2-2 出発
――五年前。
とある病院の一室。
幸一郎は、窓の外を眺めるのが好きだった。
窓から見える空は澄み渡っていて、涼しげな風が大きな木を揺らしている。そんな、なんの変哲もない風景を、楽しむように老人がベッドから体を起こして眺めていた。
「今日は、良い天気だな。」
幸一郎は、先日から体調を崩して入院していた。
長年生きていれば、ガタもくる。まだ十分に動けると思っていた体だが、うまく言うことを聞かない。幸一郎は、歳というものを受け入れなければならなかった。
「昨日は風が強かったが、家は大丈夫だったか?」
幸一郎は、のんびりとした顔で、ベッドの脇の椅子に座る青年に尋ねた。頭の旋毛を見せながら下を向き、携帯端末でゲームに没頭している。
「うん。うちは平和なもんだったよ。」
勇希は、画面から目を離すことなく答えた。
「そうか、そうか。平和が一番。」
幸一郎は、くっくと、苦しそうに笑いながら勇希の頭を撫でる。
勇希は、ゲームの邪魔をされ、逃げるように頭を動かして小さな抵抗を示した。
「ねえ!おじいちゃん!聞いてよ!」
勇希とは反対方向のベッドの脇から、望が呼びかけた。幸一郎の布団を叩き、飛び跳ねている。幸一郎は、驚きの表情を見せた。
「なんじゃ!?もう答えただろ?まだあるのか?」
今日は、彼此もう三十分くらい、望の質問に答えていた。ひと段落したところで、そろそろ茶菓子でもと幸一郎は思っていたところだった。
「あるよ!あと五つくらい!」
望は、ノートとペンを握り締め必死に訴えた。
幸一郎は、苦笑いをしながら無理を承知で聞いてみた。
「多いな。続きは、パパやママじゃ駄目なのか?」
すると、勇希がゲームの手を止めた。
「面白くないんだってさ。宿題だし、どうせなら親以外に聞こうってことで、じいちゃんさ。」
「ほー。で、次の質問はなんだ?」
少し考えてから、望に向き直る。
宿題なら、致し方ない。可愛い孫に協力は、惜しまなかった。
望は、ケロッと笑顔に変わり、ベッドの上にノートを広げた。
「えっとね。今までで、一番後悔したことはなんですか?」
望は、ノートに書かれている質問を元気よく読み上げた。棒読みなのは、ご愛嬌だ。
「後悔か…。難しい質問だの。」
幸一郎は、顎に手を添えて眉を潜ませる。望が騒がしく飛び跳ねるせいで、気が散って何も思い浮かばない。
「なにかある!?なにかある!?」
「待て待て。そう焦らせんでくれ。」
望に手を仰いで制する。
幸一郎は、望が落ち着いたのを確認した後、再び考え始めた。
幸一郎は、二人の兄弟の顔を、無言でゆっくりと交互に見定める。
そして、何か閃いたように、幸一郎の眉が上がった。
「わしにも、おまえたちみたいに兄弟がおってな。双子で、とても仲が良かったよ。」
幸一郎は、望に向かってゆっくりと話し始めた。
「しかし、ある日、二人で山で遊んでいたら、神隠しにあってな。それはもう、大騒ぎだったらしい。大勢で山をさらって探すくらいにな。」
幸一郎が大袈裟な表情で言うと、兄弟は口を丸く開けて同じ顔をしていた。
「神隠し?へぇー。」
幸一郎は、半信半疑の二人の反応に嬉しそうにしながら続きを語る。
「わしらは、何日も向こうで冒険してな。とことん二人で遊び回った。そして、そろそろ飽きてきたなと思い、帰ろうかと話していたところで、弟とはぐれてしまった。」
「冒険って、どんなところだったの?」
幸一郎が口を休めた隙を見計らって、望が口を挟んだ。弟とはぐれたことより、そっちが気になるのは自然なことなのかもしれない。
幸一郎は、少し困った顔をして、布団の上のノートに手を添えた。
「その話は、また今度にしよう。長くなるからな。今は宿題じゃろ?」
「う、うん…。」
「それでだ。わしは、何日も弟を探したが、弟の情報もなければ、金も食糧も無かった。野宿ばかりで、体力的にも限界を感じた。そして、わしは、弟が先に戻っていることに期待して、来た道へと戻った。」
幸一郎の顔に影が差した。
「結局、その期待には裏切られてな。わしは、なんとか戻ってこれたが、弟が向こう側から戻ってくることはなかった。」
「それが、じいちゃんが後悔してること?」
「そういうことだな。――ああ。そうだ、そうだ。」
幸一郎は、自分の荷物を入れている棚をおもむろに漁り出した。視聴カードが必要なTVが載った、クリーム色をした引き出しの中から、物を引っ張り出す。
コップに歯ブラシ。隠してたお見舞いのお菓子の余り。薬の入った袋にタオル。そして、奥には古びた巾着袋。
勇希は、ゲームを布団に置き直して、幸一郎の行動を見守っている。望は、首を伸ばして引き出しの中を覗き込んでいた。
幸一郎は、赤い柄物の巾着袋を取り出して姿勢を戻す。よれた布団を綺麗に戻し、二人によく見えるように巾着袋を膝上に掲げた。
そして、細い指でその巾着袋の紐をするすると解き、手の平の上に中身を落とした。
白く透明な石が、袋の口から現れる。
シワだらけの手の平の中で転がる石は、とても不恰好でゴツゴツしている。見た目は、砕けた石の破片だ。
「これが向こうの世界で手に入れた石だ。」
布団の上に乗せた幸一郎の手の中を、子供たちは、身を乗り出して興味津々に覗き込む。
「一見、なんの変哲もない石だが。向こうでは眩しく輝いてな。こうして置いて置くと、向こう側と反応してか極稀に光るんだ。すごいじゃろ?」
幸一郎が自慢げに言った。
すると、勇希が疑わしそうな目を向ける。
「えー?ほんとにー?」
勇希は、椅子から立ち上がって、石に顔を近づけて怪しむ。
「子供だと思って騙してるんじゃないの?」
望は、腕を組み少し怒った顔をしていた。
そんな望に、幸一郎は言う。
「望。なんでも疑ってかかるのは、良くないことだぞ。光もしない石を、大事に取って置くわけなかろう?」
「ほんとに光るの?」
そうは言うが、望はまだ疑っているようだ。
「信じれば救われるって言うだろう?」
「じいちゃん、宗教の勧誘みたいになってるよ。」
勇希が的確にツッコミを入れた。
「くっくっ。わしは、弟を見つけてやれなんだが、この石のおかげで戻ってくることが出来たんだ。」
幸一郎は、望の手に石を握らせた。そして、そのまま望の手をギュッと握り締める。
「これをおまえたちにあげよう。わしが持ってても、もう意味は無いからの。」
笑顔で言う幸一郎の言葉は、何処となく少し悲しみを帯びていた。
それを感じ取ったのか、望は幸一郎を励まそうと言葉をかけた。
「なら、僕がおじいちゃんの弟を見つけてくるよ!」
「くっくっく。そんなことをしなくてもいい。もし、生きているなら、あいつにも向こうでの生活があるだろう。」
幸一郎は、苦しそうな息づかいで、望の言葉に喜んだ。
そして、遠い昔を思い出すかのように窓の外を見つめる。幸一郎は、何かを思い出して黄昏る。
「まあ、もし会うことがあったら、謝っといてくれるか。見つけてやれなくて、すまなかったとな。」
「うん!」
望は、元気良く返事をすると、宿題の事なんて忘れて、手の中の石をしばらく眺めていた――。




