そうまとうってやつですか
『青光石』と書いて、『らぴすらずり』と読む。
諸氏におかれては、唐突に何だと思われるかもしれないが、私にとっては不愉快なことに、常に膝を突き合わせておかなければならない『私の名前』なのである。
こんな明らかに子供の将来を考えない、己のメルヘンな欲望に突っ走った結果丸出しの名前をつけてくれた両親には、本当に落涙するほど感謝している。
思わず日に三度両親の浅慮を呪ってありあまるほどだ。
全国にいるかいないかも分からない同士のらぴすらずりさんには申し訳ないが、私にとってこの名前は甚だ不本意というかもはや呪いの一種でしかない。
私ののっぺりしたモンゴロイド顔に、この名前の語感、字面がもたらすD○N感ならぬかわいらしさは、ミスマッチを通り越して面の破壊力である。もはや滑稽ならぬ酷刑である。つまらぬことを言ってすまぬ。
相性の悪い二人が一生を添い遂げなければならないなど、不幸以外の何者でもあるまい。
本人がこれほどの違和感を感じている名前であるからして、周囲も同様の感想を抱いたらしく、からかわれることしきりの幼少期だった。
子供というのは、実に異物に対して敏感だ。
未だ己が何者か知らない、十把一からげ、目くそ鼻くその精神年齢にも関わらず、自己が所属する集団の中から毛色の変わった何かを無理やりにでも炙りだして、あれこれ攻撃せずにはいられぬ性がある。
それは、生体内の病原体を感知して攻撃する免疫系にも似ているが、必要過剰で執拗かつ悪質だ。
病原体の立場におかれた私としては、誠にやっていられない。
悪さをしているわけでもないので、静かに放っておいてくださいというものだ。
似合わない。変。重々承知していますので、鬼の首をとったように高らかに指摘しないでいただきたい。
調子に乗って、背中に蹴りも勘弁して欲しい。
そりゃあ、私の顔が名前に負けない美貌であったなら、この葛藤もついて回らなかっただろうし、周囲にも自然に認知されただろう。
だが、不釣合いなその組み合わせは、歪みの結果をもたらした。
たかが名前。されど名前。些細なきっかけでも、常について回るものであるからして、その子供を地獄に叩き込むには充分な素地がある。
昨今、自分の子供に個性的な名前をつける若いご両親が増えているそうだが、一言いわせていただきたい。
自己満足の前に、もし自分がその名前をつけられたら、と相手の立場になって考えてください。
こちとらあんたがたのペットの犬猫やましてアクセサリーではないんですよ。
まずはてめえの顔見て考えろや。
らぴすらずりって面か。
とりあえず遺伝子舐めるな。
親が鳶なら子も鳶、そうそう鷹になることはありませんので、夢見がちも大概にしてください。
分を弁えろという話です。
一言のつもりが、長々しくなってしまった。
どれほど私の鬱憤がたまっているのか、恨みつらみが深いのか、少しなりとも察してもらえれば、誠に嬉しい。
そういうわけで、私がやや中身が歪んだ恨みがましい性格になり、年々更にツイストがかかってきたとしても、故なきことではないとして、頭の隅あたりに放置していただければ大変ありがたく思う。
さて、かような仕儀であるから、行き場のない怒りを鬱積し続けた結果、ある日私は――爆発した。
「お前、名前と顔があってないよな。変。すっげえ変。その顔でらぴすらずりとか、ありえねえよな。恥ずかしくないの? きっしょーきっしょー」
なんという頭の悪い、程度の低さが露出されまくった悪口であろうか。
小学生の思いつく悪意の発露とは、得てしてそういうものかもしれないが、当時の私にはその低レベルさが非常に腹だたしいものであった。
掃除の時間なのだから、黙って掃除しろ。黙々と廊下を雑巾拭きしながら心中罵る。
注意すれば、余計に騒がれるのは分かっていた。
彼は、私の反応を引きずりだしたいのだ。
相手にすれば喜ぶだけだ。
そうとわかっていて、目の前に餌を放り出してやるほど馬鹿馬鹿しいことはない。
付き合うことはない。
苛々しながら、私は雑巾を汲み置きの水をたたえたバケツに浸しに行った。しかし、相手はまとわりついてくる。貴様、暇なのか。心底暇なのか。
