No.39 『歌う罠士・上』
お待たせしました。
令和もよろしくお願いします。
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あの日 あの時の決意は今も
胸に刻み 歩んでいるよ
1つ1つ 壁を越えて
仲間と共に さぁ明日に進め
迫るスライム 過ぎ去るタイム
焦る剣士に 友は死に
嘆き悲しむ 魔法使いに
希望を託す 獣使い
♪ ♪ ♪ ♪ ♪
「――さぁ明日に進め」
先に終えたギター演奏。そこから最後に続く言葉を歌い切る声の主は言わずと知れた音楽界の貴公子リープ・トラッドその人である。
歌の余韻をたっぷりと楽しんだリープはその切れ長の目をゆっくりと開いた。
ここは王都にある吟遊詩人を多数抱えるクランのレコーディング室。
『音記録の砂時計』と呼ばれるダンジョン産アイテムに、文字通り音を記録させるために作られた特別な部屋の一室である。
数々の楽器や音楽機器が並んでいる様は、数ある吟遊詩人クランの中でもこのクランでしか見られない。それは吟遊詩人クランの中でも古くから続くこのクランが長年にわたり集めた実績の1つでもある。職人によって作られた素晴らしい楽器も多く保有しているが、なかでも目を引く特徴的な楽器はやはりダンジョン産のものだ。
未だにどう演奏するのか分からないダンジョン産の楽器も多い。【鑑定】により楽器であることは分かるが演奏方法が分からない楽器など一般的に見てもガラクタに等しい。しかし、未来のまだ見ぬ音楽家たちのためにダンジョン産の楽器を保有し保存していくこともまたこの吟遊詩人クランの1つの使命であるのだ。
最も演奏方法が分からない楽器を扱いこなすような稀代の音楽家などそうそう居ないのが現状であるのだが。
「フレディさん。お疲れ様です」
そんな稀代の音楽家がレコーディング室から出てくる。言わずもがなリープのことだ。
「いや、リープ君こそお疲れ様。今回もいい曲だったね。どうだい? 今からでも遅くない。うちのクランに入る気はないかい?」
コップに入った水をそう言って差し出すのは、吟遊詩人クランのクラン長フレディだ。
「いえ、僕はダンジョンにも潜りたいので。お水ありがとうございます」
リープはコップを受け取るもフレディの言葉は断った。
「そうかい。残念だ。でも私は勧誘を諦めないぞ。私達のクランはいつでも君を受け入れる準備は出来ている」
はっはっはっと、トレンドマークである口ひげを触りながらフレディは笑った。
フレディとてリープの固い決意はしっかりと分かっている。分かった上で勧誘しているのだ。もはや2人の間でしか通じないギャグのようなものである。最もフレディは本心からそう思っているが。
「それにしても僕の突然のわがままでしたが、よく3つも砂時計を集めることが出来ましたね?」
リープが言うように今回の楽曲提供は突然の申し出であった。
フレディの元にレコーディングがしたいと連絡が届いたのは今朝のことだ。そして現在の時刻はお昼を少し過ぎた頃。これは今まで数多くの吟遊詩人のレコーディングをしてきた中でも有り得ないほど短時間で終えた出来事であった。
通常のレコーディングは準備にとても時間がかかるものであるのだ。楽器の準備に、演奏者の準備、職人の準備などなど準備しすぎるくらい準備する。
それは音を記録するアイテム『音記録の砂時計』の特性によるものでもある。
『音記録の砂時計』
そのアイテムは一度記録した音を砂時計の砂が落ちるまで再生するというアイテムである。
魔力を少し込めながら砂時計を逆さまにする事によって音が再生されるのである。
そんな便利アイテムである『音記録の砂時計』であるが、音の記録が1回しかできないという特徴もとい欠点がある。それはつまり音を記録する際に間違いが許されないという事である。レコーディング途中に大きなくしゃみをしようものなら、その者は次の日からクランで見ることはないだろう。そのアイテムの特性から音の漏れない・外の音が聞こえないレコーディング室が作られたほど。間違いが許されないために準備に時間をかけるのだ。
