◆49.We're the victory!
「ゲームセット! アンドマッチウォン バイ、藤咲・紫之宮! スコア イズ……」
ワッと歓声が上がる。
キャーと声を上げ、妃沙が清々しい顔でコートから出て来た二人のうち、尊敬する先輩──紫之宮 凛に飛び付いた。
「やりました、やりましたわ、凛先輩! おめでとうございます!!」
「ありがと、妃沙ちゃん。私……私……!」
ヒシ、と抱き合う少女二人。そこにもう一人の女子選手である竜ヶ根 倖香もやって来る。
「紫之宮せんぱーい!」
涙で顔をグシャグシャにしながら、彼女も二人に抱き付き、そのまま号泣し出した。
それにつられるようにして妃沙と凛も涙で顔をグシャグシャにしてしまう。
「……水無瀬、君、試合これからでしょ? 感動するのは勝手だけど、そんなんで試合に影響出さないでよね」
そんな事を言いながら近寄ってくる玖波 聖、彼の瞳にもうっすら涙が浮かんでいるようである。
ここは全国中学校連合が主催するテニスの全国大会の場である。
妃沙達五人はトーナメントを勝ち抜き、決勝戦に臨んでいた。今、四試合目の藤咲と凛によるダブルスで勝利を収め、妃沙のシングルス戦の結果を待たずして優勝が決まった所であった。
目指せ全国制覇、という目標が成し遂げられた瞬間に、感動するなという方が無理である。
妃沙や他の選手たちはもちろん、他の部員達も自分を高めて選手たちの良い練習相手になろうと研鑽を積んでいたし、強豪と言われ続けてはいたものの、なかなか全国優勝は成し遂げられずにおり、永らく全員が口惜しい思いをしていた所であったので喜びも一入である。
「見縊らないで頂きたいですわ、玖波先輩! 鳳上学園の最終試合を任されたのですもの、花を添えてみせますわよ!」
グスッと鼻を鳴らし、その大きな瞳に涙をいっぱいに貯めて上目遣いで少年を見上げる様は破壊力抜群だ。
だが、その視線を受けたのは妃沙以外の存在に心を寄せており、また表面上はクールな聖であったので被害は最低限で済んだと言って良い。
「そう? なら君の試合、期待してるからね。良い? 水無瀬、何度も言うけど、君はネットに寄るクセがある。背が高ければラケットを伸ばして強打も可能だけど、君の場合は背後がガラ空きになっちゃうからね。君の長所はそのスピードと器用に打点を替える技術、正確なストロークとコースを読む能力なんだからね」
ピン、と妃沙の額にソフトタッチなデコピンを寄越しながら、聖が日頃から言っている事を妃沙に言い聞かせる。
そんな言葉を神妙な面持ちで聞きながら、妃沙は持っていたラケットを、決意を込めてキュッと握り直した。
「……出るからには勝ちますわ! 凛先輩とも約束したのですもの。一年生だから、とかチビだからとか……そんな風にわたくしを見ていること、後悔させてやりますわ!」
フン、と鼻の穴を膨らませて妃沙が言う。
そんな彼女を周囲は慈愛を込めた視線で彼女を見守っている。既に優勝は決まっているけれど、彼らが心底から可愛がっている後輩──水無瀬 妃沙の試合は絶対に見逃せなかったし、出来れば勝って彼女にも自信を付けて欲しかった。ここに至るまでの妃沙の対戦成績は半々であったのだ。
「妃沙ちゃん、気楽にやれなんて言わないよ。勝て! それだけ!」
未だ涙の引かない表情で、それでもそんな涙を見せてしまった事に少し照れているのか、凛がニカッと笑いながら妃沙の頭をワシャワシャと撫でる。
「そだねー! 大丈夫、水無瀬ちゃん、最近すっごく上手くなったし! 相手の胸を借りるつもりで、なんて言わない! 勝って来ーい!!」
こちらは二年生の女子シングルス選手の倖香。彼女は自身の試合が唯一黒星だったのを悔やんでいたのだが、凛に「チームで勝てたら倖香の勝利だよ」と慰められた経緯がある。
紫之宮 凛、彼女の男前っぷりは留まる事を知らないようだ。
そして、この大会で引退となる凛に替わり、次の部長は彼女であるという事も既に発表されていたので、倖香としても身の引き締まる思いである。
「……はい。凛先輩、倖香先輩、水無瀬 妃沙、頑張りますわ!!」
頑張れ、と、再び女子だけで抱き締め合っている麗しい光景の外で一人、シングルスでもダブルスでも勝利を収め、優勝に人一倍貢献したはずの男子テニス部部長・藤咲 海は一人、取り残されていた。
「……えーと、あの? 俺が蚊帳の外なのはなんでかな?」
残念だからである、というのは、どうやら周知の事実であるようであった。
───◇──◆──◆──◇───
「3セットマッチ、水無瀬、トゥ サーブ、プレイ!」
審判の声が響き渡り、妃沙は持っていたボールをギュッと握り締める。
相手は三年生、何度も優勝を飾っている名門校で選手を張っている実力者だ。妃沙にとっては格上の選手である。
選手に選ばれてからというもの、それまで以上に真摯にテニスと向き合って来た妃沙ではあるけれど、何しろ決定的に経験が足りず、読み負けたりパワー負けしたりと、敗北した理由は色々あった。
それは自分のせいだと認めてはいるものの、負ければやはり口惜しい。人一倍負けず嫌いな妃沙なら尚のこと、口惜しさは人並み以上なのだ。
(──負けるワケには……いかねぇんだよ!)
