第1話 毎朝、君を見るために早起きしている
朝は苦手だ。
目覚ましが鳴っても、あと五分だけと思ってしまう。
高校二年になっても、それは変わらなかった。
それでも。
毎朝、六時二十分には家を出る。
理由は一つ。
学校の体育館に行くためだ。
俺はバドミントン部に所属している。
強豪でもない。
県大会を目指しているわけでもない。
ただ、好きで続けている。
そしてもう一つ。
体育館に行けば、彼女がいる。
「おはよう」
体育館の扉を開ける。
「おはよ、朝倉くん」
宮本結菜。
女子バドミントン部の二年生。
俺と同じクラス。
朝の体育館では、いつも一番に来ている。
「今日も早いね」
「朝倉くんもね」
「俺は部活だから」
「私も部活だけど?」
「……そうだった」
「ふふ」
彼女が笑う。
たったそれだけ。
それだけなのに、朝早く起きてよかったと思ってしまう。
俺は自分の荷物を置いて、コートの準備を始めた。
宮本は反対側のコートでラケットを振っている。
シャトルを打つ音が、体育館に響く。
パン。
パン。
一定のリズム。
俺はネットを張りながら、ちらっと彼女を見る。
目が合った。
慌てて視線を戻す。
……今、見てたのバレたかな。
「朝倉くん」
「なに?」
「さっきから何回こっち見てるん?」
「見てない」
「見てたよ」
「……ごめん」
「なんで謝るん」
また笑う。
こういうところが好きだ。
何でもない会話ができるところ。
変に気を遣わなくていいところ。
ただ、それ以上近づく勇気はなかった。
俺たちは、同じクラスで、同じ部活。
それだけだ。
そう思っていた。
その朝までは。
練習が始まって三十分ほど経った頃。
俺はシャトルを拾いに体育館の端へ向かった。
そこで、宮本が一人で座っているのが見えた。
ラケットを握ったまま、俯いている。
「宮本?」
顔を上げる。
「……朝倉くん」
いつもの笑顔がなかった。
目元が赤い。
「どうした?」
「なんでもない」
「でも――」
「ほんとに大丈夫」
そう言って笑う。
でも、笑えていなかった。
俺はそれ以上聞けなかった。
こういうとき、何を言えばいいのか分からない。
だから。
「……そっか」
それだけ言った。
俺はシャトルを拾って戻ろうとした。
「待って」
背中から声がする。
振り返る。
宮本はまだ座っていた。
「朝倉くんってさ」
「うん」
「優しいよね」
「そう?」
「うん」
少しだけ間があった。
「だから、お願いしてもいい?」
「何?」
宮本はラケットを膝の上に置いた。
「今日のこと、誰にも言わんで」
「言わない」
「理由も聞かん?」
「聞かないほうがいいなら」
彼女は黙った。
そして、小さく笑った。
「……ありがとう」
それから練習が終わった。
俺は着替えて、いつものように教室へ向かった。
その途中。
「朝倉くん」
後ろから呼ばれた。
振り返る。
宮本だった。
「何?」
「明日も、朝来る?」
「来るけど」
「じゃあ」
彼女は少し迷ってから言った。
「明日、私と打ってくれん?」
「女子と男子だけど?」
「朝なら誰もおらんし」
「いいけど」
「ほんと?」
「うん」
宮本が笑う。
今度は、ちゃんといつもの笑顔だった。
「じゃあ、約束ね」
その言葉を聞いた瞬間。
明日の朝が待ち遠しくなった。
――翌朝。
俺は六時に家を出た。
いつもより二十分早い。
体育館に着く。
まだ誰もいない。
と思った。
「おはよう」
振り返る。
宮本が立っていた。
「……早くない?」
「朝倉くんこそ」
「俺はいつもこれくらい」
「嘘」
「なんで分かるんだよ」
「昨日まで、私が来たあとに来てたもん」
見られていた。
「……今日は特別」
「何が?」
「約束したから」
宮本が一瞬、黙った。
それから。
「そっか」
小さく笑った。
「じゃあ、打とっか」
二人でコートに入る。
シャトルを打つ。
返ってくる。
また打つ。
朝の体育館には、俺たち二人しかいない。
その時間が、妙に心地よかった。
「ねえ、朝倉くん」
「ん?」
「私さ」
宮本がシャトルを拾う。
「好きな人がおるんよ」
ラケットを握る手が止まった。
「……そうなんだ」
「うん」
宮本は笑っていた。
俺は笑えなかった。
「誰?」
聞いてから後悔した。
でも。
宮本は少し考えてから、こう言った。
「まだ、秘密」
「そっか」
「いつか教える」
「……いつか?」
「うん」
そう言って、宮本はシャトルを投げた。
「ほら、続きしよ」
俺はラケットを構えた。
胸の奥が、少し痛かった。
それでも。
この朝練が終わってほしくないと思った。
好きな人の好きな人になれる保証なんて、どこにもない。
それでも俺は。
明日もまた、六時に起きる。
彼女の隣で、ラケットを握るために。




