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令嬢男子と乙女王子──幼馴染と転生したら性別が逆だった件──  作者: 恋蓮
第二部 【青春の協奏曲(コンチェルト)】
61/129

◆59.Yes,you can!


「ゲームセット! アンドマッチウォン バイ、水無瀬(みなせ)! セットカウント2セット、トゥ1」



 審判のコールが高らかに響き渡り、周囲をワッという歓声が包んだ。

 大きな賞賛の声を浴びている金髪の美少女──水無瀬 妃沙は未だコートの中におり、勝利の実感が沸いていないようである。


「……勝った? わたくしが……優勝、した……?」


 未だ自分のいる状況に順応出来ていない様子の妃沙だが、審判は確かに妃沙の勝利をコールしたし、ネットの向こうでは真剣勝負を繰り広げた相手がニコニコと手を差し伸べている。

 夢見心地のフワフワとした感触の中にありながら、相手を待たせてはいけないと、妃沙はネットに歩み寄り相手選手の手を握った。


「優勝おめでとう、水無瀬さん! 楽しい試合でした。負けた事は口惜しいけど……でも、本当に楽しかった。有り難う!」


 涙でグシャグシャになった相手選手は確かに今までネットを挟んで対峙していた相手だ。名前は……今までは覚えていたのだけれど、今、妃沙の脳内はそれどころではないらしい。


「有り難うございます。わたくしも……楽しかったですわ!」


 ニカッと微笑んだ妃沙の頬にも涙が流れる。

 彼女の部活動は、ここで終わるのだ。それを全国優勝という結果で彩る事が出来て、今更ながら感激しているのである。

 この試合は個人戦の全国大会の決勝で、団体戦はもう少し後に開催されることになっているのだけれど、妃沙はこの個人戦に集中したかったので団体戦には出ないつもりでいた。

 全国レベルの技量……そして今、優勝を飾った自分だ、団体戦のソロを担えば確かに有利な条件にはなるだろうけれど、妃沙はまた、試合の緊張感というものを多くの部員にも感じて欲しかった。

 個人の枠は自分がブン取ってしまうので、団体には同級生や後輩の、充分な実力のある選手達に出場して貰い経験と研鑽を積んで欲しいと考えていたのである。

 運動部は中学のみと決めている妃沙。ラケットはここで置く覚悟だ。

 そんな彼女の脳裏に今までの練習や出会った人々が走馬灯のように流れて来るのは当然のことかもしれなかった。



「妃沙っち、優勝おめでとぉぉーー!!」



 相手選手との握手を終え、コートを出た妃沙に真っ先に飛び付いて来たのは、同学年の宝生(ほうしょう) 友芽(ゆめ)

 一年の時こそ「妃沙ちゃん」呼びだった彼女とは三年間苦楽を共にした仲であり、団体戦の主将は彼女に託していた。団体戦の個人の一枠とダブルスは彼女に任せているのである。