パーン、と良い音をさせ、妃沙がサーブを放つ。
黄色いボールは美しい放物線を描き、矢のような鋭さを伴ってバン、と相手の足元へ打ち込まれた。
「フィフティーン ラブ!」
妃沙の気合いの籠ったサーブに、相手は正に手も足も出なかった様子であるが、逆にそれは相手の闘争本能に火を付けてしまったようで、相手選手の瞳にギラリと炎が灯る。
だが、妃沙としては自分を舐め切った相手と闘うよりは自分を認めた上で全力で挑んで来る相手との試合を好んでいたので、今回は相手にとって不足なし、とこちらもギラリと瞳に炎を灯す。
そしてその試合は、見ている者の殆どが手に汗を握る、名勝負となった。
妃沙が決めれば相手もすぐ追いついてくる。
相手が際どいコースを突いてくれば、お返しとばかりに妃沙もまたラインギリギリに返してみせる。
そうして、とても中学生とは思えぬ駆け引きと技術力を披露し、一進一退の攻防が続いて行く。
第一セットはタイブレークの末、なんとか妃沙が捥ぎ取ったが、既に体力の多くを奪われてしまう状況となっていた。
セットブレークの間、妃沙はベンチに座り、知玲が用意してくれたスポーツドリンクが入った水筒から中身を煽る。
ちなみに彼は今日、自身の試合と重なってしまった為にこの場には来ていない。
「心はいつも側にいるからね!」
朝、涙ながらに妃沙の手を握って言う彼の表情を思い出し、妃沙はフッと険しかった表情を緩めた。
捨てられた子犬のようなその表情は、悲痛な想いの知玲の心情とは裏腹に、なんだか妃沙を安心させてくれるものであった。
試合になれば、知玲もきっとそれに集中するだろうけれど……妃沙の事もちゃんと応援してくれているのだと、心から実感出来たから。
そして渡されたスポーツドリンク……知玲のお手製だというそれは、前世から考えればもう三十年近くスポーツに打ち込んでいる知玲が編み出した最高バランスの栄養と味を兼ね備えた物である。
(──あー、元気百倍! やっぱ試合は楽しいしな! 行くぜ、妃沙! 長引いたら体力で勝る相手に有利だ、このセットで勝負を決めんぞ!)
パンパン、と頬を叩き、気合いを入れ直す妃沙。
知玲のくれたドリンクは、何故だか心まで奮起させてくれる力があるようである。
それが何故なのかは……今はその味がとても好みだったから、ということにしておこうと思う妃沙であった。
そして相手側のサーブで始まった第二セットは、第一セットを上回るラリーの応酬であった。
このセットで勝負を決めなければ勝機が薄いと考えている妃沙だが、このセットを取られてしまえば敗北が決定してしまう相手もまた必死である。
既に妃沙達の学園、鳳上学園が優勝を決めてはいるが、相手とてこのまま黙って引き下がる訳にはいかない。
名門校としてのプライド、そしてここまで苦しい練習をこなして来たのだからという想いはどの選手とて同じなのだ。
(──クッソ、ねちっこいテニスしやがるぜ! 球も重いしパワーは上だ。コースを打ち分けて引っ掻き回して消耗させたいとこだけど……相手もそれは同じだよなッ!)
