プロローグ
疲弊しきった表情で鉄格子の窓の外を見ると、いつの間にか暗くなり始めていることに幼い少女は気が付いた。
ここに幽閉されてからどれくらい経ったがわからないが、直感的にタイムリミットが迫っているのがわかった。
一瞬表情を強張らせ、ぎこちなく口元を笑みの形に歪める。
「さてさて。改めて現状の把握をいたしましょう」
顎に手を当て気取った様子で明るく振る舞うのは、それが彼女なりの精神的な最後の砦だからなのだろう。
「……妖精さんは、見えない。いや、元から見えないけど。見えたらマズイ気もするけど」
白くか細い首に巻かれた首輪を忌々しげに指で叩く。これのせいで、生まれたときから身近に感じていた『力』のようなものを感じ取れなくなっているのだ。
「あー! もう、なんでこんなことになってんのかなぁー!」
半ば自棄になって叫んでみるも、冷たい石の壁に空しく反響するだけ。衝動のまま近くの壁に左手でぐーぱんをお見舞いする。
やった後、こっそり泣いた。
「うう……普段ならどかーんなのに」
力を抑えられている中、物理、魔法両方に高い耐性をもつこの牢獄をぶち抜くことなんて当然出来ず、わかっていても期待通りの展開にならなかった少女はますます焦りを募らせた。
そもそも、まだ10歳かそこらの幼い少女がこんな牢獄にぶち込まれているのは、ある伝承のせいである。
曰く、『白髪紅目のエルフは災厄の象徴である』という、彼女にとってはあほらしい伝承だ。
訳もわからず、気が付けばファンタジーな世界に生を授かっていた彼女は、この伝承がなければまっとうな第三王女として育てられるはずだった。だが、その容姿と伝承通りの人外の力をもって生まれてしまった彼女は、公けには死産だったと報じられ家族と直属の信頼のおける臣下によって閉ざされた世界で生きることになった。
理不尽な死を迎え、何の整理もつかないまま新たな生を迎えていて、そして気が付けばまた理不尽な理由で死を強いられようとしている。
確かに、最初は現実を受け入れられず、伝承を裏づけするような事件を起こした。しかし、そのうちに目を反らしていた現実と向き合うようになり、何もかもが違う今世を、理不尽な終わりを迎えた前世以上に頑張って生きようとする意力が湧いて出てきた。
世界観の違いは、リアルファンタジーじゃー! とわくわくして受け入れていった。一般男子だった筈なのに、何の因果か美少女で、しかもエルフというとんでもない事態にも次第に慣れ、どうせだから女の幸せとやらを掴んでみようと意気込んだ。本来なら生まれてすぐ間引かれていたはずなのに、あまり自由ではないがそれでも生かしてくれている両親や、二人の姉の期待に応えようと懸命に生きてきた。
生きようと、した。
先週、晴れて10歳の誕生日を迎えたその日、家族だけで誕生パーティーを開こうと国王である父がこっそり告げに来た。
今まで、ささやかながら誕生日を祝って貰えたが、パーティーなんて初めてだったから、彼女はその時年相応にはしゃいだ。込み上げてくる嬉しさそのままに父に飛びつき、精悍なお顔にキスもした。これは家族へのサプライズも兼ねているから、みんなには内緒だという父の言葉を素直に聞いていた。小さな違和感から、目を背けていた。
そしてその日の夜、部屋に一人で迎えに来た父自らに手を引かれ、パーティー会場へ向かった。
浮足立っていた彼女は、その時父が浮かべていた表情に最後まで気が付かなかった。―――否、気が付かないふりをしていた。
パーティー会場には、誰もいなかった
うっすらと予感していたものが現実のものとなり、しかし不思議と彼女は落ち着いていた。夢心地だっだと言っていい。
とても窮屈な人生で、多少ながら恨みもしたはずなのに、彼女は抵抗しなかった。
『………すまない』
そう言って、頭に手を置いた父に、どんな表情を向けていたのだろうか、と少女はぼんやり思う。
恨んでも、仕方がないのだ。
「……そうよ、恨んでも仕方がない」
ぐっと小さな手を握り締め、すっと立ち上がる。
「そんなマイナスな感情は、そう、今を生きる力に変えていくべきなのよ!」
握りこぶしをそのまま胸の前に掲げ、愛らしい声で力強く宣言。しかし、言いきって恥ずかしくなってきたのか、血色の良い頬を更に赤くさせ、取り繕うようにこほこほと小さく咳込んだ。
「と、とにかく。もう、理不尽な死はごめんだわ」
殊勝にも自ら死を選択するような真似をしたが、あの時の自分はどうかしていたのだ。
新しい生を授かったとはいえ、また次があるとは限らない。このままではまた理不尽な死を迎える。
どうにかして脱出するしかない。しかし、恃みの人外パワーは特製であろう首輪によって抑え付けられている。
だが、やはり伝承は伊達ではないのか、人外パワーは完全には抑え付けられていない。
まだ、希望はあったのだ。
「……………………ふぅ」
ほんの少しだけ漏れている力を集めるべく、精神を落ち着かせようと一息つく。
そして集中しようと瞳を閉じたところで、ガチャンという音を聞いた。
「う?」
見てみると、鋼鉄の分厚い扉がずずずと開かれていくところだった。
何かしたわけでも、起きたわけでもない。決して開かれるはずのない扉が開かれるということ、それはつまり、タイムアップを示している。
そんな、まさか、そんな思考であっという間に脳は埋め尽くされ、ハッと気づいた時には扉は完全に開かれていた。
そしてその奥にいた、3人重装備の騎士を見て―――
「ちぇいやぁー!」
彼女は突撃していた。
ほぼ反射的な行動。可愛らしい気合いと共に騎士の一人めがけてのドロップキック。
油断でもしていたのか、それをモロに受けた騎士は鎧のひしゃげる音と共に壁に吹き飛び、激突したのち血を吐いて暗い廊下に沈んだ。
その血を見てサッと顔から血の気を引いた白髪紅目のエルフの少女は、予想外の出来事に硬直している他の騎士の間をすり抜け、全力で走った。
「ごめんなさいっ!!」
「―――追えッ!!」
反射的に謝罪の言葉を叫び、ほぼ同時に飛んだ怒号と共にこちらを追い始めた騎士の気配を感じ、少女は必至に足を動かした。
あっさり追いつかれたところで曲がり角を曲がり、少女を捕まえようとした騎士が激しく壁に激突する。
すごく痛そうな音だったので思わず振り返ったが、よろめきながらもすぐに立ち上がるその姿を見て、うげっと仮にも王女らしくもない声を出して足を速めた。
やがて見つけた外に繋がっているらしい場所をみつけ、懸命に駆ける。
そして、石で出来た柵らしきものを飛び越え、彼女はあんぐりと口を開けた。
「た、高っ、きゃああああああ!!」
一瞬の空白を置いて、甲高い悲鳴がすっかり日の落ちた夜空に響く。
涙をぽろぽろ流しながら落下していった少女だが、どういう訳か地面に勢いよく激突する間近で落下速度が落ち始め、やがて羽が落ちるかのようにゆっくり地面に舞い降りた。
「う、うう、うう、い、生きてるよぅ……」
若干内股になりながら少女は立ち上がり、サッと漏らしていないか確認して安堵のため息を吐き出し、近くの茂みに向かって駆け出す。
隠されたエルフの第三王女、メルヴィア・ティレット・ルシール・オルグレンの逃亡生活のはじまりだ。