 その彼女が涙が顔をクシャクシャにして抱き付いて来る様に、妃沙の涙腺も遂に決壊してしまう。


「友芽様ぁぁーー!! やりました、やったのですわ、わたくし……!!」


 強豪と言われ続けた鳳上(ほうじょう)学園テニス部にとり、個人の全国優勝は久し振りの快挙なのである。

 天才と言われた二つ年上の男子テニス部長・藤咲(ふじさき) (かい)ですら成し得なかったのだ。

 その年の団体優勝を成し遂げた事で一応の面目は果たしていたのだけれど、個人戦での全国制覇はテニス部全員の悲願だったのである。

 それを現すかのように、友芽のあとから同級生や後輩達が次々に妃沙に抱き付いて来た。

 おめでとう、おめでとうと言われる度に妃沙の瞳からキラリと涙が落ちる。

 前世ではどんなに足掻いても堪能する事など出来なかった運動系の部活動、しかも個人戦であるテニスという競技で、この国の頂点(テッペン)を取る事が出来たのだ。

 入部当初から掲げ、その為に鍛錬を重ね、焦がれ、時には諦めそうになりながら掴み取った栄光を、妃沙は今、ようやく実感していた。


「……みなさまの……おかげ、ですわ……! ありがとう……ございました!」


 この試合での引退を宣言していた妃沙の、涙に耐えながらのそんな言葉に周囲も涙でグシャグシャになる。

 全国優勝などという偉業を成し遂げたというのに、この選手はこれ以降、ラケットを置くのだという事も彼らは聞かされていたのだ。

 残念だ、もっとやって欲しいと思う反面、人気の絶頂で引退するアイドルめいた潔さを好ましく思うのも事実なのだ。

 もちろん、これからもテニスを続ければこの国を担う選手になれるかもしれない。

 けれど、彼女には彼女の人生があるし、本人から聞いた所によると、せっかく持って生まれた魔力を世界の為に役立たせる方法を模索するのに高等部以降は邁進していくのだという。

 魔法、という概念のこの世界でも魔力を持つ学生など一握りだし、ましてや水無瀬 妃沙、彼女の魔力はその婚約者である東條 知玲と共に前代未聞というべき程に絶大なものであるという事はこの学園に通う生徒であれば誰でも知っている事だ。

 その彼女が魔力の研鑽に努めることは国家案件と言っても過言ではない程に必要な事であったし、周囲も納得している事である。

 だからこそ、部長という重責を担いながら鍛錬を重ねる彼女の負担にならぬようにと、部員全員が一丸となって率先して練習メニューや後輩指導、果ては鳳上にテニス部ありと言われるようになろうと、学業にまで力を入れた結果、現在のテニス部は非常に品行方正で成績優秀、もちろんテニスの技術もピカイチという、極めて優秀な集団になっているのである。

 妃沙というカリスマに憧れた生徒達の自主的な行動とは言え、それは学園にとって理想的な団結の仕方と言っても良かった。



「妃沙ちゃーん!! おめでとぉぉーー!!」



 そんな感動的な光景に、突然高等部の制服を纏った生徒が乱入して来た。

 通常であれば邪魔すんな、と思われそうなものであるけれど、フワリと風に靡く紫色の髪を見て、ああ、と全員が一瞬で納得する。

 妃沙が最も尊敬する前々代の部長・紫之宮(しのみや) (りん)であった。



「凛先輩! わざわざお越し下さったのですか!?」

「あったりまえじゃん! 個人戦制覇は私達の悲願でもあったし……久し振りに、妃沙ちゃんとも逢いたかったから!」



 キャーと声を上げて抱き合う二人の天才選手に、周囲のボルテージは上がる一方である。

 今、鳳上学園では、藤咲・紫之宮ペアを越えるダブルスを組むことが出来ず、全国優勝においてダブルスの一勝を捨てざるを得ない厳しい状況であるので、その当人である凛──更に目を凝らせば奥には相方で、現在も結婚を前提にお付き合いを継続中であるという噂の前々代の男テニ部長、藤咲(ふじさき) (かい)の姿もあった。

 ダブルスを任されている選手はもちろんのこと、全国優勝を成し遂げた先輩の登場に部員達にテンションを上げるなと言う方が無理な話である。


「凛先輩! お逢いしとうございました……! わたくし……わたくし……!」

「妃沙ちゃん、良く頑張ったね……。おねーさんは嬉しいぞ!」


 このこの、と、妃沙の頭をグリグリと撫でながら、凛の顔も涙でグシャグシャだ。

 高等部でも無事にダブルスで海との代表選手の座を勝ち取った彼女ではあるのだけれど、その相棒とより心を重ねる事になるきっかけを作ってくれたこの可憐な後輩のことはいつも気にかけていたのだ。

 正直、団体戦のシングルを他の選手に譲ったと聞いた時は度肝を抜かれたけれど、妃沙から直接聞いた「自分以外にも経験を積ませる為」という理由には至極納得したし、自分には出来なかった選択を平然と成し得る妃沙には、後輩とはいえ尊敬の念すら抱いたものだ。



