◆77.秘密の会議は二人きりで。
話がある、と言われた妃沙は、波乱含みの会議の後、知玲の部屋にやって来ていた。
途中、今日は東條家に泊ると連絡しろとやや脅迫めいた表情で言われ、渋々ながら母親に連絡し、了承を貰った所である。
時折こうして知玲の家に呼ばれてお泊りをする事はあったし、それこそ前世からの付き合いである彼と過ごすことには何の疑問もないのだけれど、何故だか招集がかかるのは、知玲が怒っていたり、何か妃沙に対する事後処理を引き受けて疲れきっていた時であったりと、あまりプラスの感情が働いた時ではなかったので今回も何かあったのかと心配になる妃沙。
「知玲様、何かあったのですか? 心配ごとがあるのなら教えておいて頂きたいのですけれど……」
そう問い掛ける妃沙に、詳しい事は後で話すね、と苦笑しながら返す知玲の隣で不思議そうな表情の妃沙。そうして彼らは東條家に到着した。
西洋風の水無瀬家と違い、純和風である東條家はとにかく敷地面積が広く、尚かつそれぞれのプライベートな空間は確保せねばならないという、妃沙も良く知っている知玲の父親の考えの元、各自の部屋は母屋にはなく、それぞれ離れを与えられるという環境であった。
そしてそれぞれの離れには風呂もトイレも設置されている為、一人になりたい時やあまり人に聞かれたくない話をする時などは大変に重宝する環境なのである。
だが今、知玲はその環境に甘えることなく、妃沙が入った途端に窓を閉め切り、あまつさえ防音の魔法まで掛けて完全密室の状態を造り出すと、予想に反して板張りの洋室である室内に置かれたテーブルに向かい、設置された椅子を引きながら「妃沙、座って」と誘導する。
妃沙としても彼が何か言いたげであるのは察していたので、素直に指示された椅子に座ると、満面の笑みの知玲がお茶を持って来るね、とその場を後にした。
ちなみにこの離れには冷蔵庫や簡易的なキッチンも完備されている。家具付きワンルームかウィークリーマンション以上の設備があるので、食事さえ用意しておけば何日かはここに引き籠れる環境なのだ。全く恵まれたことである。
そうして知玲がマグカップを二つ持って戻って来る。仄かなコーヒーの香りが鼻腔を擽り、妃沙は思わず笑顔を浮かべた。
妃沙がコーヒーを好んでいるのは、それこそ前世から熟知している知玲。
自身はそうでもないのだけれど、妃沙を喜ばせたい、という理由で豆の種類や挽き方、淹れ方などは相当研究したので、そのままコーヒーショップを開いても遜色ない知識と技術がある知玲である。
頂きます、と呟いて目の前に置かれた妃沙用のカップを手に取り、フーフーと冷ましてから口に含めば、その味は今日もまた完璧に妃沙の好みであった。
「ホント、美味しそうに飲んでくれて僕も嬉しい」
「当たり前ではないですか、本当に美味しいのですもの」
微笑み合う二人。
だが、次の瞬間には知玲の表情がキュッと引き締まり、話し出すきっかけを掴むようにして自らもコーヒーを口に含み、そして言った。
「……ねぇ、妃沙。あの河相 萌菜って子さ……もしかしたら彼女も『転生者』、なんじゃないかな」
知玲のその発言に、コーヒーを楽しんでいた妃沙は思わず、ブッと吹き出してしまう。
「と、突然に何を仰いますの、知玲様!? 転生なんて非日常が、そうそうあるワケ……」
「でも僕達は『絶対にない』とは言えないよね。実際に経験してしまっているんだから。
ねぇ妃沙、前世の世界で流行ってたじゃない。『乙女ゲームの世界に転生する主人公』のライトノベルがさ。妃沙から聞いた彼女の言動を踏まえると、そうとしか思えなくて……。
僕も前世では部活一筋だったから『マジシャンズ・ハーモニー』なるゲームが本当に存在していたかどうかは知らないけど、対象者だのルートだのって発言をそう捉えるとすごくしっくり来るんだよ」
難しい顔で語る知玲。