透明であった水は、雑巾を洗う内に、真っ黒になってしまった。突っ込んだ雑巾も手も黒々とした淀みの中に見えなくなってしまう。
そこで、先ほどの台詞が多少のアレンジを加えて繰り返された。
まあ、あれだ。
最後の一押しってのは、なかなかどうして、どのタイミングで堤防を決壊させるのか、やった方もやられた方も分からんものだ。
高校生になった今であれば、無視できただろうその耳障りな囃し立て方が、どこをどう突いたのか、ついに私の堪忍袋の緒とやらは、景気よく弾け飛んだ。
私の中では暗黒の木曜日だった。
ウォール街のトレーラー達が阿鼻叫喚状態になって紙切れになった証券を手にひゃっほーと空中に紙ふぶきしてた。
べしゃり。
囃し立てる妙な踊りのポーズのまま、相手の顔にぶん投げられた黒い雑巾が張り付く音。
そのまま顔面をずるずると落ちていく。
呆然としていた。
彼も、周囲の子供たちも。
一瞬の恐ろしいまでの静けさの後、驚いた顔の彼はくしゃりと顔を歪め。
つんざくような悲鳴を上げた。力の限り泣き叫ぶその姿に、私は眉根を寄せた。
うるせえ。
たちまち、教師が駆けつけ(誰か呼びに行ったらしい)、事情を問いただし、周囲の子たちは口々に佐々木さんが山田くんに雑巾を投げつけましたと証言した。
間違ってないです。
若い女教師は信じられないと目を見開き、中堅の男性教諭も「なぜこんなことをした」と詰問口調で問い詰める。
私はだんまりを通した。
名前をからかわれたから、と言うのは私のちんけなプライドが告げ口することを許さなかった。
子供には子供の仁義がある。
くっだらねえ、実にくだらぬルールだが、破ったらそれこそ外道である。
相手が外道だからといって、何で自分が外道になる必要がある。
死んでも口を割るもんかと私は思い込んだ。
女教師も男性教師も「こんなことをするなんて、人として恥ずべき行為だぞ。山田くんに謝りなさい」的なことを言って来る。
私は唇を戦かせながら、必死に考えていた。
教師の言うことも一理ある。
確かに、雑巾はやりすぎた。謝るのはやぶさかではない。
大人二人にあれこれ言われ、周囲の子供達に様子をガン見され、山田はうわんうわん泣いている。
遠くで大輔がおろおろしているのが視界の端っこに入る。
これなんてカオス。
さすがの私も目の縁に涙が盛り上がりそうになって、ぎっと歯を食いしばった。
いちばんしんどいのは、やり過ぎた、と自分が分かっていること。
投げつけた瞬間に、すでに後悔は走っていた。だが、投げたもんは、覆水盆に帰らず、山田の顔に帰着した。
だから、悔しいけれど、謝ろうとした。
食いしばる歯の隙間から謝罪の言葉が零れ落ちそうになった矢先だ。
だが、どこにもいるものだ。
おせっかいやろうが。
「違います。先にからかったのは山田くんです。彼が、佐々木さんのらぴすらずりという名前を変だ、気持ち悪い、似合わないと囃し立てたんです。佐々木さんはそれに怒ったんです」
八王子夜音。
私は、こいつが。
だいっっっ嫌いだった。
まあ、そうだったの、と女教師が驚きの表情で八王子夜音と私の顔を交互に見やる。
そうか、と男性教師も難しい顔をする。
いやいやいや、お前ら正気になれ。
やり過ぎたのは私だ。
なんだか、変な方向に空気が流れ出した。
結局、喧嘩両成敗ということになった。
二人とも同時にごめんなさいしましょう、と気持ちの悪い提案がなされ、それはすばらしい的空気になる中、結局私は謝らなかったため、頑固で扱いづらい問題児、というレッテルがべったべたに張られた。
間違ってないけれど。
間違ってませんけれど。
罰として、一週間、奉仕活動をすることになった私。
異存はない。
廊下をぴっかぴかにしてやるわ。
解散になった途端、八王子夜音が追いかけてきた。
「佐々木さん、どうして謝らなかったの?」
おめえの提案に乗るのがシャクだったからだよ。
無言の私に、なにやら斟酌したのか、八王子夜音はうなずいた。
「でも、山田くんも悪いよね。らぴすらずりって、とってもきれいでかわいい名前だと思うよ。ご両親が一生懸命考えてつけてくれた名前を馬鹿にするなんて、許せないことだと思う。佐々木さんは、悪くないよ」
失せろ馬鹿。
雑巾投げつけたら、悪いに決まってんだろ!