「凛先輩、この後、部長継承の宣言をする予定なのです。ご相談はさせて頂きましたけれど……」



 心元ないから側にいて下さいまし、なんていう健気な台詞と上目遣いに抗える人間などいるのだろうか、いやいない、と凛はコク、と大きく頷いた。

 いつの間にか彼女の隣に来ていた凛の恋人──藤咲 海と、いつの間に来たのだろう、妃沙の婚約者、東條 知玲も大きく頷いている。


「皆さま、紫之宮先輩だけいらして頂ければ結構ですわ」


 なんでテメー達までいるんだよ、と、小さな反抗を試みる妃沙。


「さぁ行こう妃沙ちゃん! それが終わったら俺と凛、知玲と妃沙ちゃんの四人でミーティングを兼ねて焼肉でも……」

「キミは邪魔だからね、海! 今日は女テニのお祝いだもんねー! 私も飛び入りで参加するから、女の子だけでパンケーキのお店に行こうねー!」

「おめでとう、妃沙。母校の優秀な部活の今後を見守るのは先輩としての義務だよね」


 口ぐちにそんな事を言いながら、とっくに卒業した先輩達──ましてや一人はテニス部とは関係がない、妃沙の婚約者であるというだけの、けれども見目麗しい先輩達が妃沙と共にミーティングルームへと移動して行く。

 こうなった先輩達には何を言っても無駄だと良く知っている妃沙なので、仕方ありませんわね、なんて溜め息を吐きながらも、相変わらずの彼らに優しい瞳を向けていた。


「はーい、全員移動ー!」


 部長である筈の妃沙よりも、こんな場面で良く動くのは副部長の友芽であり、この場合に於いても彼女の良く通る声が部員達を誘導する。


「……って、え!? 俺の紹介は何もなし!?」


 焦ったように彼らに続く真乃(まの) 銀平(ぎんぺい)

 その美形っぷりは有名ではあったものの『チャラ男』の評価が消えない彼の扱いなど、実績を以て名を残した前々代の部長達と比べて軽いのは仕方のないことだ。

 また、テニス部員にとって最も敬愛する妃沙部長の婚約者であり、剣道で全国制覇を果たし、且つ頭脳明晰で容姿端麗、良家の跡継ぎであるのに妃沙以外には目もくれない誠実な様が有名である知玲の前では小物でしかない。


「……俺の扱い……」


 それはこれから頑張れ、としか言い様がない。

 女子テニス部では一番尊重すぺきは現部長である妃沙、次点で妃沙が尊敬してやまない前々部長達と現部員達、続いて妃沙の婚約者である知玲、大きく下がって銀平、という評価が下されるのは当たり前である。


 そして、そんな部員達の中には突然の知玲の登場に喜びながらも、自分には目を向けてくれない兄に、苦虫を噛み潰したような表情で妃沙を睨みつける代表選手──知玲の妹、東條 美陽(みはる)の姿があったのである。



 ───◇──◆──◆──◇───



「それでは、ミーティングを始めますわ」


 感動の場面からようやく復帰した妃沙が、真面目な表情で集まった面々を見渡している。

 優勝の興奮からはやや冷めて、今はこれが妃沙のテニス部での最後の表舞台なのだと実感している部員達はグス、ヒックとハンカチを目や鼻に当てていた。

 妃沙に憧れてテニス部に入部した生徒は多いのだ、その彼女の引退に泣くなという方が無理な話である。

 だが、当の本人はキリッと前を見据え、とても真面目な表情で周囲を見渡している。

 そして、突然眉を顰め、ドン、と机を叩くと、声を張り上げて言った。



「皆さま、しっかりなさいまし! わたくしなど、たかがテニス部の一部員だと認識なさいませ! 今は団体戦に向かって団結して行かねばならない時期(とき)でしょう!

