◆8.絵梨沙唄朱
「それにしても、一つ疑問が残るのですが……。ご存知でしたら教えて頂けません?」
頭の中であれやこれや考えていた妃沙であるが、どうしても一つだけ理解の出来ない事があった。
『何故自分なのか』。
それは確かに、名家の一人娘で、政財界に多大な影響力を及ぼす東條家の跡取り息子の婚約者ともなれば、狙われる理由は解るのだ。
だが、今回の場合、主な狙いは東條家を揺さぶる事にあると言う。ならば、彼の家には知玲も、自分よりも若くて魔力などという面倒臭いものを殆ど持っていない美陽もいる。
東條家を揺さぶるつもりなら、そうした直系の子どもを狙った方がよっぽど効率が良さそうなものである。
「東條家にはわたくしの一つ年下の娘さんもいらっしゃるのに、何故わたくしなのかしら?」
コテン、と首を傾げてそんな疑問を口にする妃沙。
その問いに、大爆笑と共に応えてくれたのは佑士である。
「ワッハッハ! 姐さん、自覚ねェんですか!? 誘拐されるのは美少女と、昔から相場が決まってンですよ!」
「美陽様だってとてもお可愛らしいですわよ?」
「姐さんの前じゃ、どんな子どもだって月とスッポンってヤツでさァ!」
その言葉を聞き、妃沙はまたフム、と考えを巡らす。
……そうか、自分は美少女だったのか、と、この時初めて思ったものである。
だが、その実感も、数秒後には消えてしまうような小さな自覚であった。
人は見た目が何割と、よく世間では言われている事ではあるけれど、前世ではその、外見から持たれるイメージというものに人一倍振り回されて来たのだ──そう、悪い意味で。
知玲が繰り返し繰り返し、「君は美少女なんだから自覚して」と言っても右から左へ聞き流してしまっていたのには、そんな側面もある。
そして、自分が女として転生した、という事実は認めてはいても、心はあくまで男なのである。特に化粧をする訳でもなければ、鏡を見る機会など朝の洗顔時やお手洗いの際に手を洗う時くらいだ。
その為、妃沙は未だに自分の容姿が人に与える印象というものを深く理解出来ずにいた。
そしてそれがまた、「美貌をひけらかす事のない態度」として好印象を与えてしまっているのだが……今となっては後の祭り。そしてきっと、この後の人生でもその態度が変わる事はないだろう。
妃沙にとって外見なんて、唯の『入れ物』でしかないのだから。
『心』は決して見る事は叶わないけれど、話しをしたりその行動を観察すれば、その人物の心根など、容易に解りそうなものである。
外見ばかりを論われ、その心根を正しく理解して貰う事のなかった前世。
だから自分だけは、外見ではなく、その考え方や行動で相手を評価しようと心掛けていた『龍之介』の拘りは、今でも存分に引き継がれているようだ。
「……ハァ、何だか良く解りませんけれど、わたくしが目をつけられて、貴女達姉弟にその役目が回って来た事はわかりましたわ。
貴方達が真の悪人でなかった分、わたくしにとっては、非常に幸運な巡り合わせ、と言わざるを得ませんわね」
クスリ、と大人びた微笑みを落とす妃沙。
(──難しい事を考えるのはヤメだ。今はそれどころじゃねェ。こいつらの窮状を回復して、無事に家に戻らなきゃならねぇんだからな)
せっかく転生を果たして、幼馴染の夕季との再会も果たしたのだ──例えお互いの姿や立場が予想の斜め上を行くものであったとしても、夕季は夕季。その心は変わっていない。
今度こそ、アイツが心から笑う様を見守り、そしてその笑顔を一番側でずっと守ろうという自分自身への誓いに背くことなど出来ない。
──こんな所で訳の解らない陰謀に巻き込まれて浪費している時間などないのだ。
自分に何かあれば、きっと夕季の心が傷付くだろう。そんなの冗談ではない。
そしてまた、こうして関わった守矢姉弟。関わったからには、コイツらの問題もキレーさっぱり解決して、クソッタレな猿渡とやらから開放され、幸せになって欲しいと思う。
妃沙の中の人、綾瀬 龍之介、彼はやはり、潔くて男気に溢れた『アニキ』であった。
「……貴女、本当に変わってるわ……」
朱音、と名乗った女性が呆れたように呟く。
「貴女達にとっては最高の協力者でしょう?」
我が意を得たりとでも言いたげな表情でニヤリと微笑んだ妃沙に対し、朱音は心の中で密かに白旗を上げたのである。
相手は未だ五歳の女児ではあるのだけれど、今までの言動からして、この少女には自分達ではとても敵わない相手であると理解してしまったのだ。
そしてそれは、彼女達にとり僥倖であると、人知れず神に感謝を捧げたのだ──勿論彼女も佑士も、そして妃沙も、神の存在などまるで信じてはいないのだけれど。
───◇──◆──◆──◇───
「……で、貴女達は何を握られていますの?」
猿渡の屋敷に向かうという車中で、真面目な表情の妃沙が朱音に問う。
