでは、これにて。




