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このせかいのなまえ

 

 何度も何度も背中を切りつけられる。

 背中が熱い。

 もう悲鳴を上げることすらできない。

 縮こまり、必死に大輔の上に覆いかぶさった。

 死んじゃうよ。

 死んじゃうよ。

 大輔が死んじゃうよ。

 私の身体じゃ、大きな大輔を庇い切れない。

 止めて。

 許してください。

 謝ります。

 私が調子に乗っていました。

 だから。

 御願いです。

 もう止めて。


「あら? まだねずみ退治が済んでいないの?」


 鈴の音を転がすようなその声に、間断なく切りつけるその動きが止まった。


「殿下方。このような不浄のところに、御身をお運びになってはなりません」

「まあ、黒の万騎長は、見かけによらずこうるさいこと」

「しかし、私は姫殿下に剣を捧げ、その御身を守護する者でありますれば、」

「もうっ」

「ユリアよ、そう目くじらを立てるな。この男は、そこな魔導師と違って、頭が石でできておるのだ」

 

 更に、もう一人、聞き覚えのある男の声。


「殿下方!」

「なんでもよろしい。はやく、その魔物の手先を片付けておしまいなさい。異界から招いた六人のうち、二人は裏切り者と私の託宣に出ています。きっとこの二人ね。ナイト様はお優しいから、こ奴が帰りたいといえば、ご意思をお曲げになってしまわれるかもしれないもの」

「そのとおりだ。アクアを帰すわけにはいかん。先に、揃いの六を四に削れ。はじめの数を損なえば、帰還は不可能になる」


 場違いに涼やかな男と女の笑い声が朗々と反響する。

 そして、私は、めった刺しにされた。

 何度も何度も、鋭い灼熱の痛みが身体を穿つ。

 駄目だ。

 大輔まで届いてしまう。

 駄目。

 止めて。

 御願いします。お願いします。


「ふん、この女、命乞いしているな。実に見苦しい!」

「本当ですわ、お兄様。ナイト様と同じ世界からきたとは到底思えない愚物ですわ!」

「アクアの足元にも及ばん、醜い女だな。さっさと片付けろ」


 止めて。

 やめて。

 私は謝った。

 許されない。

 今度は祈った。

 助けてください。

 誰か助けてください。

 神様、御願いだから、助けてください。

 でも、誰も助けてくれない。

 誰も、救いの手なんて現れない。

 秘めた力が目覚めるなんてこともない。

 ただぐちゃぐちゃにされる。

 まるでずた袋に穴をあけるみたいに、ぐちゃぐちゃに突き刺される。

 痛い。

 痛い。

 いた

 い

 あ


「ああ、もう死んだか? 反応がないな。伝統にならい、皮袋に詰め、ユルドゥズの河に流せ」

「まあ、死んだ寵姫と同じ処遇にしてやるなんて、お兄様お優しいですわね」

「ふ。ユリアよ、いつまでも不浄の場にお前のような者があるのはやはり似合わん。黒の万騎長のいうとおり、そろそろ退散しようではないか」

「殿下方、ぜひともに」

「黒の万騎長が心配顔ですので、殿下方、僕が上までご案内いたしますよ」

「魔導師長よ、任せたぞ」


 

 


 











 そして私は目覚めた。

 



 皮袋の中で目覚めた。

 皮袋の外は水。

 濁流の中に、私は目覚めた。

 この苦痛を、言語にあらわすことができない。

 呼吸ができない。

 頭が破裂する。

 眼球の奥の血管が爆発するような痛み。

 死ぬことができない。

 袋の中に詰め込まれたまま、身動きもとれず、何度も水中で、何か硬いものにぶつかる。

 そのたびに、身体がえぐれるような、いや、多分肉が削られていたのだろう。

 めちゃくちゃに暴れたが、左腕が動かない。

 どうなっているのか分からない。

 


 地獄のような苦しみを味わい、それでも私は生きていた。

 ようやく流れがゆるやかになり、水中から水面へと浮かび上がった時、外の世界は夜だった。

 袋は破れ、私は必死に水をかいて岸辺へと上がった。

 身体を折り曲げ、ひたすら水を吐く。

 呼吸器官がひしゃげて、うまく息もできず、血痰交じりに水を吐き出した。

 

 なぜ、と。

 ようやく周囲の状況を確認した時、六、七歳くらいの、小麦色の肌をした女の子が、ぎょっとしたように私を凝視していた。

 心臓が止まったかとすら思った。


「お、おねえちゃん、お城の星の河を流れてきたの?」


 答えることができない。黙っていると、


「あの皮袋から出てきたよね? あ、あのね。左腕がぶらんぶらんしてるの? い、いたい?」

 

