出家――2
このように托鉢をし、また野宿しながら幾日も歩いて、シッダールタはヴァッジ(跋耆)の都、ヴァイシャリー(毘舎離・広巌城)へ入った。
それまで通りすぎて来た村々で彼は数多くの祈りを聞いた。神霊の宿るといわれる大木やその土地を護るという神々の祠へ人は供物を捧げ、富を健康を長命を子宝を願い、また夫や恋人の愛を求めて、時には呪いを行っていた。
さらに戦のあとをも見た。
ヴァッジとマガダ、また別の場所ではコーサラとマガダの軍勢が闘ったあと……戦より数年を経てもなお荒地となっているその場所は、折れて大地に突き刺さった槍や剣が天を仰ぎ、馬や象の白い骨が散乱していた。
しかし、ここヴァイシャリーでは人の世の憂いなど関わりないかのように市場には物が溢れ、荷駄が忙しく行き交い、富裕な人々が華やかな衣装で往き過ぎる。
恒河の北にあるヴァッジの国は、八つの部族から成っていた。ミティラーを都とするヴィデーハ族、そしてこのヴァイシャリーを都とするリッチャヴィ族、ヴァッジ族。ヴァイシャリー郊外のクンダ村に居住するジニャートリカ族、そして地方に住むボホガ族、カウラーヴァ族、アイクスヴァーラ族。彼らはかつて王を戴いていたが、今ではこの北に住むマッラ族と同様、一族が会議によって諸事を定めるクシャトリヤだった。
またこのときヴァッジやマッラと同様に、王ひとりの強い権限でなく公会堂における会議によって政を行っていたのは、カピラヴァストウのシャーキャ族、アッラカッパのブリ族、ラーマガーマのコーリヤ族、スムスマーラ丘のバッガ族、また、ケーサプッタのカーラーマ族、ピッパリ林のモーリヤ族である。しかし、このヴァッジの人々は交易をさかんに行い、因習にとらわれず、好奇心が旺盛で、ためにヴァイシャリーには他のどこよりも自由な気風が満ちていた。
彼等は商才に長けていただけではない。この地には娼女[ガニカー]が多く、ことに近頃、アンバパーリー(菴婆波利)という少女が評判となっていた。そのため遠くから王侯貴族また豪商たちが集まってき、ヴァイシャリーをさらに富ませていた。
だがシッダールタは、この虚飾と歓楽に満ちた都市を通りぬけて郊外へゆき、苦行で名高いバッガバ(跋伽婆)仙人を訪ねていった。
白髪混じりの蓬髪で骨が浮いて見えるほど痩せたバッガバは、樹の皮や木の葉を衣とし、木の根、このみ果、草の葉を食し、一日に一食、あるいは二日三日に一食を摂り、水と火に仕えて、露地に臥していた。
仙人は、苦行の効を人々に説く。
「これによって、未来は天界に生まれるのだ」と。
けれども、シッダールタが、
「天界の福が尽きれば、再び苦界に沈まねばならぬ。あなたがたは苦の因を修めて、苦の報いを求めるのですか」
と、問い詰めると、満足な答えが出なかった。
(商人は宝を求めて海に入り、王者は国を求めて師を起すが、この仙人達は天界を求めて苦行を修めている)
彼には、そう感じられた。
かくてバッガバ仙人との問答は日暮れまでに及び、そこで一夜を明かした。しかし、シッダールタはこれらの行が真の道ではないと思い、翌日、仙人のもとを辞して南へ向かい、恒河を渡った。
そこはマガダ(摩竭陀)国。広い耕地は物成りがよく、緑豊かで人の多く集まる土地であった。
この地を治めるビンビサーラ[頻婆娑]王は、バラモンの教えのみにとらわれず、様々な考えの沙門たちを受け入れ、広く人材を求めていた。そのため、マガダは武力が強大であるだけでなく、文芸も盛んな国となっていた。
