5-1 芋虫
「いったい!なにが!どうなってるのよ!」
森の中で、春花が癇癪を起こしていた。
ボサボサになった長い髪に絡ませた落ち葉が、地面に舞い落ちる。朝早くから気合いを入れてセットした髪が、台無しだ。
こんなにも取り乱している春花は、滅多に見られない。長い付き合いでも数えるほどだ。
隣のクラスの上田に、スカートを捲られた時ぐらいか?寝ぼけてパジャマで登校しようとした時に、何故か八つ当たりされてキレられたこともあったな。
そんな事を勇希が思い出していたら、春花の顔を見て笑ってしまいそうになった。
危ない。笑ってしまったら無駄なヘイトを買うところだ。勇希は、平静を保った。
「まあまあ、落ち着いて。」
勇希は、じゃじゃ馬をなだめるようにして春花に手の平を向けた。
すると、春花が鬼の形相で、勇希の胸倉を掴んできた。春花は、掴んだTシャツを引っ張り、勇希の顔を自分の方へと近づける。
「なんでそんな冷静なのよ!細伊代先輩がどうなったのか心配じゃないの!?」
春花は、勇希の顔に唾が飛び散るぐらい近くで大声を出した。その顔は、今にも泣き出しそうなくらい必死な表情をしている。
訳も分からず巻き込まれただけの春花の心境は、勇希たちと少し違った。彼女は、自分の状況を理解するだけでも受け入れ難いはずなのに、それでも健の安否を心配している。
自分の事より他人の事を優先することは、口で言うだけなら簡単だ。だが、実際はそう簡単な事ではない。
これは、春花が普段から他人を気にかけている証拠だろう。
勇希は、至近距離の春花の顔から、困ったように顔を背く。
勇希には、健がどうなってしまったかある程度分かっている。運良く生き延びていたとしても、無事では済まないだろう。
だが、そのことは、絶対に口に出来なかった。
二人が悲しむのは確実だし、言ってしまったらそれが現実になってしまう気がしたからだ。
「そりゃ、心配だけど…。どうしようもないだろ?」
苦笑いを返すも、春花はターゲットを望に変更した。勇希とこれ以上話しても無意味だと悟ったのか、判断が早かった。伸びたTシャツから手を離して、春花は望の方へ体を向き直した。
望は、大きな木の側の茂みを掻き分けていた。虫か何かを見つけたらしい。
春花は、そんな望に狙いを定めた。
「のぞむくんも!野生の動物は危険なのよ?凶暴なだけじゃなく、病気だって移されるんだから。無闇に近づいちゃ駄目だからね!」
春花の言葉の弾丸が、望を撃ち抜いた。
望は、びくりと反応して手を引っ込める。そっと足を戻して、茂みの中へ行くのを諦めた。
そして、二人の方へ振り返り、春花の顔を見て残念そうに返事をする。
「…はーい。でもさ、はーちゃん。」
「でもも減った暮れもないの!」
春花は、言い返す隙を与えなかった。
それから春花は、スッキリした顔で長い髪をなびかせて、髪の汚れを掃った。そして、左腕の時計と一緒に付けているカラフルな髪留めのゴムを、一つだけ取り外して髪を束ねる。
だが、望はまだ諦めていなかった。
どうしても、春花に伝えたかったようだ。春花の機嫌を伺いながら口を開いた。
「ねー。ゆうくんのそれはいいの?」
望は、勇希に向かってそっと指差した。
何の事を言っているのか、春花には分からなかった。もちろん、本人の勇希にも分かっていない。
春花は、髪を縛りながら、望の小さな指の先を目で辿っていく。
「ゆうくんのそれって?っひぃ!」
春花は、驚いて腰を抜かす。
勇希の背負ったリュックの上に、大きな白いものが乗っていた。それは、大きくぶよぶよしている。
「うわああ!?」
背中に得体の知れないものが居て、首筋がぞくぞくとする。
勇希は、叫びながら急いでリュックを降ろした。
リュックと一緒に落とされたそれが、鳴き叫ぶ。
「キュッキュ!」