確かに前世ではそのような内容のライトノベルが流行っていた事は知っていたけれど、あいにくと龍之介は読んだ事はなかったし、細かい内容までは知らない。
他の小説を読む為に検索した際にチラリと見たあらすじには、不慮の事故で死んだ主人公が大好きだった乙女ゲームの世界に転生し、ゲームの中でしか接する事しかできなかった『攻略対象者』と恋に落ちるとか、
そこから派生した『悪役令嬢モノ』、曰く、ヒロインではなくその敵対者に転生してしまい、没落フラグを徹底的に回避しようと頑張るうちに恋が生まれたりとか、そんな内容だったように思う。
そして、確かにあの時、萌菜が発していた「ヒロイン」だの「ルート」だの「逆ハー」だの「シナリオ」だのという言葉は、それらしく思えるような気がする。
「……まぁ、確かにそう考えればあの意味不明な言葉にも説明が付きますわね。すると、彼女の言っていた『レーヴ5』……知玲様、生徒会長、玖波先輩、充様、そして理事長が『攻略対象者』ということでしょうか?」
「全く有り難くないことに、そうなんだろうねぇ。でも確かに、僕にはちょっと解らないけど、家柄や成績なんかはトップを誇る人物達だし、見た目も……まぁ、悪くはないんじゃない?」
「紛うことなき美形集団ですわよ」
「……そう? 妃沙にそう言って貰えるとちょっと嬉しいな」
そう言って、険しかった表情をふと緩め、優しく妃沙を見つめる知玲。
勢いに任せて本人に美形だなんて言ってしまった妃沙は、なんだかバツが悪くてぷい、とそっぽを向いてしまう。
「それが真実だとするならば、彼女の一番のお気に入りは『ヤンデレ担当の知玲様』だそうですわよ! まったく、ヤンデレなんて知玲様には似合わないものですのにね!」
妃沙のその言葉に、知玲がへぇ、と関心したような声を上げるので、思わず妃沙がそちらを向くと──何処か獰猛な光を瞳に宿した知玲が、壮絶な色気を伴って微笑んでいた。
「それは……結構当たっているかも。今こうして妃沙を閉じ込めてしまっている事にもなんだか充足感を感じているし……」
「止めて下さいましっ!」
冗談だよ、と笑った知玲の表情は、もういつもの知玲だったので、思わず肩に籠めていた力を抜く妃沙。
まったく、笑えない冗談は止めてくれ、と文句を言いながら再びコーヒーを口にする。
「だとすると、彼女は『逆ハー』なるルートに進むべく、充様との仲を阻害する縦ロール先輩に危機感を抱き、それを口に出してしまったが為に、その意図を汲み取った柔道部長が動いた、ということなのでしょうか?」
「うん。そう考えると説明が付くかな。訳が解らなかった言葉も、そう考えるとああ、なるほどね、と思えるものだし……けどさ、なんだかそれって……」
「……とても残念、ですわね」
うん、と俯きながら頷き、知玲もまたコーヒーを口に含む。
知玲のその仮説はかなり信憑性が高いけれど、妃沙にはまだ信じる事が出来なかったし、それに、彼女としては彼女が転生者だろうがそうでなかろうが自分の大切な人達に危害を加えようとしなければ好きにやって欲しい、というのが本音だ。
彼女の突拍子もない言動はとても面白いので、観察する分にはとても興味深いし、例えそれが『逆ハールートを築く』ことであったとしても、目的の為に邁進する女子なら応援してやっても良いとすら思える程だ。
その目的の為に妃沙の周囲に危害を及ぼすのならその腐った根性を根底から否定してご退場を願うだけだし、自分に敵意が向く分には全く問題がない。何故敵意を抱かれるのかがハッキリしているだけに面白いくらいだ。
だから、そんな彼女を残念だと思うのは、彼女の言動が『残念』だからなのではない。
「……せっかく転生したのに、前世に囚われているのはもったいないですわ。ここはあくまで『現実』の世界で、それを全うしてこその転生でしょうに……。
せっかくの出会いや経験も、ゲームの中の人物が、とかゲームの中のイベントで、とか、そんな風にしか捉えられないのは……少し可哀想ですわね」