 わたくしの優勝などより団体戦での全国制覇の方が何倍も価値があるものですわ! わたくしのテニスは今日で終わりなのです、次に向かいなさいまし、次に!!」



 いつになく険しい妃沙の表情に圧倒される室内。

 だが、一番背後でその様子を見ていた先輩達にはこれぞ妃沙と思えるものであり、特に知玲にとっては前世を思わせる迫力に惚れ直したくらいである。

 前世からずっと、妃沙はピンチになればなる程「今どうするか」を真っ先に考える人だった。

 後でどうなるかなんか関係ない、その時考えれば良いのだと、その時に選択し得る最善策を常に模索していたものだ。

 それは、この場とは比較出来ないほどに緊迫した場面での事であるから、少し余裕のある状況である今、妃沙の頭の中には次の展開が見えているに違いない。

 実際、彼女から聞いている『次期部長』は、妃沙のその言葉を聞くより以前にその瞳に闘志を宿しているのだから。



「東條 美陽様、前へ」



 妃沙の厳かな声が告げる。

 その声を受けて、室内がハッと息を飲むのが解った。部長である妃沙が今、この場で名前を呼ぶ人物……それは次期部長に違いがないのだ。

 だが、東條家の息女とは言え、彼女が部長になるということには満場一致とは言えない雰囲気が漂っている。

 テニスの技術は全く問題がないのだ、時にはその負けん気を発揮し、妃沙にすら勝ってしまうくらいの技量はあるので、一代表選手しては誰も異論はないのだけれど、部長、となれば話は別だ。

 その役職には個人の力量よりも、周囲に気を配り、纏め、鼓舞して引っ張って行く技量が必要なのである。

 今の美陽にそれがあると思える部員はとても少なかった。

 そして、そんな選択をした妃沙にも、少しだけ失望してしまいそうになったのだ。

 だが妃沙は、そんな周囲の雰囲気をも予測していたのか、不敵な笑みを浮かべて、躊躇している様子で最後部から動かない美陽に言葉を投げ掛ける。


「怖いんですの? ご自分に自信がないのかどうかは存じ上げませんけれど、いらして頂かねばわたくしの評価に差し障りますわ。時間も限られておりますので早くお越し下さいな」


 悪役令嬢も真っ青な嘲笑めいた表情を浮かべた妃沙の姿に、彼女に対して敵愾心を抱いているとはいえ一般的な中学生の美陽が怯えない筈もない。

 けれど、その場は確かに美陽が動かなければ話が進みそうになかったし、妃沙から聞かされた次期部長の選出理由は大いに納得出来るものであったので、この場は知玲が動く事にした。

 事前にそんな打ち合わせはしていなかったけれど、妃沙が時折自分に寄越す視線で、この役割を期待されているのは感じていた知玲である。心を寄せる相手の願いに応えられないなど、男の名折れだ。


「……美陽、とりあえず前に出て話を聞いてご覧? 僕は美陽を信じているよ」

「お兄様……」


 敬愛する兄に肩を抱かれ、耳元でそう囁かれては否と言える筈もない。

 複雑な表情の美陽が最前列にやって来ると、妃沙はニッと片方の口角だけ挙げ、やや意地の悪い表情で彼女を見据えた。その大きな瞳にも何やらいつもとは違った光が宿っているかのようだ。