降ろした勇希のリュックの上には、白くて巨大な芋虫がいた。ギザギザとした口を持ち上げながら、高い声で鳴いている。丸々と太った体は、真っ白で弾力がありそうだ。
「なんだこいつ?いつからいたんだ…?」
勇希は、腕を組みながら見下ろす。
さすが異世界、芋虫のスケールもデカい。
「わたし虫はちょっと…。」
春花は、地面に尻をつけたまま後ずさる。
「ドラゴンに追いかけられている時には、もうゆうくんの背中にいたよ?それにしても大きいよね。なんの虫だろ?」
望は、そう言いながら芋虫の体を指で突っつきはじめた。
このサイズの芋虫が成虫になった姿なんて、勇希は想像したくなかった。
「そんな前からいたのか…。ほら、降りてもらえるか?」
勇希は、両手で優しく芋虫を掴み上げて脇へ除ける。
「キュッキュ!」
芋虫は、何か言いたげに鳴いている。
そんな芋虫を無視して、春花が話を切り出した。
「ねえ。虫のことは、ひとまず置いといて。これからどうするの?洞窟に戻る?」
「んー。ドラゴンがいるから危険じゃないか?それに、望。石は?」
望は、ポケットから石を取り出す。石は光を失い、白く濁った状態に戻っていた。
「駄目みたい。また光るかな?」
望は、石を残念そうに見つめる。
「と、いうことは、あの光のゲートも閉じてるだろうな。」
「ワープゲートね!」
望が食い気味に言った。そこは譲れないらしい。
「じゃあ、帰れないってこと!?」
春花は、驚きながらも、顎に手を当てて考えている。
「じいちゃんは、その石のおかげで帰れたって言ってたから、きっとどうにかなるって。」
「確証がないじゃない。それに、同じ世界だとも限らなくない?」
「確かに!その可能性を考えてなかった!やっぱ春花って頭いいよな。」
勇希は、春花に感心した。自分と違う視点を持っている人がいるだけで、心強かった。
だが、逆に春花は、呆れているようだった。
「それに、このまま帰ったら、ケンくんに怒られそうだしなぁ。一応探すくらいは、しないと…。」
「それも、そうよね…。ただ単に来て帰るだけってのも、味気ないって言うか…。気軽に来れる場所なら、また違うんだろうけど…。」
そう独り言をぶつぶつと言って、春花はまた考え始めた。次は、顔ではなく、右手を左肩へ当て、腕に顎を乗せた。
「それにしても、ゆうくん凄かったよ!びゅーんって!ゆうくんが一番飛んでたよ。」
望は、手を勇希に例えて飛ぶ様に真っ直ぐ伸ばした。
「そうね。無我夢中だったけど、ゆうくんが引っ張ってくれなきゃ、今頃崖の下で死んでたかも。」
「あー。必死だったからな。それに、盛大に転がったけど、怪我も擦り傷くらいだし。おかしくないか?」
勇希は、腕を広げて怪我がないか、体を隅々まで見回した。
まあ、キャンプに来てから、全てがおかしいのだけれども。
大きな黒い猛獣。光る石と異世界へのゲート。猛獣より大きいドラゴン。終いには、崖を飛び越える始末。
夢じゃないかと、疑いたくもなる。
これは、真相を確かめなければならない。勇希は、すぐさま行動に出ることにした。
「なにしてんのよ?」
勇希がストレッチを始めたのを見て、春花が聞いてきた。
「準備運動さ。」
勇希は、素直に答えた。
そして、ズボンをピンと張って、アキレス腱を伸ばし始めた。
「見れば分かるわよ。なんで準備運動を始めたのかって聞いてるの。」
また、ロクでもないことを始められたら困ると思ったようだ。春花は、芋虫と同じくらい勇希の行動にも警戒していた。
「どれくらい飛べるのか、試してみようと思ってさ。」
勇希は、両腕を上げて、横に体を伸ばしながら笑った。
「はい?」
「どう考えても、あの距離はオリンピック選手でも無理だろ?」
勇希は、準備運動を終えて上を向く。
勇希たちの上空には、沢山の木の枝と葉っぱが空を覆い隠している。
「よし、全力で目指すは、あの枝くらいかな。」