 そろそろと近づいて、なきそうな顔をする女の子に、私は枯れたはずの涙がぽろぽろと零れ落ちた。

 もう痛覚がない。

 なぜ生きているのか、自分でも分からない。


「おねえちゃん、マユルのおうちにきなよ。マユルんち、お母さんとふたりくらしなの。手当てしてあげる」


 私は。

 声もなく泣き崩れた。


 


 残念ながら。

 これからの顛末を話そうと思う。

 私は、マユルのお母さんとやらの頭を石で殴打した。

 何度も何度も殴打した。

 びっくりして、凍りついたように固まるマユル。

 こいつらは、私を休ませている間に、こんな話をしていた。


「お母さん、お城の水路から、皮袋が流れてきたんだよ!」

「しっ マユル、声を小さくしなさい」

「うん、あのね、あのね、あの気持ち悪いおねえちゃん、皮袋の中から出てきたの!! マユルみたんだよ!! あのね、皮袋、中から生きている人見つけたら、お城に報告したらいっぱいお金もらえるんでしょっ マユル、みんなにみつからないようにおねえちゃんつれてきた!! だから、これからお知らせしようよ!!」

「マユル、いいこね。お母さんが見張っているから、はやく警邏兵に伝えてきなさい。これでマユルにも新しいおようふく買ってあげられるし、おいしいものもいっぱい食べられるよ。さ、はやく!」


 人生ってこんなものですか。

 お母さん、優しそうだったんですよ。

 腕も手当てしてくれて、ただ残念そうに、もう皮一枚でつながっているから、切り落とすしかなさそうだって本当に申し訳なさそうにもらい涙混じりに言ってくれて、私も涙が出てきてさ。

 ただ、突き刺されたはずなのに、どうして生きているのか、怖くて服をめくることもできなかった。

 怖くてたまらない。

 何が起きているの。

 涙の止まらない私を何度も撫でてくれた。

 全部お芝居かよ。

 私に背を向けたお母さんとやら。

 私はもう表情筋が仕事を放棄しましたので、とりあえず、このうちの家財なのか、重そうな石を見繕って、お母さんとやらの頭に振り上げた。

 気がついたマユルの目玉があらら零れ落ちそうですが、知ったこっちゃねえ。

 殴打した。

 殴打した。

 殴打した。

 マユルはへたりこんで、じわじわ黒いしみが床とスカートらしき衣装のところに広がっていく。

 マユルの上にも石を振り上げる。

 でも、私は、その石を振り下ろすことができなかった。

 子供なんだ。

 そしたら、さっき自分がやった凶行が、いまさら現実感を帯びてきて、石を持つ手がぶるぶる震えてきた。

 まあ、結論だけ言わしてくれ。

 情けなんてかけるもんじゃない。

 マユルは叫んだ。

 力の限り、金切り声で叫んだ。


 化け物がここにいると。

 ここに、ユルドゥズから流れてきた女がいると。


 私は、びっこを引きずりながら逃げた。

 ぶらぶらとゆれる左腕を押さえて逃げた。

 本当に皮一枚でつながっているから、いっそちぎった方がいいとすら思ったけれど、そんな暇も度胸もない。

 

 そして思ったの。

 ここは、地獄なんじゃないかって。

 私たち、修学旅行のバスが事故にあって、みんなきっと死んじゃったんだ。

 私は悪い子だから、地獄に落とされたんだ。

 だけどさ。

 大輔まで連れてくるこたあないじゃない。

 あいつが天国に行かないで、誰が天国行くのさ。

 大輔はさ。

 虫も殺せないやつなんだ。

 顔は鬼だけどさ、本当に優しいやつなんだ。

 私は性格悪いし、協調性ないし、意地が悪くて、口も悪くて、大輔が優しいからってあいつを顎でこき使ったりして、本当に悪い奴なんだ。

 でも、大輔だけは。

 あいつだけは。

 こんなところで、こんなわけのわからない世界で、死んでいい人間じゃないんだよ。

 ちくちょう。


 悔し涙とも悲しみの涙ともつかない熱い雫が頬を伝う。歯も砕けろと必死に食いしばる隙間から、うめき声が漏れそうになる。 


 だから。

 このせかいのなまえは、じごく。

 これで決まりだろ。

 異論は認めない。







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