 そうして彼女は一瞬だけ、協力してくれた知玲、相談に乗ってくれた凛に目をやり、ふと表情を消して宣言したのである。



「東條 美陽様。貴女に次の部長を引き継いで頂くわ!」



 高らかにそう言って、手に持ったラケットをずい、と美陽の前に差し出す妃沙。

 だが、当然のことながら、美陽がそれを素直に受け取る筈もない。


「じょ……冗談じゃないわ! テニスの技術はともかく、私がテニス部を引っ張って行けるワケが……!」

「だからこそやって頂くのですわ。貴女はここで大きく成長しなければなりません。来年は高校生なのですもの、いつまでも我が儘なご令嬢のままではいられないでしょう」


 美陽の反論をビシッと制する妃沙の表情は真剣そのものだ。

 確かに美陽の言う通り、技術面で言えば彼女に敵う部員などいない。その一点においては、彼女が部長になっても文句など出ないに違いがない。

 何しろ妃沙をも凌ぐ才能を発揮しているのだ、全国レベルの選手に成長することは誰もが予想出来ることだ。

 だがしかし、彼女がその才能を発揮するのは『大嫌いな妃沙』と対峙する時だけで、他の試合では勝つことは出来ても超人的な能力を発揮させることはない。

 それは彼女が心から妃沙に勝ちたいからであって、他の試合ではその余韻ですら良い試合になってしまうという、ある意味チート的な才能を発揮させていることに他ならないのだけれど、妃沙はずっと、そこに心が伴わないことを残念に思っていたのだ。

 相手が誰であろうと絶対に負けたくないという確かな信念があれば彼女はもっと強くなれるのに、と。

 そして、知玲を通してではあるけれど、美陽の性格は完璧に把握している妃沙である。彼女がどうすればその能力を発揮出来るのかは、早い段階で把握していたのだが、責任ある立場に彼女を立たせる事については若干の不安があったので、知玲や凛、時には銀平に前・男テニ部長の玖波(くば) (ひじり)といった人物に相談しており、全員からお墨付きを貰っていたのである。



「貴女にテニス部を任せます。そうして学びなさい、自分が勝つ事の意味の他に、他人を支えることの難しさと大切さを。自分の勝利が団体戦でどれほどの意味を持つのかを。

 そして育てなさい、貴女の後輩を。貴女に憧れて、この伝統ある鳳上(ほうじょう)学園テニス部を引っ張って行くことの出来る人物を見極め、エコ贔屓でも良いですわ、育てるのです!

 美陽様、貴女に課したわたくしとの練習試合は、まさにその目的があったのですわ。そして、わたくしには絶対負けないという気概を貴女は見せてくれた。

 結果、貴女は大きく成長し、代表に選出しても文句が出ない程の才能を開花してくれました。次は貴女が自分の技術や経験を後輩に伝える番です。わたくしのテニスの全てを貴女に伝えたのですから、嫌とは言わせませんわ」



 そうして再び、手にしたラケットをずい、と美陽に突き付ける妃沙。

 対して渡されようとする美陽は、相変わらず混乱と動揺を隠せずにおり、そのラケットに手を掛ける事が出来ずにいる。

 妃沙の事は、大嫌いだ。兄の婚約者として大きな顔をして、度々兄に構われ、自分に向けられるのとは違う、唯一の愛情を一身に受けているのに気付いてもいない様には苛立ちしかない。

 けれどその一方で、しなやかなフォームから繰り出される力強いサーブであるとか、コースの読みであるとか、俊敏性には決して敵わないと思う一面も、確かにあって。

 自分の性格的に兄が嗜む剣道は向いていないと理解していたから、それならば兄が溺愛する『婚約者』を打ちのめすべし、始めたテニスではあるけれど、一対一で戦術と技量、スピード・パワー、全てが物をいうこの競技は楽しくて、大嫌いな兄の婚約者に勝ってやろうと研究し続けた結果、元々の身体能力も相まって素晴らしい才能を発揮してしまったのである。

 そのことについては誇りすら持っていた美陽だけれど……部長、という重責に就くとなれば話は別だ。

 自分は口下手だし、決して人望がないのも理解していたのだから。


「……何を言ってるの、妃沙? 私なんかに部長が務まるはずがないでしょう? 技術はともかく人望がまるでないのだから……」

「ええ、美陽様、存じ上げておりますわ。だからこそ、引き受けて頂くと申しておるのです」


 そうして妃沙は、無理矢理に自分のラケットを美陽に握らせると、空いた両手を大きく拡げ、大統領もビックリな演説を開始したのである。

 なお、事前に話を聞いており、最後部で聞いていた知玲に凛、いつの間にかやって来ていた妃沙の親友の葵に充といった人物は笑いを噛み殺すのに必死で顔を背けていたのだけれど、初見のテニス部員達には深い感動を与える、伝説のスピーチの開始であった。



「テニスは個人競技ではないのですわ! 孤独(ひとり)でコートに立つ瞬間も、コーチや仲間達、教え導いて下さった先輩方の教えが集約された場なのです!

