◆7.合点承知之助!
コン、コン
妃沙と愉快なご一行様がそんな喜劇を繰り広げていると、突然、外から車の窓を叩く音がする。
その場にいた全員が、ハッとして音のする方向を見ると、そこには紺色の制服に身を包んだ二人組の男性が不審そうに中を覗き込んでいた。
(──げっ、警察! まぁ、こんな路肩で車を止めて騒いでりゃ、そうなるよな……)
妃沙をここに連れて来た男女二人も窓の外の男達の正体には一瞬で気付いた様子で、顔を青ざめさせている。
「……どうする、ねーちゃん? フッ切るか?」
「……バカ。そんな事した益々怪しまれるだけじゃない」
小声でそんな事を話しているが、こういう場合、時間を掛けては悪い印象しか持たれないものだ。
(──ったく、しゃーねぇなぁ……)
事態を逸早く察知した妃沙が、スルリと叩かれていると思しき運転席の隣の席に移動すると、その窓を開けようとパワーウィンドウを下へとスイッチする。
「……ちょっ!?」
今にも何か言い出しそうな二人組には目配せで黙っていろ、と威圧を込めた。
姿は子どもとは言え、人生経験だけは大人並な妃沙である。その無言の迫力に、男女がうっと言葉を詰まらせている隙に、スルスルと窓を開けてしまうと、そこには思った通り、二人組の警察官が立っていた。
「ごきげんよう」
路肩で止まったっきり、車体を揺らし、何やら大声を響かせていた不審車両の窓が開いたかと思えば、中から現れたのはとびっきりの美少女。
その少女が軽く首を傾げ、満開の微笑みで自分達と対面しているという事実を、警察官が理解するのには数秒の時間を要した。
それ程までに妃沙の登場は衝撃的であったし、その微笑みは思考を停止して見入っていたいと思ってしまう程に魅力的であったのだ。
「や、やぁ、お嬢ちゃん、こんにちは。ご家族の方とお話したいんだけど、良いかな?」
「問題ございませんわ。……お姉さま、この方達が何やらお姉さまとお話なさりたいのですって」
野生の勘で『佑士は出さないほうが良い』と悟った妃沙が、早々に交渉の場に女性を引っ張り出した。
その意図を素早く察した女性がコク、と軽く頷き、そして壊れる前に見せていたあの微笑みを浮かべ、
「ごきげんよう」
と、嫣然と微笑んで免許証を差し出している。
その隙に、妃沙は『この世界は幻、我が描く闇こそ全て』と、習ったばかりながら一番その効果が高いと教師に言わしめた闇魔法を顕現させる呪文を唱え、それを佑士の周囲に纏わせた。
……これで、この悪人ヅラは暫くイケメンにしか見えない筈だ──だがそれは、妃沙の考える「イケメン」であり、世間一般の定義とはかけ離れていた。
「こんにちは。あの愛らしいお嬢さんは妹さんですか?」
「ええ、オホホ、そうですのよ、歳が離れすぎていて恥ずかしいのですけれど……。ある晩両親が滾りましてねぇ……!」
……さすが元ヤン、警察官に対しても下ネタ躊躇なしである。
若干引いている警察官をよそに、女性は更に滔々と語り出した。
「アタシの下にも弟が一人いるんですけどねェ! 父親に似て強面な所ばっかり引き継いじまったモンで。母親やアタシ似の別嬪を生み出さなきゃ世間様に申し訳ないって事になりましてねェ……!」
コロコロと笑って語り続けるその姿はもはや、大阪のオバちゃんである。
警察官は愚か、妃沙ですら若干ヒいている空気を読みもせず、彼女は只管に喋り続けていた。
「……あぁ、ハイ、そうですか。解りました、妹さんと……奥にもう一人いらっしゃるのが弟さんですね?」
自分、ヒいています、という雰囲気を全面に漂わせ、それでも職務は全うせねば、と車内を覗きこむ警察官の職務に対する姿勢は褒められて然るべきである。
日本の警察官は、このような人物が多いから世界中でも優秀である、という評価をされているのだ──まぁ、ここは正確には『日本』ではないけれど。
「そうですわぁ~! 名前はタカシ! こんな強面ですけど……って……ゲッ!?」
思わず蛙の潰れたような声を女性が漏らし……警察官の片割れに至ってはビビって腰を抜かしている。
妃沙の幻影を纏った佑士──今彼は、二センチ厚の眉毛を目の上に乗せ、鋭い眼光を放ち、タラコ唇をテラテラと輝かせた──その姿はまさに国籍不明の超A級スナイパーの姿であった。
「ドーモ、タカシっす」
