成道――3
そして七日を過ぎた後、彼は禅定を離れて菩提樹の下から尼拘盧陀樹の下へゆき、またも七日の間続いて坐り、解脱の楽を味わった。
このとき、何事にも嘲り笑う癖のあることで知られたバラモンが、シッダールタに近づいて来て云った。
「修行者ゴータマよ、バラモンとはいかなるもので、その為すべき法はなんであろうか」
バラモンは返答によってはその言葉じりをとらえ、目の前の沙門をあざ笑おうとして待ち構えている。
シッダールタはその問いの意味をさとり、偈をもって応じた。
「悪しきを離れ、嘲りの笑いを為さず、煩悩を遠ざけ、己を抑え、智のきわみ得て、清き行いをなし遂ぐるもの、その人こそ波羅門なれ。
その人は、世のすべてのものに、むさぼりと、いかりなく、また愚かをば、増すこともなし」
その後、また七日を過ごしてから樹の下を去り、目眞隣陀樹の下へ至って七日続けて坐った。
ところがこの樹の下に坐った日より、雨降り続き、冷風が吹き、日中といえども闇があたりを覆った。
けれどもシッダールタの身は龍王の護りがあったものか、濡れることもない。そして、雨が上がったのちにはその場を立ち、彼は次に羅闍耶多那樹の下へ坐った。
そのとき、ウツカラ村から来たタプサ(帝波須)とバルリカ(跋利迦)という二人の商人がそこを通りかかった。
樹の下に坐る修行者の気高く清浄な様子に、彼らは石鉢へ麥と蜜を捧げて云った。
「尊い沙門さま、帰依いたします。今より命終わるまで信者として私たちをお護り下さい」
これが『目覚めたる人』[仏]と真理の法[法]の二宝に帰依した最初の者たちだった。
そしてシッダールタは七日を過ぎてこの樹の下を去り、再び尼拘盧陀樹の下へ坐って考えた。
(私の證ったこの法は、まことに證り難い。寂かに勝れていて、常並の道理によっては達しがたい。奥深くしてただ賢者のみの知り得るものである。欲の楽にのみ耽っている世の人々に、この『何物も縁によって生まれ、縁によって滅びる』という理や、またすべての欲がきえ、煩悩のなくなったこの涅槃の境地を、どうして知ることができよう。たとえこの法を説いたとしても、彼等は了ることはできぬであろうし、私はただ疲労を増すに過ぎぬであろう)
そう思い、彼は法を説こうとはしなかった。
と、そこに軽やかに草を踏み、眼前へ現れた白衣の人がある。
一つの肩に衣をかけ右の膝を大地につけ、掌を合わせて、シッダールタを拝した。
「何とぞ、法をお説き下さい。世には垢に染まぬ智慧の眼をもつ者もあります。もし彼等にして法を聞かないのならば、亡びてしまいます。彼等は必ず真理を證るでありましょう」
陽は中天に在るというのに、その人には影がない。
シッダールタは目をそらし、世の人々の有様に思いをはせた。
心の曇りの少ないもの、心の曇りの多いもの、利きもの、鈍きもの、善きもの、悪しきもの、教え易きもの、教え難きものなど、さまざまである。例えるならば、青、黄、赤、白いろいろな蓮の池があって、ある蓮は水に生え水に茂っておもてに出ず、さらにある蓮は水に生え水に茂っておもてに止まり、他の蓮は水に生え水に茂りながらもおもてを出でて水に濡れていないように。
三度懇願を受けたのち、シッダールタは偈をもって応えた。
「梵天よ、我は効なきを思いたれば、この法をひとびとに、説かんとはせざりしが、耳あるものの、聞いて信を得べく不死の戸を、彼等に開かん」
するとその人は喜びに顔を輝かせ、くるりと廻り、姿を消した。
いま白衣の人がいた場所は、きらきらと陽だまりが揺れているだけだ。頭上では涼やかな葉ずれの音がし、鳥たちも楽しげにさえずっている。そこを、一陣の風が吹き渡っていった。
穏やかな静寂の中で、シッダールタは立ち上がる。そして生涯続く遊行の旅へ、始まりの一歩を踏み出した。
『立志篇』 完
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