【幕間】Side M -in the distant past-
活動報告に第三部の開始時期についてお知らせがありますのでご確認頂ければ幸いです。
今回は過去のお話です。
「綾瀬ェェーー!! 待てコラァァーー!! ナメてんじゃねぇぞ!!」
「ハッ! 寝言は寝てから言えよ、クソモブがァ! それとも何か? またこの場で俺に寝かされてェのかよ!?
ボクちゃん、頼むからそういうのはお家に帰ってママンに頼んでくだちゃいねぇ、俺だっていつも暇な訳じゃねェんだからよッ!」
人通りの多い道を避けるようにして器用に路地裏を選びながら、学ランに身を包んだ高校生くらいの少年が風のように駆けている。
ブリーチした金髪はツンツンと天を突くように立てられ、耳に幾つも空けたリングピアスがチャラ、と音を立てる。
人相の悪い何人かの男たちに追いかけられる少年の人相もまた、威圧感がたっぷりのTHE・悪人ヅラであり、心臓の弱い方のご視聴には注意を促したくなる程だ。
けれど、追い駆けられているにも関わらずその表情は何故だか楽しげで、後続の悪人ヅラ達を煽っているようにすら見える。
元々の身体能力の違いなのか、それとも若さ故なのか、追う強面達が逃げる少年を捕まえる未来がまるで想像出来ない程、その差は歴然であった。
少年もまたそれを充分に理解しながら、時々振り返り、おどけるような表情で、今度はまさしく相手を煽りながら夜の街を駆けている。
だが、その少年に突然の危機が訪れる。
彼の目の前を黒猫が横切り、更にその後ろから「リュウ、待ちなさい!」と叫びながら眼鏡を掛けた女子高生が飛び出して来たのだ。
寸での所で猫を踏み潰してしまうのは避けた少年だが、その勢いでバランスが崩れ、背後の女子高生には思いっ切りぶつかってしまう。
「……っぶねっ!」
「キャア!?」
そのまま団子のようになってその場に転がる少年と少女。
だが、その隙を、少年を追っている強面達が見逃す筈もない。
あっと言う間に距離を詰められ、その怒号がどんどん近付いて来る。
「……チッ。おい、お前、このまま放っておくワケにもいかねぇし、どっか隠れられる場所知らねぇか? 追われてるんだ、俺」
殺気すら籠めた瞳で少女を見やり、先程まではまるでなかった焦りを乗せた口調で少年が問う。
普通の感覚であれぱその眼光には怯んでしまうであろう程に少年の目付きは酷く凶悪であったのだけれど、対する少女は何処か嬉しそうな表情を浮かべて言った。
「家が近くにあります。案内しますから……って、キャッ!?」
「上等!」
少年が突然に少女を抱え上げたのである。それは正にいわゆるお姫様抱っこの状態で、何処か吹っ切れて楽しそうな表情を浮かべる少年の横顔を、少女は頬を赤らめて見つめていた。
「あ、でも、猫のリュウが……」
「コイツだろ?」
少年の手にはあの時、彼に踏みつぶされそうになってしまった黒猫が首根っこを掴まれた状態で納まっていた。
「大丈夫、お前もコイツも落としたりしねぇよ! 時間がねぇんだ、案内してくれ!」
そう言った少年が再び風のように路地裏を駆け抜ける。
最初こそ怯え、戸惑っていた少女だったが、やがて慣れたのか少年の腕の中で目的地に向かって道案内を始め、目的地の定まった少年はグン、とスピードを上げたのだ。
目的地もなく、追手を撒く事だけに意識を向けて走るよりは、定められた道筋を走る方が速いに決まっている。
元々が追手を圧倒するスピードで走っていたのだ、条件が整えば背後の男達が敵う筈もない。
ましてや、偶然とは言え、今、彼の腕の中には「守るべき存在」があるのである。少年──綾瀬 龍之介が本気を出さない筈もなかった。
「あ、次の角を右です! 暫く行った所にある一軒家が私の家です!」
「おう!」
流れるような速度で角を曲がり、そのままトップスピードで路地を駆け、彼女が指定した一軒家の庭に飛び込む龍之介。
「……ありがとな。俺はここでやり過ごすから、お前らは家に入んな。怖い思いをさせて悪かった。何なら俺と関わった事も忘れちまえ」
そう言ったっきり短く刈られた木陰に身を隠し、鋭い視線を家の外の路地に向ける龍之介。
だが少女は、そんな彼を精一杯の力でグイ、と引っ張り、突然の事に慌てた龍之介はそのまま、家の中に引きずり込まれてしまう。
「オイっ! 何してんだてめェ!? ここまで逃げられたのにますます厄介な事に巻き込まれてぇのかよ!?」
「厄介なんかじゃありませんっ! ウチは両親共に帰りが遅くて……二人とも浮気してるから、たぶん朝まで帰って来ないから迷惑なんかじゃないし!