当たり前である。これから敵中に飛び込もうというのに、この姉弟が犯罪に巻き込まれている理由も知らずにいては、何の成果も得られまい。
「……あ~、細かいヒミツはたくさんあるんだけど……。佑士、コイツはハメられて臭い飯を食った経験があってね……ま、冤罪なんだけど。
それに加えて、アタシの娘まで監視されててねぇ……。言う事を聞かなきゃ娘を妃沙ちゃん、貴女の身代わりにするぞって脅されてるってワケなのよ」
「……さすがにヤンキーは婚期が早いんですのね……」
「いやいや、アタシは独身よ。娘の父親については……胸糞だから詳細は省かせて貰うけど。でも、そんなの娘には何一つ関係ないじゃない」
……さすが元ヤン、と言ったところか。非常にベタである。
「心和ちゃんは本当に可愛いもんなァ……。ありゃあ天使だぜ……」
運転席の佑士が陶然とした様子で呟く。
「……コヨリ? それはまた、意外なお名前ですのね……。貴女の事ですから、娘の名前はエリザベスとかマリーアントワネットとかかと思いましたわ」
「阿呆かてめェェーー!! そんなDQNネームつけたら娘がイジめられるだろうがァーー!!」
こと娘に対しては元ヤンモード待った無しの様子である。
流石の妃沙も、この勢いには「ごめんなさい」と言わざるを得なかった。
子どもの名前、という親の愛情の粋を極めた物に対して、他者からのツッコミは招かれざる客であるようだ。
エリザベスなら「絵梨沙唄朱」とかって当て字なら格好良いと思うのにな……とふと考えてしまう妃沙の中身は、やはり元・不良であると言わざるを得ない。
「そのエリザ……コホン、その心和ちゃんの身の安全を護る為には従わざるを得なかったという訳ですか」
「エリザベスって言いかけただろ、てめェ……、コホン、でもその通りよ。心和をアイツらに引き渡すなんて冗談じゃないし……店を取られてしまっても、育てて行く事は難しいの。アタシ達の場合は特にね」
ああ、そうだな、と妃沙も前世の記憶を鑑みて深く納得する。
龍之介も、自分が幼い頃に離婚をし、女手一つで育ててくれた母親の手助けになればと、アルバイトをしようと思った事があるのだ。
だが、その強面では接客業など無理だったし、新聞配達も、飲食店の裏方も、面接の段階で全て弾かれてしまった経験があったから。
朱音は、黙っていれば恐怖を感じる容姿ではない……どころか、優しく微笑んでいれば人好きのする笑顔であると言っても良い。実際、自分もコロッと騙されたのだから。
だが佑士はダメだ。アイツは前世の自分と同類で、黙っていても何か企んでいるのではないかと邪推されてしまうタイプの人間である。
で、あるならば「クリーニング屋」という自営店舗の裏方で働くのは打ってつけと言えるだろう。
「……何か証拠を握られていますの?」
「ないわよぉー! こう見えてアタシ達、最近は大人しくしてたのよ。なのに、昔の写真を持ち出して脅迫して来るんだから、アイツら……。シメてやりたいわ……」
ギリッと奥歯を噛みしめる朱音。どうやら敵の脅迫はなかなかに苛烈であるようだ。
だが、そんな様子を見て、ああ、そうだよな、と妃沙は思う。
己の意思に反して悪のレッテルを貼られ、それならそうあろうじゃないかという風に吹っ切れてしまったならば、そこには黒歴史が残るのみだ。
……妃沙にとっても、非常に耳の痛い話である。
「……猿渡 豪就はね、空前絶後の不細工なんだけど……自分の容姿を棚に上げたすっごい美少女マニアなの。しかも年頃のオンナじゃ駄目って言う、面倒臭い性癖でね……」
言いにくそうに朱音が言葉を詰まらせた。
……ああ、それで自分か、と妃沙は納得する。幼女趣味なら、美少女であるという自分が目を付けられても仕方がない。五歳の自分に対して劣情を抱かれるというのは、まるで理解は出来ないが、権力者に人には言えない性癖があるなんてことは、今も昔も──そして世界が変わろうとも『お約束』なものであるようだ。
そしてその『弱み』を隠す為に悪事に手を染め続け、結果、後に引けない状況に陥り、悪の道を突っ走るしかない。別はそれは権力者のみならず、ヤンキーや裏稼業の人々にの良くある話だ。
「了解ですわ。それでしたら、わたくしでなんとか出来る事もあると思いますわ」
トン、と軽く胸を叩いて請け負う妃沙。
見た目で警戒されずに相手と対峙出来るのであれば、後は交渉あるのみである。そして、今の自分には前世にはなかった『魔法』がある。
「後は当たって砕けずの論理で参りましょう。……フォローだけ宜しくお願いしますわ。頼りにしていましてよ、お二人とも」
流石の妃沙も、前世でもそこまでの権力者と対峙したことはないので、この時ばかりは年頃の少女めいた健気な微笑みを浮かべる妃沙に、守矢姉弟が「「合点承知之助!」」とサムズアップを返してくれる。