その低音ヴォイスは関係者各位の恐怖心をどこまでも煽り、鋭い眼光はギラリと光すら放ち、だが、空気を読んでタカシと名乗った様は流石である。
自分の魔法のクオリティと、前世から憧れて止まない男の中の男の顕現に、妃沙は傍らで「キャーー!!」と可愛らしく悲鳴を上げて拍手喝采だ。
彼女にとり、永遠のイケメンとはそう、無口で孤高の仕事人のG、その人なのである。
……ツッコミは受け付けるが、あくまで彼女の中身は自称・不良な男子高校生、察してあげて欲しい。
「……す、すげェ弟さんっスね……」
「格好良いですわよねぇぇ! お兄さまァァーー!!」
カッコ良いよなぁ、アニさん!(龍之介は彼の方をこう呼んでいた)と叫び、佑士に飛び付く妃沙。
……強面が美少女を愛でるならともかく、その逆の絵面は中々に衝撃的である。
「……ええ、ハイ、それで、今日は何処に向かわれるご予定で……?」
周囲がドン引きの中でも職務を全うしようするその姿には、涙すら誘われる程だ。
だが、そんな異様な雰囲気の中で一人、元凶である妃沙はテンションが上がったままでありながら事態を打開しようという気概に溢れていた。
「スタジオ・チェシャに写真を撮りに行く所ですわぁぁーー!!」
……訂正しよう、妃沙は今、前世・現世を含めた二十三年で一番浮かれていた。それこそ、人一倍。
「……あ、ああ、そうですか……。良い写真が撮れると良いですね……」
ご武運を、と呟いて女性の免許証を返し、貴重なお時間をどうも、と、彼らを解放してくれたのである。
……妃沙の勝利、であった。
「……あ、あら。ありがとうございますわ……?」
未だ状況に馴染めずにいた女性が免許証を受け取り、窓を閉め、妃沙仕様のイケメンなままの佑士を嗾け、妃沙と愉快なご一行様は疑われることなく、職務質問、という難関をすり抜けて行ったのである。
───◇──◆──◆──◇───
「……妃沙ちゃん、貴女、一体どういうつもりなの?」
微妙な空気に包まれた車内で、女性が厳しい声で尋ねている。
……尚、佑士の幻覚は既に消えている。そもそも、未だ未熟な妃沙の魔法の継続時間はとても短いのだ、それを大変残念に思いながらも、再び後部座席に移動した妃沙がニヤリと女性に向かって不敵な笑みを放つ。
「ですから言ったではありませんか、協力する、と。事情はお話頂けないから知りませんけれど、貴女方のような方達にとって職務質問は日常茶飯事でしょう。でも、出来れば穏便に済ませたいものではなくて?」
あくまでも協力する、と言い張る妃沙に、女性はもう何かを諦めた様子だ。
誘拐して来い、と命じられた対象から協力を申し出られ……実際、一度は助けられてしまっている状況に何処か合縁奇縁めいた何かを感じ、溜め息を吐いた後、ニヤリと不敵に微笑む。
「……降参! まぁ、アタシ達も好きで誘拐なんかに加担してるワケじゃないし……なんだか毒気を抜かれたわ。このまま犯行に及んだってボロが出るだけね。
妃沙ちゃん、事情を話すから協力して頂戴。……何となく察してそうだけど、アタシ達も脅されてやっている事だから、ここまでの非礼は許して貰えると有り難いわ」
愛好を崩して妃沙に右手を差し出す女性。
「合点承知之助!」
「……だから貴女、鼠小僧か何かなの……?」
そんな会話を交わしながら女二人がガッチリと握手を交わす。
バックミラーでその様子を見ていた運転席の佑士は、再びその円らな瞳から大量の涙を流していたのだが……後部座席の二人に「「しっかり前を見て運転しろ」」と怖い顔で言われてしまったのは言うまでもない。
「……アタシ達姉弟はね、首都から少し離れた場所でクリーニング屋をやってるの。……小さい店だけどね。
父さんは早くに死んじゃって……アタシ達二人共こんなでしょう? 母さんも女手一つで良くやってくれてたんだ」
……と、そこまで語った所で妃沙が口を挟む。
「お姉さん、話はまず、名乗ってからではないですか」
「アラ、ごめん、アタシったら……」
少しだけ顔を赤らめ、コホン、と場を仕切り直すかのように咳払いをすると、女性が再度語り出す。
「アタシの名前は、守矢 朱音。そして、運転席の男が弟の佑士。
そして、貴女を連れて来いと私達に命令して来たのは……表向きは建設業を営んでいる猿渡建設興業の元締め、猿渡 豪就。裏では勿論、暴力団と繋がってるわ」