このまま貴方を……綾瀬君を放っておいた方が精神衛生上良くないんです! 良いから黙って入って下さい! 今、お茶を用意しますから……」
そう言って、さっさとリビングに引っ込んでしまう少女の言葉は確かに一片の真実でもあり、未だ寒いこの季節、外で追手をやり過ごすより家の中に入れてくれるならその方が良いか、と龍之介も思い直す。
決して彼女と慣れ合うつもりはないけれど、確かに外にいるより危険度は圧倒的に少なくなるのは事実なので目の前の利を取ったまでである。
どうぞ、と目の前に出されたのはブラックコーヒー。しかも苦みが強く酸味は少なくて、とても龍之介の好みの香りであった。
「……俺のこと『綾瀬君』って呼んだよな。お前、俺の事知ってんの?」
有り難くそのコーヒーの香りを堪能し、味を確かめる龍之介。
コーヒーは大好きなのだ、温かいまま提供され、好みの匂いを察知すれば我慢するなという方が無理である。
「冷たいなぁ……。一応、同じ学校に通ってるんですよ?」
龍之介の対面に座り、用意した自分の分のコーヒーには少しの砂糖とミルクを入れてズズ、と啜る少女。
確かに龍之介はブラックを好んではいるけれど、他人の嗜好に対してまでどうこういうつもりはまるでないので、そうして彼女がコーヒーを堪能出来るのなら全く気になどならない。
「……へぇ? 学校での俺の評判を知っていて、この人相を見ても尚、俺を無人の家に招いてくれたんだ。
……襲われるとか、全く考えなかったのかよ?」
フッと自嘲気味に笑いながら龍之介が問う。
何故だか彼の強面は様々な伝説を生んでしまっているらしく、その中には目が合うだけで妊娠するとかいう突拍子もないものもあるらしい。
フザけんな、俺はまだ童貞だと声高に反論する訳にもいかず……その手の話題は苦手分野でもあったので、放置していたのである。
だが、そんな龍之介の思いをよそに、少女はアハハ、と心底から楽しそうな笑い声を上げた。
眼鏡の奥のその表情もとても楽しそうで、望んではいないのに人の嘘を見抜く事に長けてしまった龍之介を以てしても、その全開の笑顔は本心であると断定出来る程に輝いていた。
「怖くなんかないですよ。私は何度も綾瀬君に助けて貰ったもの。猫のリュウも、元はと言えば綾瀬君が拾ったものですしね」
その厚い眼鏡のレンズは彼女の表情を隠してしまっているけれど、声色からでも解る、龍之介に対する絶対の信頼。
こんなモノを向けてくれるのは……今では夕季くらいではないだろうか。
別に龍之介は信頼して欲しい訳ではないけれど、助けた相手からすら恐怖の感情を向けられるのは少し寂しかったのだ。
だから、彼女が向けてくれる尊敬にも似た感情を……何処か眩しく、照れ臭く……それでいて嬉しく受け止めてしまったのは仕方がないことだ。
「……俺はそんな高尚なモンじゃねぇよ。お前の事も知らねぇし、その猫の事だって……関係ねェよ」
唇を尖らせ、ぷい、とそっぽを向く子どもじみた仕草に、少女が思わず相好を崩したところに、家の外から怒号が響き渡る。
どうやら龍之介を見失い、怒りが頂点に達しているようだ。「探せっ!」という声と酷い怒気が通り過ぎて行く。
だが、彼らとて住宅街に入り込んでしまった龍之介を探す為に一軒一軒乱入する訳には行かず、闇雲に周囲を走り回るだけである。
少女は一瞬だけビクリと肩を揺らしたものの、家の中までは入って来る事はないという事には確信があるらしく、あとは落ち着いてコーヒーを飲んでいた。
「ニャーン!」
黒い猫がスリスリと龍之介の足元に擦り寄って来る。
「……けど、そうか。捨てられてたあの猫、お前が飼ってくれてんだな。ありがとな! おい、良かったなぁ、お前!!」
クシャリと表情を崩して破顔し、黒猫を抱き抱える龍之介。
その姿にはまるで悪ぶった所はなく、楽しそうなその表情には慈愛すら籠もっているようだ。
そのな彼を見て、少女がポッと頬を染めているけれど、当の龍之介はまるで気付いていない様子である。
「……けど、リュウってなんだよ。まさか俺の名前から取ったとか? 止めとけよ、クソ猫になっちまうだろ」
なぁ、お前、と猫をぐりぐりと撫でる龍之介。
悪戯っぽく笑うその表情は、その人相の悪さを補ってあまりある優しさが溢れており、それはまさしく普通の高校生男子の姿であった。
「……本当に優しいですよね、綾瀬君は。今だって……私の事なんか放っておけば良かったのに、わざわざ抱えて逃げてくれたのは私が追手に巻き込まれないようにする為でしょう?」
クスリと微笑んでコーヒーを啜る少女の顔をチラリと一瞥し、だがすぐに目を反らして猫と戯れながらハッと自嘲気味に笑う龍之介。
人差し指で顎の下を撫でてやると、猫はゴロゴロと喉を鳴らし、気持ち良さそうに目を細めている。
「別に、お前の事を気にした訳じゃねーし。単に隠れる場所を確保したかっただけだっつってんだろ?