パーン、パーンと心地の良い音を響かせてストロークが続く。
かつて、触れもしないスピードにはどんなパワーもテクニックも通用しないと充に語った妃沙だけれど、この場合、彼女のスピードは『触れもしない』と言うには値しないと見えた。
第一セットこそ得意のスピードで撹乱する事が出来ていたのだが、第二セットではそのスピードも落ち、逆に相手のパワーに押され気味である。
「デュース!」
最初こそ妃沙がリードしていた得点も、徐々に相手に積まれて行き、ついには同点になってしまっていた。
自分の体力がだんだん限界に近付いて行くのが解る。
だから妃沙は少し、焦っていた。そしてその焦りが些細なミスとなり、正確だけが取り柄だった妃沙の球筋に微妙な変化を見せる。
経験不足な妃沙と違い、経験豊富な選手である相手がそのミスを見逃してくれる筈もない。
「アドバンテージ、サーバー!」
ついには相手にポイントを許し、妃沙にピンチが訪れる。
勝ちたい、という強い想い。けれど、それとは裏腹に体力はどんどん消耗していく。
ゲームカウントも、最初のアドバンテージを徐々に詰められ、ポイントが並ぼうかという勢いで相手に加算されて行く。
──負けたくない、負けたくない!
想いの強さでは、恐らく妃沙の方が勝っていたのだろうけれど……いかんせん彼女は小柄で体力もなく、このままタイブレークにもつれ込んだら恐らくこのセットは持って行かれるだろう。
一方の相手はだんだんと妃沙の弱点を見極めており、妃沙を翻弄して体力を奪う作戦なのか、ギリギリで妃沙が拾える範囲の右へ左へとコースを打ち分けて来ていた。
──負けたくない、負けたくない! だけど……。
妃沙の脳裏に、一瞬だけ「敗北」の文字が見えかけた、その時だ。
「諦めるな、妃沙!」
やたらと良く通る声が妃沙の耳に聞こえて来た。
妃沙が聞き違える筈もない、その声は──知玲だ。
彼も今日、試合があった筈なのに、もう勝って自分の応援に来たとでも言うのだろうか?
なお、知玲の試合結果に関しては絶対の自信を持つ妃沙である。剣道で負ける姿なんて全く想像出来ないのだから……それこそ、前世から、ずっと。
「……諦める? どなたに仰ってらっしゃるのかしら、知玲様ったらっ!」
渾身の力を込めて打った球は、見事に相手の隙を付いてコートのギリギリでバウンドしていた。
「デュース!」
妃沙にポイントが加算される。
そう、ここに知玲がいるのなら、彼女は絶対に負ける訳にはいかないのだ。
──正義の味方は、絶対に負けてはいけないのだから。
───◇──◆──◆──◇───
「ゲームセット! アンド・マッチ・ウォン バイ、水無瀬! スコア イズ 6-4!」
審判の声が響き渡り、激戦を制した選手二人がネットを挟んで握手を交わしている。
「楽しい試合でしたわ! 有り難うございました!」
妃沙のその言葉に、相手も満足そうに微笑んで「こっちこそ有り難う!」と応じてくれた。
全力を出しても引かれることはなく、ましてや相手からこんな言葉を言って貰えるなんて、前世の妃沙からすれば奇跡である。
けれど、この身体でならこんな高揚する場面にもまた立つ事が出来るかもしれない。その確信めいた未来予想図を持ち得る事が、妃沙はとても嬉しかった。
そしてコートから出れば、テニス部の選手の面々だけでなく、コートサイドでタオルや飲み物等を用意してくれていたテニス部で出来た友人──宝生 友芽が涙で顔をクシャクシャにして出迎えてくれた。
「妃沙ちゃん、格好良かったよ……!」
そうして、妃沙の為に用意してくれたのであろうタオルで顔を覆い、号泣し出す友芽に、妃沙は思わず苦笑して「ありがとうございます」と呟き、ポンポン、とその頭を撫でてやる。
勝てて一番嬉しいのは、勿論自分だ。けれど……自分の勝利を自分の事のように喜んでくれる存在もまたとても愛おしいものなのだと、改めて実感する妃沙。
「マジすごかった! ボールがパーンでスマッシュがドーン! って感じで!」
「……海、遂に人間の言葉すら忘れたの?」
「靡く金髪は黄金の微風の如く爽やかに……」
「真乃先輩、中二ポエムは心の中に綴って下さい。テニス部一同が同類だとは決して思われたくないので」
阿呆な男テニ三年生の男二人に痛烈なツッコミを入れるのは女子テニス部部長・紫之宮 凛と男子テニス部次期部長の玖波 聖だ。