眉を顰めてそんな事をポツリと呟く妃沙に、知玲の瞳がキョトン、と丸くなる。
一瞬だけ、そこなの? と尋ねそうになるけれど……さすがの妃沙クオリティだと、次の瞬間には盛大に吹き出した。
「アハハ! 妃沙のそういうとこ本当に好き。でも……本当にそうだよね。僕達はたまたま、そのゲームを知らなかったから『現実』だと受け止める事が出来たけど、この世界が現実だと受け取れないことは危険な事でもあるんじゃないかな。
ゲームだから大丈夫、とか、ゲームだから上手く行くに違いないとか認識してしまったら、努力する事も現実を大切にすることも相手を思いやることも出来なくなる瞬間があるかもしれないしね」
「本当にその通りですわ。ですから知玲様、彼女が本当に『転生者』なのか、その可能性を探りつつ、少しでも彼女が認識を改められるように、手助けをして行きませんか? そうすれば彼女の危険度も減るかもしれませんし。
それに……あの、長江様と仰る柔道部の部長が、彼女の能力にそんなに簡単に影響されてしまうとは思えなくて。確かに少し極端な行動は取ったかもしれませんけれど、そこには何処か純情も感じたのですわ」
妃沙のその言葉に、知玲は再び目を見開くことになる。
鈍チンの妃沙から『純情』だなんて言葉を聞く事が出来る日が来るなんて、と感動すら覚える程だ。
どうやら妃沙の中でも、少しずつ何かが変化していっているらしいと感じ、知玲は嬉しくなってフフ、と微笑んだ。
「純情、かぁ……。妃沙にも解るほどのものなら、彼は本気で河相さんが好きなのかもしれないね。
長江は高等部からの生徒だし僕もあまり関わったことはないんだけど、彼の柔道の試合は本当に見事だよ。競技こそ違うけど、彼は尊敬に値する立派な選手だ。
だから正直、僕もあの長江が魅了なんて訳の解らないものに屈したとはどうしても思えない。この件も一緒に調べてみようか」
そう言って、妃沙が頷くのを確認する知玲。
妃沙に言われて初めて気が付いたけれど、彼が何処となく感じていた違和感の正体はこれかと思い至り、少しだけ心配が減ったよう気になった。
「でも妃沙、彼女の正体がこの仮説通りだとしても……僕達のことは言わない方が良いだろうね、下手に懐かれても面倒臭そうだし。
それと、これは僕からのお願いなんだけど、彼女に警戒して動きを止めるんじゃなくて僕達自身の学生生活も楽しむことは忘れない。これだけは約束して欲しいんだ。僕たちにとっても学生時代は今しかないんだし……それにさ」
ふと、言葉を止めて頬杖をつき、悪戯っぽく妃沙を見つめる知玲。
「彼女の言う『逆ハー』は絶対に無理だからね。少なくとも僕は……妃沙以外に心を寄せることは絶対にないから」
キラキラと輝くような紫色の瞳に撃ち抜かれて、妃沙の頬がポッと染まる。
なんだか心臓もドキドキしているような気すらして……妃沙は慌てて残っていたコーヒーを一気に煽った。
「……ち、知玲様、前世に囚われないで下さいましね!? その為に婚約を解消したのですし、他の方にも目を向けて頂かなくては……」
そう言ってカップを置き、意味もなく「ちょっと手を洗って来ますわ」なんて言いながらその場を立とうとする妃沙の手を、知玲はキュッと握る。
少しずつ、自分の存在が妃沙の中で以前とは違った意味を持ち始めていたのを実感し、けれどゆっくりと、確実に侵食していこうとするその表情は、誰が見ても色っぽいものであった。
「……ねぇ、それってさ、前世での僕の気持ちも……君は知ってたってこと?」
その言葉に、今度は妃沙がギョッとしたように目を見開く。
彼女にとっては、今まで考えもしなかった……『夕季の気持ち』。
考えもしなかったと言うよりは触れる事を避けていた、それ。
だって自分の前世は、人に寄り添って生きることが出来ない立場だったのだ、だから、誰にも特別な感情なんて抱いてはいけない、抱かせてもいけないとずっと否定してきたもの。