優しいとかさ……そんなに簡単に俺を信用するな。面倒くせぇ事に巻き込まれるだけだから……関わった事も忘れちまえ」
けど……と、テーブルに置かれたコーヒーカップをまごうことなき優しい瞳で見つめながら、龍之介が言った。
「一宿一飯の礼は果たすぜ。このやたらと美味いコーヒーの御礼に、お前が何か困っていたら助けてやるから」
名前、教えてくんねぇか? とその表情を真面目な物に戻して龍之介が彼女に問う。
確かに提供されたコーヒーは美味しかったし、彼女には匿って貰った恩もある。
だが龍之介は、咄嗟とは言えあんなに派手に少女を抱き抱え、逃走劇を繰り広げてしまった事を少しだけ後悔しているのだ。
夜とは言え、この都会では誰が何処で見ているか解ったものではない。
その上、自分の容姿はとても目立つし、追手は怒号を上げて自分を追っていた。
その自分が少女を抱えて逃げる姿は、誰かに目撃されても仕方のないものだったし、それを相手が付き止める可能性だって充分にある。
「都竹 恵夢、です。綾瀬君と同じ高校の三年生。綾瀬君には傘を貸して貰った事があるし、絡まれてた男の子を助けてあげてた場面も見てましたよ。
もっとも、私の地味な容姿じゃ、綾瀬君は何も覚えていないだろうけど」
フ、と寂しそうに微笑む少女の顔を、龍之介はこの時初めてまじまじと見た。
「地味な容姿? いやいや、それ、俺には自慢にすら聞こえるぞ? そんなん、普通の生活を送る上では超有利だし。なんか不都合でもあんのか?」
心底ワケが解らないといった態で龍之介が恵夢に問う。
龍之介の鋭い視線に射すくめられて、恵夢は少しだけ居心地の悪い気持ちになるけれど……その司る感情は『恐怖』では決してなかった。
「……私も一応、女子ですしね。少しでも綺麗になりたいと思うのは当たり前じゃないですか」
「阿呆か、お前!? 容姿なんて唯の入れ物だろーがよ。そんな所ばっか繕ったって、中身を見て貰えなきゃしょうがねぇじゃん。中身を磨けよ、中身を。
少なくともお前は、こんなに美味いコーヒーを淹れたり、捨て猫だったコイツを引き取るような優しさを持ち合わせてるんだからよ」
ほらよ、と猫を彼女に突き返し残っていたコーヒーをグイと一気に飲み込んで、龍之介が立ち上がった。
「ありがとな、都竹。すげぇ助かった。今夜の追手はちょっと大きい組織でさ……まったく、男にばっかモテても嬉しくねぇっつの。組になんか……絶対入るかよ、バーカ」
後半の言葉は囁くような音量であったので、恵夢の耳には殆ど入って来なかった。
そしてそのまま家を出て行こうとする龍之介の腕を、ヒシ、と恵夢が掴む。
「私……私はっ! ずっと綾瀬君に憧れて……!」
「何言ってんだ。お前みたいに普通の生活を堪能出来るヤツは俺みたいなのと関わっちゃいけねぇんだよ……本当はな。だから……お天道様の下でまっとうに生きろよ」
そう言い捨てて、家を出て行こうとする龍之介に、恵夢は恐らくそれまでの人生の中で一番声を張り上げて尋ねた。
「綾瀬君……! 蘇芳さん……蘇芳 夕季さんの事が好きなの!?」
突然出て来た幼馴染の名前に、龍之介が一瞬ギョッとして彼女を見やる。
けれど、あまり長居はすべきではないと思ったのだろう、一言だけ告げて、彼はその家から出て行った。
「ああ。俺の命を賭けて守るよ、アイツのことは」
龍之介としては、好きとか嫌いとかいう陳腐な言葉では言い表せない程に夕季という存在は大切なものであったので、そう答えただけなのだけれど、
『恋愛対象として好きなのか』と尋ねた恵夢には、その言葉は胸を抉る程の決定打となって届いてしまっていた。
「……良いな、蘇芳さん。私だって、綾瀬君のこと……」
