表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
11/11

成道――3

 そして七日を過ぎた後、彼は禅定を離れて菩提樹の下から尼拘盧陀樹(ニグローダじゅもとへゆき、またも七日の間続いて坐り、解脱のたのしみを味わった。

 このとき、何事にも(あざけ)り笑う癖のあることで知られたバラモンが、シッダールタに近づいて来て云った。

「修行者ゴータマよ、バラモンとはいかなるもので、その為すべき法はなんであろうか」

 バラモンは返答によってはその言葉じりをとらえ、目の前の沙門しゃもんをあざ笑おうとして待ち構えている。

 シッダールタはその問いの意味をさとり、(うた)をもって応じた。

「悪しきを離れ、嘲りの笑いを為さず、煩悩けがれを遠ざけ、おのれを抑え、智のきわみ得て、清き行いをなしぐるもの、その人こそ波羅門バラモンなれ。

その人は、世のすべてのものに、むさぼりと、いかりなく、また愚かをば、増すこともなし」




 その後、また七日を過ごしてから樹の下を去り、目眞隣陀樹ムチャリンダじゅもとへ至って七日続けて坐った。

 ところがこの樹の下に坐った日より、雨降り続き、冷風が吹き、日中といえども闇があたりを覆った。

 けれどもシッダールタの身は龍王の護りがあったものか、濡れることもない。そして、雨が上がったのちにはその場を立ち、彼は次に羅闍耶多那樹ラージャヤタナじゅの下へ坐った。

 そのとき、ウツカラ村から来たタプサ(帝波須)とバルリカ(跋利迦)という二人の商人がそこを通りかかった。

 樹の下に坐る修行者の気高く清浄な様子に、彼らは石鉢へむぎこみつを捧げて云った。

「尊い沙門さま、帰依いたします。今より命終わるまで信者よろこびてとして私たちをお護り下さい」

 これが『目覚めたる人』[仏ブッダ]と真理の法[法ダルマ]の二宝に帰依した最初の者たちだった。

 そしてシッダールタは七日を過ぎてこの樹の下を去り、再び尼拘盧陀樹ニグローダじゅもとへ坐って考えた。

(私のさとったこの法は、まことにさとがたい。しずかに勝れていて、常並つねなみの道理によっては達しがたい。奥深くしてただ賢者ひじりのみの知り得るものである。欲のたのしみにのみ耽っている世の人々に、この『何物もえんによって生まれ、えんによって滅びる』ということわりや、またすべての欲がきえ、煩悩けがれのなくなったこの涅槃の境地を、どうして知ることができよう。たとえこの法を説いたとしても、彼等はさとることはできぬであろうし、私はただ疲労つかれを増すに過ぎぬであろう)

 そう思い、彼は法を説こうとはしなかった。

 と、そこに軽やかに草を踏み、眼前へ現れた白衣びゃくえの人がある。

 一つの肩に衣をかけ右の膝を大地につけ、(たなごころ)を合わせて、シッダールタを拝した。

「何とぞ、法をお説き下さい。世にはけがれに染まぬ智慧のまなこをもつ者もあります。もし彼等にして法を聞かないのならば、亡びてしまいます。彼等は必ず真理をさとるでありましょう」

 ()は中天に在るというのに、その人には影がない。

 シッダールタは目をそらし、世の人々の有様に思いをはせた。

 心の曇りの少ないもの、心の曇りの多いもの、さときもの、鈍きもの、善きもの、悪しきもの、教え易きもの、教え難きものなど、さまざまである。例えるならば、青、黄、赤、白いろいろな蓮の池があって、ある蓮は水に生え水に茂っておもてに出ず、さらにある蓮は水に生え水に茂っておもてに止まり、他の蓮は水に生え水に茂りながらもおもてを出でて水に濡れていないように。

 三度みたび懇願を受けたのち、シッダールタは(うた)をもって応えた。

梵天ブラフマーよ、我はしるしなきを思いたれば、この法をひとびとに、説かんとはせざりしが、耳あるものの、聞いてしんべく不死の戸を、彼等に開かん」

 するとその人は喜びに顔を輝かせ、くるりと廻り、姿を消した。

 いま白衣びゃくえの人がいた場所は、きらきらと陽だまりが揺れているだけだ。頭上では涼やかな葉ずれの音がし、鳥たちも楽しげにさえずっている。そこを、一陣の風が吹き渡っていった。

 穏やかな静寂の中で、シッダールタは立ち上がる。そして生涯続く遊行ゆぎょうの旅へ、始まりの一歩を踏み出した。











『立志篇』 完





















読んでくださり、ありがとうございました。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