中2⑤
健闘した方だよ。君はよくやっているよ。大丈夫だよ。よくできてるよ。そんな言葉がまた自分の心に穴をあけ、代わりに大きなモヤを置いてゆく。他人が見ている自分は自分じゃなくて、演じている何かなのかもしれない。とてもそんなことも言えず、縮こまってしまっている小さい自分こそ本当の自分なのではないか、と感じてしまう。
雨がしとしと降り始めた。
ふと上を見ると、薄く灰色に染まった、油絵具で描かれた一つの作品があった。それは自分にはまだ描けなく、届かなさそうなものだと実感するのに充分な、「遠さ」をしていた。
この雨が全てを洗い流してくれれば、どれだけ嬉しいことか。
家に帰るのさえキツい。
家へと続いているこの坂が途方もなく遠いものに感じる。
もし成績が下がったら?サッカーがうまくいかなかったら?親とか友達に強く当たってしまったら?結局のところ家でも、学校でも、変わらず心は一息すらつけずに窮屈を感じているのだ。最近になるともはや風呂場とトイレが1番の休憩所だ。
何の音もなく電柱だけがただ無機質に光っている横を抜けていく。
風の音と自分の足音のみが響く帰り道、ここは自分だけなんだなという少しの高揚感ともの悲しさがあった。
荷物を足元に置くと、一階で寝ている祖母を起こさないようにゆっくりと鍵を回し、そっと侵入するように家に入る。
ただいま…
逆に泥棒と疑われたりしないだろうか。
とはいえ、昔と違い風呂場で歌ったりしてももう今となっては周りを気にして気持ちよく歌えない。それでいったら学校では自分の歌が好きで、雰囲気作りもしてくれる人気者がいる。実際そうだろうなと整理して感じる。塾で隣の席の、学校では2個隣の同じく前から3列目だ。
名前は中村であったはず。
50mは6秒6だっただろうか、そして幅跳びでは関東大会。勉強では定期テスト5科450のほぼオール5。それでいて学代(学級代表委員、又の名をクラス委員)。
ずるすぎるのである。フィクションを疑うレベルだ。唯一救いなのは顔がイケメンではないことだ。
自分もあんなふうだったら、という平々凡々な僻みの感情が湧き上がってくる。
、、、ああ、もうやめだ。こんなこと考えていたって勉強ができるわけでも、サッカーがうまくなるわけでもなし、早く寝てしまおう。明日も自主練はしたいのだから。
そう思い、まずは風呂場へ行った。