都のラージャグリハ(王舎城)は、パンダヴァ(白善山)、グリッドラクータ(霊鷲山)、ヴェビハーラ(負重山)、イシギリ(仙人崛山)、ヴェプーラ(広普山)という五つの山に囲まれた要害の地にある。連山の頂きにまで石造りの堅固な城壁を廻らせ、北側の渓谷に流れる小さな川のそばに都門が立つ。それはカピラヴァストウ、ヴァイシャリーよりもはるかに巨大で、その門を閉ざせば容易に難攻不落の砦となった。
しかし今、大門は開かれており、他国からの荷を運ぶ隊商、またマガダから運び出す者たちが絶え間なく出入りし、都の大路には膚の色も顔形もさまざまな人が溢れかえっている。
都門近くの街の広場では舞姫、または軽業芸人たちの興行があり、市場の喧騒、人の群れ、荷駄の往来、すべてが目まぐるしい。
けれども一歩路地裏へ入れば、光り輝く都の影の部分があった。
飢えと病で路上に倒れ伏したまま動かぬ者たち、虚ろな目をし、座り込む老人と子ども、塵溜の中へ産み捨てられ、虫にたかられて声もなく死を待つ赤子……。
シッダールタはこの街で托鉢をし、土地の人々に、出家者はどこに住んでいるのかと尋ねた。
そして、
「パンダヴァ(白善山)の東」
と知ったので、彼は再び都門へと歩きはじめた。
このとき、王宮の高閣にビンビサーラ王の姿があった。
「かの人を見よ」
王が街を見下ろしながら、侍臣に指し示す。
「美しく、大きく、清らかである。行いもそなわり、沙門の作法通り眼を下に向けて気をつけている。この人は、賤しい家の出ではあるまい」
そこでビンビサーラ王は、家臣に命じてシッダールタの後をつけさせた。
しばらくして戻ってきた彼らは、王へ自分たちが目にしたことを報らせた。
「大王、あの修行者は白善山の前方の山窟の中に、虎か牡牛のように、また獅子のように坐しています」
この言葉を聞き終わるや、ビンビサーラ王は壮麗な車に乗って、急ぎ白善山へ赴いた。
(あの修行者は、群集の中で光り輝くようであった。きっと、ただ人ではあるまい)
と思い、素性が知りたかった。
車で行けるところまでそれを駆り、道が細く険しくなると降りて歩いた。
やがて洞窟へ至ったのちには、家臣たちを外に置いてひとり入り、王はシッダールタの前に坐って挨拶を交わした。
そして、問う。
「卿は出家とはいえ歳も若く、容姿も端麗で、生まれ貴いクシャトリヤのようだ。卿のうまれ出身はどこであるか」
そういう眼前のビンビサーラ王も若く、シッダールタより五歳は年下かと見受けられる。黒々とした美髯をたくわえ、引き締まった体躯をし、穏やかで秀でた容貌の内にも鋭さを秘めていた。それに加え、ただひとりというのに、自然にそなわった威厳が場を制している。まさに王の中の王であった。
「大王よ……」
けれども気を呑まれもせず、シッダールタが静かに答える。
「雪山の傍にひとつの正直な氏族がおります。富と勇気をそなえ、姓に関しては〈太陽の裔〉といい、種族に関してはシャーキャ族と申します」
「なるほど……」
王は何かを想うようにいいよどみ、続けた。
「されば、もし志あるならば、象軍を整えて私は卿に財を与えよう。それでも足りぬというのなら、国の半ばを割いても惜しいとは思わぬ」
かつてマガダ国は、ヴァッジ族やコーサラ国と争ったことがある。王はシッダールタがその両国の北に位置するシャーキャ族の王子と知って、暗に援助を申し出、還俗して共に戦おうと云ったのだった。
しかし、シッダールタの決意は揺るがなかった。
「私はすでに出家をいたしました。欲望をかなえるためではありませぬ。欲は苦のもとであると知って、あらゆる欲を棄てて安らかな涅槃を願うております。私の求めるものは唯それだけなのです」
「これは、残念……」