──彼らもまた既に、妃沙の雰囲気に毒された被害者であると言っても良いかもしれない。
───◇──◆──◆──◇───
そうして辿り着いた猿渡 豪就の屋敷。
「……何と言うかこれは……悪趣味、と評価せざるを得ませんわね……」
車の中から、妃沙が呆然と呟く。
敷地だけは広いその屋敷は、彼女がそう呟いてしまっても仕方のない程に……悪趣味で満ち溢れていた。
裸婦像が中心に聳え立つ洋風の噴水があるかと思えば、庭木はあくまで日本家屋のそれであり、玄関までの道筋には敷石すら置かれている。
屋根の上では中国の伝説の生物・麒麟の像が鯱鉾よろしくキンピカな光を放っているかと思えば、屋根はタージ・マハルを思わせるかのような玉葱型。
敷石の両面に並び立っているのは、和洋折衷と言えば聞こえは良いけれど、主が全く信心など持っていない事を詳らかにするような各国の神や神話を模した銅像。
極めつけに、屋敷はガラス張りの問い面に張り出した縁側、それを支える柱には龍の彫刻という、ワケの解らない多国籍の様相で整えられているのだ。
「中はもっと凄いわよ。最高級のいぐさの上にペルシャ絨毯を敷くような美的感覚の持ち主だから……覚悟してね」
行きましょう、と呟いて意を決したように車のドアを開け、大切そうに妃沙を車から降ろした後に抱き抱える朱音。
勿論、妃沙は一人でも歩ける程にしっかりと意識は保っていたが、『誘拐されて来た幼女』の立ち居振る舞いとしてはその方が良いだろう、との判断から成されたものだ。
そしてその移動方法は、朱音とこっそりと、今後について打ち合わせるには非常な適した距離であり、見た目には怯えきっている幼女を彩るには相応しいものであった。
「……対峙する前から嫌な予感しか抱かせませんわね、猿渡 豪就……」
げんなりしながら朱音にその華奢な身体を預け、妃沙が吐き捨てるように言った。
尚、彼女らが車から降りた時点で佑士は車を屋敷の外に移動させるべく車を発進させており、彼女らが帰還を果たしたその時は、あるべき場所へ妃沙を送り届ける算段である。
それが平穏無事に果たされる可能性は限りなく低かったのだけれども、逃走の移動手段の確保は、とても大事なものであると、妃沙も朱音も身に染みて知っていた。
そうして二人が悪趣味な庭を、何処からともなく刺すような視線に晒されながら歩き、両開きのこれまた悪趣味に扉の前に立つ。
扉の両脇には、ご丁寧にもサングラスを掛けた体格の良い男達が二人ずつ控えており、さながらここは戦時中の某国かと思わせる物々しさだ。
「主の言い付け通り、水無瀬の一人娘を連れて来たわ。対面させるから開けて頂戴」
冷やかな声で、朱音が告げる。
すると、何処からともなく門番と思しき初老の男が二人現れて、その荘厳な彫刻が施された扉を左右に開けてくれた。
(──コイツら、ただ立っているだけかよ!?)
妃沙が内心でツッ込んでしまったのは致し方の無い事だろう。
拳を左胸に当て、無表情で──と言っても、サングラスのせいでそれは殆ど読み取れなかったけれど──立ち尽くす男たちは、少しも表情を動かす事なくひたすら突っ立っているだけである。
人形じゃねェよなと、思わず妃沙がまじまじと見つめてしまった程だ。
だが、そんな妃沙の思惑を余所に、開かれた扉の先。
──そこはまた、外観に勝るとも劣らない程に悪趣味な空間であった。
「……何で紅絨毯の脇に仏像が鎮座していますの……」
重厚な木製の大階段。その上に金の飾り房が付いた宝塚もビックリな赤絨毯が敷かれており。
そしてその階段には、適度に間隔を置き、阿修羅だの帝釈天だの、時には菩薩像だのといった日本様式の仏像が並べられていたのである。
そして、その大階段の最上段から、この世の物とは思えぬ程の不細工な面をした男が、そのでっぷりと太った両方の指に隙間なく高価な宝石を施した指輪を付け、両手を拡げて汚らしい笑顔を浮かべ、鼻息を荒くしながら妃沙達を迎えてくれたのだ。
「ようこそ、この世の天使! さぁ、私がたっぷりと可愛がってあげようね……!」
朱音をして空前絶後の不細工と言わしめた、猿渡 豪就、推定年齢四十八歳。
(──これに近寄るとか、無理むりムリィィィィィーーーー!!!!)
『容姿は只の入れ物である、大事なのはその中身』という信条を持つ妃沙をしても尚、怯んでしまう程の醜男。
蝦蟇蛙のように潰れた顔面、贅沢のし過ぎで肥大した体型、鼻に浮いた出来物の数々、色味の悪い分厚い唇に覆われた口、淀み切り、いやらしく垂れさがった瞳、そしてハゲ散らかった頭髪。
「イヤァァァァァァーーーー!!!!」
そう絶叫して朱音に縋りつき、催される吐き気に耐えるのがやっとの容姿を持つ悪役の登場であった。
◆今日の龍之介さん◆
「無理むりムリィィィィィーーーー!!!!」