「……豪就とはまた、凄い名ですわね……」
「でしょ? 実物見たら更にビックリするわよ。スゴいんだから」
その言葉に、妃沙はフム、と顎に手を添えて情報を整理する。
猿渡建設興業といえば、この国では有数の大企業だ。だが、妃沙の実家、水無瀬家は建設業を手掛けてはいるもののそこまで力は入れておらず、彼の企業とのライバル関係は殆どない筈だ。
……だとすれば。
「……利権。狙いは東條家を揺さぶる事、ですか」
そんな妃沙の呟きを拾い、ドン引きの態で朱音と名乗った女性が妃沙を見やる。
……当たり前である。高々五歳の女児が、自身の実家の事なら兎も角、有名とは言え相手の企業の業務内容を知っており、それを加味した上でその狙いを言い当てて見せたのだ。
『龍之介』の人生経験と『妃沙』の人生経験を加えた実体であればこそだが……現状、五歳の女児が示す反応としては異常であると言っても良い。
「知玲様との婚約は、未だ公にはされていない筈ですけれど」
「そんなの、東珱中が知ってるわよ。大企業の跡継ぎが二人揃って魔力持ちだなんて前代未聞だわ。その血を残す為にも、そう言った措置はされるでしょ」
「……え、それは意外な展開ですわね……」
今度は妃沙がドン引きの態で朱音を見やる。
彼女にとり、知玲が魔力持ちだから、と言うより、相手が前世で幼馴染で、お互いの秘密を守る為と聞かされていた婚約だ。驚くのも無理はない。
だがしかし、二人の婚約にはそんな側面もあったのだ。
魔力というのは万に一人持てれば良いとされているこの世界で、強い魔力を内包した二人が結婚し子を成せば、その魔力は一定以上の確率で子孫に残される。
魔力持ちの結婚相手は出来ればどれだけ微小でも魔力を持っている人間が好ましいとされているのは、この世界の常識なのである。
「……ま、アタシたち一般市民には関係ないんけどね。妃沙ちゃんの言う通り、建設業って政治家や官僚とは切り離せないものじなゃない?
猿渡はね、今、首都に近い地方都市に衛星都市を造ろうと動いていて……アタシ達の住んでいる街が、何故かロックオンされちゃったのよね……」
寂しそうに遠くを見つめながら語る朱音の表情には、何処か諦めたような色も乗っている。
そんな彼女を見やり、妃沙も悟った。
……恐らくは、営んでいるというクリーニング店の立ち退きを強要されている。
元ヤンであったという朱音と、強面の佑士。弱みなどいくらでもあるのだろう。単細胞な二人の事である、考えるより先に手が出てしまって窮地に陥った事など、きっと一度や二度ではない。
悪というのは現世に柵を持たないからこそ張れる職業。現世に弱みがあれば必ずそこを突かれる。
貫きたいのでいれば、あらゆる関係性をも「関係ねーな」と切り捨てる強さが必要とされるのだ。
だが、この姉弟の人間性の良さはダダ漏れだし、家族や、慈しんでくれる周囲に対しても情を掛け過ぎてしまっていて捨て置く事など出来ないのだろう。
「解りましたわ。事情は兎も角、善と悪の棲み分けがハッキリしましたから……後は作戦あるのみ、ですわね」
フッと溜め息を吐いて妃沙がそう吐き捨てるようにそう言うと。
「……ちょっ!? 妃沙ちゃん!? お姉さんにも解るように説明して貰えるかな!?」
焦った様子で言い募る朱音に対し、名探偵よろしく自分の推理を話してやる妃沙。
彼女に顔芸など求めてはいないが……それでも核心を突かれる度に強張る表情と、運転席の佑士の「ヒッ!?」と言う声は、それが正解であると相手に教えているようなものである。
「……貴女達はもう少し、腹芸、と言うものを学んだ方が良い気がしますわ……」
五歳児にそんな事を言われてしまった守矢姉弟は。
「そんなの大人だって即座に理解出来るものじゃないわよっ! 貴女、自分の規格外っぷりを少しは理解した方が良いんじゃない!?」
「さすがっす、姐さんっ!」
そんな絶叫が妃沙の耳に届く。
『姐さん』という響きは悪い気がしなかったので、妃沙は更に、佑士に対する評価を上方修正したのであった。
……総じてそれを、同族に対して行う『贔屓』と人は言うのだけれど。
◆今日の龍之介さん◆
「スタジオ・チェシャに写真を撮りに行くんだぜぇぇーー!!」