 個人競技でありながら、他人の教えがなければ勝つことが出来ないこの有意義な球技に関われた自分の幸運に感謝することが出来ないなんて、猿人類(アウストラロピテクス)並みの頭脳としか言えませんわよ!

 才能とその認識が合わさった時、選手は己の力量以上の実力を発揮する事ができるというのに、美陽様、貴女はその場を放棄するのおっしゃるのですか!?

 才能に恵まれ、その場を提供されようとしているのに敢えてそれを無視すると、そんな愚かな言葉をその可憐な唇から吐こうとしているとでも?

 わたくしは、貴女の才能に惚れておりましてよ。その分、贔屓と言われようとも貴女にわたくしの技術を伝えて来たつもりですわ。そのわたくしの愛情を……貴女は無碍になさると! 今、貴女はその美しい瞳に冷たい光を乗せて拒絶をなさると、そうおっしゃるのですか!? 拒絶されたわたくしの心情を慮ることなく!?

 嗚呼、美陽様、わたくしは、自分の目に狂いはないと信じておりますわ。そしてきっと、貴女であれば今以上にこのテニス部を盛り立てて下さると信じているからこそ、託そうとしているのです。

 テニス選手・水無瀬 妃沙の最後の願いを……どうか聞き届けて下さいませ。貴女を……信じておりますわ!」



 ……クッサい台詞である。銀平ですら赤面しそうなタラし文句だ。

 だが妃沙の言葉には一切の虚飾が含まれていない。全部が本音だ。語りながら涙すら浮かべているほどである。だからこそ伝わる……魂の言葉であった。



「……解ったわよ。自信はないけれど……その時は妃沙、貴女が相談に乗りなさいよね!? 私は……貴女と違って人望はないのだから……」



 かくして無事に妃沙の台詞に絆された東條 美陽。涙が浮かんだ瞳で、キュッ、と託されたラケットを握る。

 彼女が次期部長を引き受けた事で、室内はワッと歓声に包まれた。

 テニスの実力は充分であるのに、性格が残念なせいで評価されずにいた美陽が輝く場に立つことになる歴史的場面だったからだ。

 知玲の妹であるので、彼女もまた、妃沙ほどではないけれどかなりの美少女であった。

 そして、天真爛漫な妃沙と違い、常にツンツンしているけれども、ふとした瞬間──主には兄である知玲関係である──に見せるデレのギャップに心臓を打ち抜かれている生徒も多かったのである。



 ワァァ、と歓声が上がる室内で、知玲と妃沙は満足気な表情で視線を交わし合っていた。

 知玲にとっては正真正銘の妹であり、妃沙にとっても幼い頃から良く知る一人の少女の成長を心から喜ぶと共に、優勝と引き継ぎという偉業を無事にやり切ったことに安堵していたのである。



『お疲れ様』



 距離が離れていた為に直接声を掛ける事はできなかったので、口だけで妃沙にそう告げる知玲。

 慈愛に満ちたその瞳を受けて、妃沙の瞳からポロリ、と真珠のように美しい涙が零れ落ちる。



 ──こうして、一人の伝説の選手がコートから去り、そしてまた、新たな女王がそのコートに舞い降りたのであった。


◆今日の龍之介さん◆


龍「俺、カッコ良くね?」

知「自分で言わなきゃもっとね……」(深い溜息)

妹(怯)


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