だが妃沙は、彼らの歓迎を全身で受け止めながら、瞳ではある人物を探していた。
と、そんな妃沙に真っ先に気付いたのは、意外なことに聖であった。
「水無瀬、東條先輩ならもう道場に戻ったよ。自分の試合は終わったけど、他の試合も見たいし、ちゃんと挨拶もしたいからって。
……まったく、君が諦めかけたあの瞬間にだけやって来て声を掛けて風のように去るとかさ……どんだけヒーロー属性なの、あの人?」
呆れたような声色で、知玲の不在を教えてくれる聖。
だが、妃沙にとってはその方が都合が良かったかもしれない。今、この上がりきったテンションで知玲と対面するのは、彼女には少し怖かった。
余計な事を言ってしまいそうだったし……何より、知玲の言葉が一番心に響いたから勝てただなんて、他のテニス部員達には聞かれたくなかったのだ。
たとえそれが、周囲には丸解りだったとしても、テニス部的にはそれはやはり面白くない事実であったので、暗黙の了解で知らんぷりだと全員の気持ちが一致団結する。
「ほうじょおおおおーーーー!! 優勝……っっしゃアアアアーーーー!!!!」
自身は相当の実力者であり、全国大会にも名を連ねる程の選手である藤咲 海。
団体での優勝という目標が達成された事に喜びを爆発させ、絶叫した。
彼にとり、団体の優勝は、テニス部全員の力でもぎ取ったという他に心を寄せる女子テニス部部長・紫之宮 凛とのダブルスで勝利する、というもう一つの目標をも達成した事もあり、今、そのテンションはマックスであった。
シングルスの代表を後輩に譲るしかなかった彼女の口惜しさは……彼が一番理解していたから。
「……みんな、ありがとぉぉぉぉーーーー!!!!」
この試合で引退となる凛。
彼女もまた、複雑な想いを抱えていた。
一人では、部の為に役に立つ事は出来ないけれど……海と一緒なら。彼のクセや想いを一番理解し、それを活かす為に動く事に注力して来たのだ。
……けれど、この試合で引退、という場に立ち、海とのコンビネーションもこれで解散かと、止めようと思っても涙が勝手に流れてしまう。
だがそれを海とのコンビ解消が寂しい涙なのではなく、優勝が嬉しい歓喜の涙だと捉えて貰う為の……半分だけ嘘の、その言葉。
周囲もそれは理解しているのか、ただ今は、引退する三年生達に優勝の喜びだけを感じて欲しくて、声を揃えて叫んだ。
「鳳上、バンザーーーーーーイ!!!!」
全員が……妃沙はおろか聖でさえも涙で顔をクシャクシャにして円陣を組み、重ねた手を天に掲げる中学生。
心に抱える想いはそれぞれではあるけれど……その光景はまさに『青春』の一コマであった。
ましてや、妃沙や聖、黙っていれば美形の部類に入るであろう海や銀平といった目立つ容姿の彼らが集っているのだ、他校の選手はおろか、少ないとは言え取材に来ていた雑誌記者達がその光景を写真に収めて行く。
そして更に、彼らに敗北した選手たちやこの大会に参加していた学校の選手たちがその麗しい青春の一コマを携帯に収め、次々にSNSに投稿すると、それはあっという間に拡散され、この時の選手であった海、凛、聖、倖香……そして妃沙はあっと言う間に全国区に素顔が晒されてしまうことになった。
もっとも、元々が良家の子女が通う事で知られ、何故だか美形が集う事で有名な鳳上学園中等部だ、四名は「さすが鳳上!」程度の反応で済んだのだけれど。
「天使がいる!?」
「ヤバ、マジかわいい、この娘だれ!?」
「人形じゃねーの?」
「特定班、解析よろ!!」
妃沙の与り知らぬ場所でそんなやり取りがなされていた。
だが、警察組織トップの父を持つ知玲によってそれは対策され、妃沙の情報が世に出回る事はなかったので彼女の平穏が乱れる事はなかったのだけれど。
「……妃沙のせいで疲れた……。癒してくれるよねぇ、水無瀬 妃沙さん?」
凶暴な微笑みを浮かべて自分に迫る知玲に身の危険を感じ、
「……お、仰せのままに?」
理由も解らないまま、ついその脅迫に応じてしまった妃沙が、とある一日を知玲に引き摺り回され、挙句、東條家にお泊りとなった上に同じベッドで寝る事になってしまったのは……また別のお話。
◆今日の龍之介さん……?◆
知玲「ごめん、今日の所は余韻に浸らせてあげてくれるかな……?」(グスッ←貰い泣き)