龍之介の気配が消え、ひっそりとしてしまったその家の中で蹲り、静かに涙を流す飼い主の側に、テテ、と近寄り「ニャーン」と可愛らしい声を上げる猫のリュウ。
「……リュウ。けどやっぱり……格好良いね、綾瀬君。中身を磨け、かぁ……。そしたら私も、少しは綾瀬君に見て貰えるようになるかなぁ……?」
独り言めいたその言葉には、「ミャ」という猫の声が返って来るだけだ。
けれどその夜、龍之介と関わった事で、地味で目立たないと自分に自信を持てずにおり、家庭環境を嘆くだけだった一人の少女は自分を磨くために努力をしよう、という小さな決意をすることになったのだ。
そして、彼が認めてくれたコーヒーの味。それをもっとたくさんの人に提供出来たら、という小さな夢を抱くに至る。
その窮地を救っただけでなく、一人の少女に夢と目標を与えるという偉業を、この日、龍之介は確かに成し遂げたのである。
───◇──◆──◆──◇───
そしてその日。
恵夢は始発のバスに乗っていた。
大事に抱えるバッグの中には、朝一番で心を込めて淹れた、自分的に会心の出来だと思っているコーヒーが入っている。
(──ヘヘ、綾瀬君、飲んでくれるかな? あの日みたいに美味しいって言って笑ってくれるかな?)
まだ薄暗いバスの中で、欠伸を噛み殺しながらも幸せそうな微笑みを浮かべる恵夢。
彼女は龍之介が夕季に付き合って朝早くから学校に来ているのを知っていた。
きっかけは、その日提出のプリントを学校に忘れてしまい、朝一番で学校に行ってやろうと思い、朝イチのバスに乗ったことであったと思う。
最後尾の席でウトウトしていた彼女の耳に、隠れてこっそり聞くだけだった龍之介のやや低い声が聞こえて来たのだ。
「……ったく。誰より早く道場に行って掃除して誰よりも多く稽古をしたいっつー心意気は立派だけどよ。俺を巻き込むなよ! こんな朝早くから叩き起される身にもなれ!」
気だるそうな表情を浮かべ、険のある物言いで吐き捨てるように言いながらバスに乗り込んで来たのは、恵夢と同じ学校の制服に身を包んだ、金髪の少年。
「あ、あやせく……」
声を掛けようとした次の瞬間、彼の背後から竹刀と思しき長物を抱えたポニーテールの少女が乗り込んで来た。
「毎日同じこと言って、良く飽きないよね、龍之介? 本当はあたしの事が心配なくせに素直じゃないんだから!!」
「あー、心配だよ。お前みたいなじゃじゃ馬が他人様に迷惑を掛けてねぇかってな。あ~くそ、ねみぃ……。おい夕季、着いたら起こせ」
「ちょっと龍之介!? あたしはキミと違って他人に迷惑なんて掛けてないよ!? ……ってもう寝てるし……。どんだけ寝付きが良いのキミ?」
幸せそうな表情を浮かべ、少女が龍之介の隣に座ると、ん、と声を漏らして龍之介がその肩に頭を預ける。
仲の良さそうな二人の姿を、最後尾の席から見つめる事しか出来なかったけれど……あの時間は切ないながらも恵夢にとっては幸せな時間だったのだ。
もちろん、龍之介の幼馴染の夕季に対する羨望はあったけれど、彼らの仲の良さは元々知っていた事だし、自分の入り込む余地なんかないことは良く理解っている。
けれど、次第に昇っていく朝日を浴びてキラキラ光って見える龍之介の金髪はとても優しい色に見えたし、
いつも張り詰めているような雰囲気の龍之介が見せる穏やかな雰囲気に、なんだかとてもドキドキしてしまった。
それから何度か、彼女は同じバスで学校に向かったのだけれど、彼らは決まって同じ時間にバスに乗っているようで、毎回同じようなやり取りをしてバスに乗り、学校に向かう。
そして学校に着けば、夕季は道場へ、龍之介は教室へ……そして恵夢は図書室へ。
朝の図書室というのはとても空気が澄んでいて、本の良い匂いが脳にも良く作用するのかとても勉強が捗る事に気付いたのだ。