本来ならばレコーディングをしたいと言っても昨日今日で出来る話ではないのだ。その証拠に自作の歌を『音記録の砂時計』に記録して欲しいという自称吟遊詩人が度々クランに訪れるが、それこそ記録するにあたりクラン側も厳正なる審査をその者に対して何回も行う。フレディの先代のクラン長時代には、そうやって来た吟遊詩人で本当に『音記録の砂時計』に記録できた者はついぞ居なかったらしい。しかし、それが出来てやってしまうのがリープの才能とその才能を誰よりも評価しているフレディの信頼関係である。
リープ自身もフレディが自分の事を買ってくれている事は長年の付き合いから知っているし感謝もしている。そのこともあってまず楽曲が出来たらフレディに相談しにいくのだ。
でも今回ばかりは、リープ自身も急すぎるという事は分かっていた。しかし、フレディの吟遊詩人クランなら『音記録の砂時計』の1つくらいストックはあると見ての楽曲提供だった。結果として、3つも揃えたフレディにリープは少なからず驚いたのだ。
その驚きに対しての疑問が、先の質問の内容である。
『音記録の砂時計』はその汎用性からとても需要が高い。国同士の取引の際に証言の記録に使用したり、吟遊詩人クランのように音楽のために使用したりと使い方は様々だ。
だがダンジョン産のアイテムに往々にして付きまとう供給量が低いという事情があるために、需要に対して追いついていないのが現状である。
音が記録済みの『音記録の砂時計』から複製する技術は存在しているため民間でも流通しているが、音の記録されていない『音記録の砂時計』を作る技術はまだない。そのため新しく見つかった『音記録の砂時計』が市場で出回った際の最低取引価格は100万Rはくだらない。言うまでもなくダンジョン探索者にとっても“当たり”のお宝の1つでもある。
勿論、吟遊詩人クランとしても100万Rという大金を何も考えずに支払う訳ではない。複製して元金を回収できる計画があってこそ『音記録の砂時計』を購入する訳ではあるのだが、自身の突然の思いつきに砂時計を3つも用意してみせたフレディがリープは気になったのだ。
「はっはっ。それは運が良かったとしか言いようがないな。1つはちょうど昨日競り落としたものさ。もう1つはクランのストックで、まぁ来週のレコーディング用だったのだけどね。それを私の権限でリープ君に先に回したのさ。最後の1つは私が個人的に所有していたものだね」
そんなリープの驚きもつゆ知らず、フレディは自慢の口ひげを触りながら笑ってそう答えた。そして続けて。
「まぁリープ君だからこそ、一気に3つもレコーディングするのにGOサインが出る訳なんだけどね。うちのクランは私を含め、君のファンが多いからな」
緊急会議で集まった皆もリープ君の新曲と聞いただけで、8割が賛成を示したよとフレディは言った。
「そうだったんですね。僕のためにありがとうございます。でも来週レコーディングする人には悪いことしちゃいましたね」
フレディの言葉を聞いてリープは若干はにかみながらお礼を言った。そして、今度は『音記録の砂時計』を1つ横取りした形になったことについて気になった。
「大丈夫さ。彼女についても問題ない。初のレコーディングで緊張もしていたみたいでね、レコーディングの日程がズレた事にもっと練習が出来ると前向きに捉えていたよ。それに彼女も君のファンらしくてね。新曲の複製品を優先的に購入できるように手配すると言ったらとても喜んでいたよ」
何も問題はないので気にするなとフレディは言った。
「そうですか。いやありがたいですね」
これにはリープも苦笑するしかなかった。
「では雑談もこのくらいにして、楽曲の契約についての話をしようか」
商売人の顔になったフレディがそう言ったので、リープも改めて姿勢を正した。
それからフレディとの契約を終え、家へと戻ったリープ。
食事でもしようか準備している最中に、玄関のドアを叩く音がした。
「トラッドさんいらっしゃいますか! 僕です。フレディのお使いのジョンです!」
ある種の有名人であるリープの家を知る者は吟遊詩人クランの中でも数少ない。
その声はフレディとの連絡役として時たま訪ねてくるジョンその人であった。
「どうしたんですか? ジョンさんそんなに慌てて」
リープは扉を開けてジョンを招きいれる。
「それが……リープさんの先ほどレコーディングされた『音記録の砂時計』が……3つとも奪われてしまったんです!」