両親が一生懸命考えて名づけてくれただと!?
子供の将来考えたらこんなけったいな名前つけるわけねえだろうが!!
お前は顔と名前がつりあっているからいいよな。
なんちゃら人とのクォーターで、彫りの深い顔立ちと、光の具合で金茶に透けてみえる頭髪、ああとってもお似合いだ。
一生添い遂げろそのD○N。
私は完全に奴を無視した。
山田よりも、こいつが嫌いだ。
こいつなんか消えろ。
現在の私なら、こう言ったかもしれぬ。過去の私、嫉妬乙、と。
とにかく、あう、あわないってものがある。
八王子夜音は、なにかにつけて、学年一の問題児童である私のことを気にかけたり、庇ったり、そうすることで自分は優しいと確認しているように思えた。
当時の私がそこまで考えていたのかはよく分からないのだが、本能的に何か嫌な感じ、と思っていた。
八王子夜音は完全無視する私に諦めたのか、ついてくるのを止めたが、私はずんずんと歩いて下駄箱まで来た。
そしたら、山田が泣きはらした赤い目で立っていた。
私は口を開いた。
「ごめん」
山田も言った。
「ごめん」
謝りたいと思ったら、謝るさ。
山田は、へへって笑った。
私もうへへって笑った。
お互いに照れ照れして、夕日をバックに、拳をがっと交差させた。
山田の名前は『光宇宙』。聞いて驚け、見て笑うな。これで、『ぴかちゅう」と読む。弟は、『雷宇宙』で、『らいちゅう』らしい。
この小学校で、二匹目のぴかちゅうゲットだぜ、である。弟は、一匹目ゲットだぜ、である。
彼もまた親のエゴの被害者であった。
今なら分かる。同属嫌悪ってやつだ。
彼とは、今でも親友だ。
ちなみに、私も彼もこの後、通称名を使っている。
私は佐々木『さつき』。元々、うちのばっちゃが猛攻して、『らぴすらずり』は止めんさいといってくれた際に、第二候補で上がっていた名前だ。ばっちゃよ、なぜもっと言ってくれんかった。なぜこのばっちゃをして、うちのD○N両親になった。恨んでも仕方ない。
なお、彼は山田『とうご』。
ゆくゆくは、この通称名の使用年数を実績に、改名予定である。
大輔は、時々間違えてらぴすちゃん、と言っていたので、しばいておいた。
今は、さつきちゃんで統一しているから。
でも、もう。
あの日があまりにも遠い。
山田ぁ。
私、改名できんかもしれんわ。
未成年でも一五歳から改名は可能だが、やはり年齢がネックになる。
だから、大学進学を機に、一度家裁に行こうと思ってたんだけれど、今こんなわけの分からん世界で、異世界人に追い回されてるよ。
点々と路地に残される血痕。駄目だ、駄目。
これじゃ目印になる。
目の前もかすむ。
目覚めろ、私の暗黒パワー。
目覚めません。
分かってた。
私って、しょせん主役になれない女だよね。
らぴすらずりなんて名前のまま死にたくない。
「おいっ こいつじゃないか!?」
ほとんど視力が失われ、ぼわぼわと変な耳鳴りもする中、ただ、その声だけは。
「捕らえろ!!」
悪意に満ちたその複数の声だけは、はっきりと聞こえた。
分かってた。
ヒーローなんて現れない。
救いの手なんて現れない。
現実ってこんなものさ。
ところで、これは本当に現実なの?
悪い夢なんだって。
大輔は死んでないし、私は左腕が皮一枚でつながっているなんてこともない。
私は人殺しもしていない。
大学には進学する。
経済大国日本、未来は輝いているんだ。
こんなところで、死にたくない。
しにたくないよぉ。
御願い。
何でも捧げる。
何もかも捧げる。
だから。
こらえ切れない涙がぼろぼろと零れ落ちた。