実際、たまにそんな風に朝の勉強をするようになってから、恵夢の成績は格段にアップしたように思う。
だから、あの日も、テストに向けて勉強をしようと朝一番のバスに乗ったのだ。
そしてその日は、朝淹れたコーヒーがあまりに良い出来だったから、龍之介に飲んで貰えたら嬉しいな、と、魔法瓶を用意していた。
もうすぐ、彼らが乗ってくる停留所だ。
ふと、外に目をやるとそこには既に夕季が立ち、背後から来るらしい龍之介に向かって手を振っている。
異変を感じたのはその直後だ。
グラリ、と車体が大きく揺れる。
蛇行運転を繰り返し、右へ左へと進路が定まらない。
ハッとして運転席を見れば、運転手の頭は船を漕ぐようにコクリ、コクリと揺れていた。
「……ちょっと! 運転手さん起きて!! 起きて下さい!!」
恵夢の絶叫にビクリ、と運転手は肩を揺らし、慌てて大きくハンドルを切る。
だがバスはバランスを失い、倒れて行ったのだ……停留所に立つ夕季の方へ。
「……夕季……!」
車内にいたのに、切羽詰まった龍之介の声はやたらとハッキリと恵夢の耳に聞こえて来た。
だがバスは、引力に引かれた林檎のように倒れて行く。
その瞬間は、何故だか恵夢にはスローモーションのように感じられた。
だが後は、ガラスの割れる音、少ないながらも乗っていた乗客の悲鳴、そして──
「……龍之介……! ヤダっ、死なないで……!」
絶叫する夕季の声。
その時既に、恵夢の身体にも無数のガラスが突き刺さり、拉げたバスの天井と地面の間に挟まれ、身体中の何処もかしこもが痛いし、意識ももうハッキリしていない。
だが、その瞳には確かに、幼馴染を庇って自分と同じようにバスに押し潰されている金髪の少年が……龍之介が見えたのだ。
(──痛い、痛いよ、綾瀬君……。ねぇ、私が困ってたら助けてくれるって言ったじゃない! 今……今助けてよ、綾瀬君!)
半ば無意識で龍之介に手を伸ばす恵夢。
だが、そんな彼女の耳に、不思議な程ハッキリと、ずっと憧れていた龍之介の声が聞こえたのだ。
「……生きて……幸せに……ずっと、笑って……」
それは自分に掛けられた言葉ではない。その証拠に、自分は今、冷たいガラスの雨を浴び、鋼鉄の塊に挟まれてその命を散らそうとしている。
けれどそれは……自分が龍之介に言いたかった言葉だ。
なのに、彼は今、命を賭けて自分の幼馴染を守るといった言葉を体現しようとしている。
彼が何をしたと言うのだ、ただ人相が悪い、それだけであらぬ誤解を受け、勝手にそう思ってろと振り切れてしまった彼は確かに不良風、ではあったけれど。
中身を磨けと言ってくれた。
外見なんかただの入れ物だと言ってくれた。
そして自分の淹れたコーヒーを美味しいと言って微笑んでくれた。
(──ずるいよ、蘇芳さん、貴女ばっかり守られて……綾瀬君が……綾瀬君が……!)
神様、彼を助けて、と、既に視界もおぼろげな状態ながらも、目立つその金髪に手を伸ばす。
だがその瞬間、無情にもガソリンに引火し、バスは四散した。
彼女の命を巻き添えにしながら。
(──コーヒー、また美味しいって、言って欲しかったな……)
……その、小さな願いすら飲み込んで。
(──もし生まれ変われたら、その時は……ねぇ、綾瀬君……)
──彼女のその最期の願いと共に。
◆今日の龍之介さん◆
龍「こんなこと……あったっけな……」
知「……僕にはもう……遠い過去のことだ」
龍「……そーかよ。……なぁ、知玲。こんな場所にももう……『夕季』はいないんだな」
知「……うん」
龍「それにしても俺……カッケーな」
知「うん……って、え!?」
──To be continued Next Sensation!──




