~プロローグ~
ものを語るためには、対象となるものがなくてはいけないけれど、それは時に特定の人だけとは限らない。人だけとも限らない。心に語りかけるという意味で、木々たちとも語れるような形にしたいと思っています。
6時前にその少女とすれ違うことに気が付いたのはいつのことだっただろうか。桜の花びらがすっかり消えてしまったころには顔見知りになっていた。相手が気がついていたかどうかわからなかったのでちゃんとした出会いは、つつじがきれいに咲きそろったころだった。それまでの私は、その時間に帰宅の途につくなど考えられないほど不規則な生活をしていた。きっと少女は、いつもと同じ時間に同じ場所を通っていたのだろう。そういう意味では、私は新参者であった。桜の木はもとより、四季を彩る様々な木々が植えられている道であることに気が付いたのは、この四月からであった。その時も毎日彼女はこの道をいつも通っていた。一度だけ、彼女が歩きの前に立ち止まって独り言のように語っていたのを聞いた覚えがある。最初は、携帯電話でもしているのだろうと思っていたがそういうわけではなかった。どちらかというと、桜の木と話をしていたように見えた。
私には、不似合いな光景なので、立ち止まることはなかったが、その姿があまりにも自然なので、足を緩めて二人の会話を聞くともなしに聞いていた。
「またお会いしましょう」
木からの返答はなかったが、桜の花びらがひらひら散っていた。髪の毛にひとひらふたひら花びらをのせ彼女は去っていった。
紫色の花びらが鮮やかに見える季節になり、ようやく彼女と話す機会を持った。
「きれいにさいてくれてありがとう」と花びらに顔を近づけて語りかけていた。
「雨は好きではないのですが、花びらたちが元気のなるのだから、やはり必要なのですね」
それが私に投げかけられた最初の言葉だった。後ろ姿で私に問いかけるので、聞くともなしに聞いていた。彼女はようやく振り返り、私に同意を求めるように笑顔を向けた。
私は、曖昧に首をかしげただけだった。それでも彼女はお構いなしに、「ツツジのために雨が降ると思うと雨も嫌なものではないですね」
「私は、雨でも平気だよ」
「濡れても平気なんですか」
「都会は、雨に濡れない場所が多いし、ここも木々に囲まれているから」
「雨の中、傘を差さないで歩くのも面白いかもしれませんね。でも、濡れるのはイヤ。」
話はそれで終わり、5時50分から6時までの間が彼女とすれ違う時間。もちろん、毎日ではないし、会わないときのほうが多い。彼女は、他の人にもこうやって話しかけているのだろうか。
ひまわりの咲いたことにあった彼女は、黄色い真ん丸な花のように満面の笑みで夏を楽しんでいた。笑顔の種をみんなにばらまくように満面の笑みでそこここの木々に語りかけていた。彼女が通った道に笑顔の花粉がばらまかれたように華やかになった。
彼岸花が咲く季節に、聞かれたことがあった。
「彼岸花って血の色というけれど、本当にそうだと思いますか」
「僕は、血の色というよりも夕陽色と思いたい。一日の最後に真っ赤に燃え盛るものをみせて沈んでいく夕陽のようなイメージを持っている」
「これは、人々に明かりを灯す色です。行くべき道を指し示すための灯の役割をしています。決して血の色ではありません」
「じゃ、モミジは、何色なの」
「モミジは、悲しみの色です。一年の終わりを告げる悲しさと、別れを知らせる寂しさを感じる色です。モミジに別れは似合います」
モミジが色づくころに彼女と会う機会が減った。彼女が何者かはわからない。木々が葉の代わりに霜を付け始め、新しい年になっても会うことはなかった。久しぶりにあった時が本当の別れの時になった。
梅の花がちらちらさき、ようやく春の日差しを感じ始めた時に彼女は、梅と話をしていた。「ようやく、花が咲き始めたね」
珍しく、私から話しかけた。私のほうを向こうとしないで「私が見えなくなったら梅の木に結んだ手紙を読んでください。」
彼女が話しかけていた梅の木には、白い紙が巻かれてあった。
「おみくじかと思った」軽口をたたいてみる。
「吉と出るか凶と出るか」つぶやくようにささやいた。
その言葉を語りかけた時には、もう後ろ姿を見せていた。「何が書いてあるの」
「お楽しみ」
その手紙には、感謝の言葉とこれからの生活のことそして、お願いしたいことがあるので、その時期が来たら連絡くださいと連絡先が書いてあった。いつその時期が来るかは書いていなかった。
その時期が来たと思う。違っているかもしれないが、「またお会いしましょう」と言っていた桜の花が散る時期が来た。今年は、雨が降り、風が吹いたので、昨年よりも早く散り始めてしまったが、あの言葉は、私にも語りかけていたことは今だからわかる。私も、彼女のことをきっと待っていたのかもしれない。そして、私が他の前用とする願い事も。
すぐに私であることが分かったようだった。
「きっと今日だと思った」
「待っていた」
「わかっていた」
そして、すぐそばに彼女がいることもわかっていた。今私は、あの桜の木の前にいる。
「きっと連絡してくれると思っていた。わかっていた。あなたならこの木々たちにいろいろなことを話してくれると思った」
「願い事はそのことかい」
「時々でいいの、でも私もこの場所へは、そう頻繁に来られない。もしかしたら、ほとんど来なくなるかもしれない。でも、あなたならこれからもここを通ってくれるでしょう。
この木々は、話を聞くのが大好きなの。そして、この木々たちも話をするのが大好きなの。あなたなら、きっと話してくれたり、話を聞いてくれたりしてくれると思った。だって、楽しかったんですものこの一年の間。私があまりこられなかった時でも、この木々たちに話をしてくれたり、聞いてくれたりしてくれてありがとう。私を受け入れてくれて、この木々たちを受け入れてくれてありがとう。毎日じゃなくてもいい。いつかは来られなくなる日が来ることもわかっている。だからそれまで、お願いしてもいい。」
「君からの手紙うれしかった。僕は、そういうのに慣れていなかったから、どうすればいいのかわからなかった。でも、素直にうれしかった。君こそ、僕のことを受け止めてくれてありがとう。君の笑顔は、素敵だったよ。短い時間だったけれど君に出会える時を楽しみにしていた。そうだね、これからは、この木々たちに語ったり、語られたりすればいいのだね。僕の残りの時間、できるだけ彼らと一緒に過ごそうと思うよ。もちろん、君がここにいなくても君にも語りかけようと思う。それが、僕からの返事だ」
「どんなことを語ればいいのかい」
「なんでも」
「なんでもって、僕はあまり話が上手じゃないよ」
「あなたの話したことが、この植物たちの栄養となるの。キットいい花を咲かせるわ」
「じゃ、君にも伝わるようにこの木々たちにお願いしよう」
「わたしも待っているわ」
「一つの物語でも、語る人や場所、時間によっていろいろな形ができるはずだよ。君と一緒に物語を作っていこう」
彼女はうなずくようににっこりと笑い、花たちは、その花びらをやさしくふりそそいだ。
語るころでしかできないことがあるはず。誰かに語りたいものがあるときに、語れる場所があることを幸せに思っています。とりあえず、特定の人が満足できるものをつるれればいいと思っています。