ビンビサーラ王はすぐに自らの考えを諦めたが、何故かシッダールタに親しみと不思議な安らぎを覚え、断られても不快ではなかった。
またシッダールタも、この初対面の王に対し、旧知の友のような懐かしさを感じていた。
王は云う。
「もし證を得られたならば、第一に私を済度していただきたい」
その願いをシッダールタは受け入れ、心に留めた。
そして王が去ったのち、都の北、彌樓山へ向かった。彼はその山中に棲むアーラーラ・カーラーマ(阿羅羅迦羅摩)という修行者を訪ねていったのだった。
多くの弟子たちを率いたアーラーラ・カーラーマは、細面の優しげな顔立ちをした老人であった。道を問うシッダールタを快く受け入れてくれた。
「意のままに私と一緒にいられるがよい。この法は誰でもすぐに体得できる法であるから」
やがてその言葉通り、シッダールタはその法を理解した。
(他のいい加減な修行者と違ってカーラーマがこの法を自ら得ていると云うのは、ただそう信じているだけでなく、確かに知っているのだ)
そこで、シッダールタはカーラーマに尋ねた。
「カーラーマよ、あなたはどのようにさとっておられるのですか」
すると、
「空無辺処[無所有処]のことである。空無辺処というのは、あらゆる物質の観念を超え、存在するものはすべて空である、ただ空のみが無辺にあると知る、禅定の境地である」
と、彼は云った。
(アーラーラ・カーラーマに信があるばかりでない、私にも信がある。精進と正念と禅定と智慧とが彼にもあるように、私にもそれがある。彼が体得したというその法を、私も体得するように努めよう)
シッダールタは思い、間もなくその法を自らのものとした。そして、カーラーマの所へ行って訊いた。
「カーラーマよ、あなたが体得したと云われた法はこれだけでありますか」
「それだけである」
「私もその法を体得しました」
「友よ、あなたのような同学者を得たことは幸いである」
と、カーラーマは喜び、
「私のさとった法をあなたもさとり、あなたの体得した法を私も体得している。私とあなたとは同じところに達している。それでは一緒に、この弟子たちを率いようではないか」
そう申し出た。
しかし、シッダールタは、
(これは迷を離れる法ではない、欲を離れた正しい覚りの法ではない。ただ空無辺という処〔ものにとらわれない境地〕に至るだけのことである)
と考え、固辞して、カーラーマの子ウッダカ(優陀迦)のところへ行き、そこで修行を続けた。
ウッダカの法は『ものを考えるにあらず、ものを考えていないにあらず』という、いわゆる非想非非想処という一種の禅定の境地に達するものだった。
それもすぐさま体得したシッダールタは、
(非想非非想処の境地にが我がないとすれば非想非非想処の名すらあるはずがなく、もしまた、我があるとすれば、そこには必ず知覚があろうし、知覚があれば攀縁があって執着が起こる。それでは解脱は出来ぬ)
と思い、これもまた迷を離れる法でないことを知って、ウッダカのもとを離れ、南西へと向かった。
(精神を定めるだけではならぬ。この身、この体を鍛えあげて真理をつかみとらねば……)
シッダールタは決意を新たにし、ネーランジャラー河[尼連禅河]のほとり、ウルヴェーラ[優留毘羅]村へ入った。
白砂の岸べに清々しい流れ、緑豊かな森に囲まれたその地には多くの修行者が集まり、肉体の力を弱めて精神の力を高めるため、さまざまな苦行を行っていた。
彼もその中のひとりとなる。
シッダールタには、出家して間もないころより父のシュッドーダナ王が遣わした五人のシャーキャ族の男たちがつき従っていた。後を追ってきていた彼らも出家し、いつしか共に苦行を始めるものとなった。