それでも、何度言っても自分から離れずにいてくれた幼馴染が、前世のクソッタレ過ぎる世界に龍之介を繋ぎ止めてくれていた。だから、そのせいで夕季が被害を蒙ることがないように護ろうと誓っていた、それだけの筈だ。
……なのに何故、今になって問われ、すぐに返事を返すことが出来ないのかと、妃沙は自分を呪いたい気持ちになる。
「そんなの、ただの幼馴染で……」
「そう? 龍之介にとってはそうだったかもしれないけど、僕はさ……」
だが、そんな知玲の言葉は、テーブルの上に置いていた妃沙のスマホが鳴ったことで止められてしまう。
これ幸いとばかりにそれを手に取り画面を見ると、とても珍しい相手から電話がかかって来ていた。
『ごーーはーーんーーよーーーー!!!!』
電話を耳に当てていない知玲にすら聞こえる大音量でそう叫んでいるのは、知玲の妹である美陽だ。
あ、と、知玲は自分が携帯電話を鞄の中に入れっぱなしにしていた事を思い出す。どうやら知玲と連絡が取れないので妃沙の携帯に連絡をして来たらしい。
閉め切って、その上防音の魔法すら掛けてしまった室内なのだ、外からどんなに声を掛けても反応はなく、電話にも出ない知玲にジレているのはその大声からも良く解った。
「キャッ!? 美陽様、良く聞こえておりますから少し音量を……!」
『何なの、何なの何なの!!?? 帰って来るなり二人でお兄様の部屋に閉じ籠もって、ご飯の支度が出来たからって呼びに行っても何の反応もないし! 妃沙アンタ、何してんのよ!』
「いえ、あの特に何、ということは……お話を、ですね……」
『言い訳する所がますますアヤしいわよッ! 良いから早く出て来なさいよ、みんな待ってるんだからッ!!』
怒鳴るようにしてそう告げて切られた通話。
耳を押さえながら眉を顰めている妃沙に、何だか毒気も色気も抜かれてしまった知玲がプッと吹き出す。
「もうそんな時間なんだね。少しだけ緊張してたから気付かなかった。でもまぁ……話が出来て良かったよ。妃沙、あの子には注意は必要だけど、僕らは僕らで自分の生活を楽しむ、そういう事で良いよね?」
「当たり前ですわ。彼女の事も彩り程度に捉えてよろしいのではありませんか?」
そうだね、警戒ばかりして緊張していたら楽しくないもんね、と、微笑んで、知玲は妃沙の手を取った。
「……行こうか。どうやら美陽が食事を前にしてジレジレしてるみたいだし、このままだとまた大音量の電話がかかって来そうだよ」
「それは困りますわ! もう一度あの爆音を耳にしてしまったら、わたくしの鼓膜が破けてしまうに違いがありませんもの!」
ささ、参りましょう、と知玲の手を引っ張り、彼の部屋を出ようとする妃沙に知玲は耳元で「好きだよ」と囁いた。
「ちょっ!? 知玲様!? そういうお言葉は毎日下さらなくても良いのですよ!?」
「駄目だよ。毎日言わないと僕の中で溢れてしまうし……そうなったら困るのは妃沙の方だよ?」
しれっとそんな事を言いながら部屋を出て、今日のご飯は何かなーなんて呟くいつも通りの知玲の隣で、妃沙はまったくしょーがねぇな、と溜め息を吐いているのだけれど。
──全く困っていない自分が一番タチが悪ィな、と、再び溜め息を吐いていた。
◆今日の龍之介さん◆
龍「なぁ、知玲。乙女ゲームってそもそも何なんだ?」
知「僕も知らないけど、主人公になってイケメンが囁いてくれる言葉にドキドキできるゲームなんじゃない?」
龍「そんなん、ゲームでやって楽しいのか?」
知「だから僕も知らないってば。どうしたの? やけに食い付くね?」
龍「いや、ちょうど俺の周囲にはそういう言葉が得意そうな奴がいっぱいいるからよ。SHIZUにでも情報提供したらひと儲けも夢じゃ……」
知「それ僕も絶対含まれてるじゃん! 絶対やめて!!」
龍「(´・ω・`)」




