森の向こうの四人
りょうが所有する二つの山。
その隣には、別の山が連なっていた。
山の麓には森が広がり、その先に小さな集落があった。
りょうたちは、その集落を目指して山沿いの森を進んでいた。
森の中は静かだった。
鳥の声。葉が擦れる音。遠くで流れる水の音。それ以外には、これといった気配もない。
先頭を歩いていたニャーレが、突然ぴたりと足を止めた。長い耳が、ぴくりと動く。
「……どうした?」
りょうが声をかける。
ニャーレは森の奥をじっと見つめた。
「人の気配がするニャ」
「人?」
「うん。たぶん、何人かいるニャ」
りょうたちは顔を見合わせた。
警戒しながら進んでいくと、しばらくして木々の隙間から小さな畑が見えた。
さらに進むと、数軒の家が建っていた。
村というほど大きくはない。しかし、人が暮らしている。畑には野菜が植えられ、井戸があり、薪が積まれている。森に隣接した山沿いにひっそりと存在する、小さな集落だった。
そのとき、家の一軒から三十代前半ほどの男が出てきた。
男はりょうたちに気づくと、目を見開いた。とりわけ、りょうの隣に立つ佐竹たち自衛隊員の姿に驚いたようだった。
「……自衛隊?」
男の後ろから女が姿を現す。彼女も佐竹たちを見るなり、驚いた表情を浮かべた。
「……あなたたちは、もしかして……」
佐竹が一歩前に出る。
「以前、ここを訪れた自衛隊員です。覚えていませんか?」
男と女は顔を見合わせた。
「あのときの……」
男が呟く。
かつて、自衛隊はこの場所に暮らす日本人たちに避難を呼びかけていた。
しかし、彼らはそれを断った。
それ以来、再び顔を合わせることはなかった。
まさか、こんな形で再会することになるとは、四人とも想像していなかったのだ。
りょうは二人を見つめた。
自衛隊から聞いた、避難を断った老夫婦。その人たちが、この二人なのだろうか。
疑問を抱くりょうに、男が静かに口を開いた。
「私たちは、転移する前は六十四歳でした」
りょうの目が見開かれる。
「……六十四?」
「ええ」
女が頷いた。
「こちらに来てから、身体の変化には私たちも驚きました」
男が続ける。
「時間の流れが違うことに気づいたのは、かなり後でした」
りょうは二人を見た。
「それじゃあ、今の身体は……」
「三十二歳です」
女が答えた。
りょうは言葉を失った。
日本で六十四年を生きた記憶と経験を持ちながら、肉体年齢は三十二歳。
この世界の時間の流れによって、四人の肉体は若返っていたのだ。
「それじゃあ、あなたたちも……」
りょうが尋ねると、家の奥からさらに二人の男女が姿を現した。
男が口を開く。
「時人一郎です」
隣の女が微笑んだ。
「妻の花子です」
続いて、もう一組の男が名乗った。
「加賀里達也です」
隣の女も続ける。
「妻の久子です」
四人。
全員、日本人だった。そして全員が、かつて自衛隊から避難を求められた人間だった。
達也が苦笑する。
「自衛隊の方々から、避難するように言われました」
花子が続ける。
「でも、私たちは断ったんです」
「なぜ?」
りょうが尋ねる。
達也は少し考えてから答えた。
「もう十分に生きたと思っていましたから」
「ここには家も畑もある。食べていくこともできる」
一郎が穏やかに続ける。
「残りの人生を、ここで静かに暮らそうと思ったんです」
それが、この四人の選択だった。
避難することを拒んだ。外の世界から離れ、この集落で暮らすことを選んだ。
そして転移が起きた。
四人は、そのままこの場所に残った。
幸い、食料と水を確保することができた。畑を耕し、家を維持し、互いに助け合いながら生きてきた。
自分たち以外の日本人が生きているとは知らなかった。自衛隊が生き残っていることも、りょうがこの世界にいることも。
何も知らないまま、ただ静かに暮らしていた。
りょうは家の中を見回した。
古びた机。日本語で書かれたノート。いくつもの瓶。そして、棚の奥には小さな顕微鏡まで置かれている。
その横に、古びた名札があった。
大学病院・薬学研究室。
りょうは名札を手に取った。
「……研究者だったんですか?」
時人一郎が頷く。
「薬理学を専門にしていました」
花子が続ける。
「私は有機化学と医薬化学です」
加賀里達也が答えた。
「私は微生物学と感染症研究を」
久子も続ける。
「分子生物学と細胞、生体分子の研究をしていました」
りょうは四人を見た。
この世界で偶然出会った日本人。
それだけではない。
彼らは、現代日本の科学を知っている。
そして、この世界にはアルカディアの病院がある。椎名がいる。ローズマリーがいる。
そして、自分には日本の知識へアクセスする方法もある。
りょうは、ふと思った。
もしかすると、今まで別々だったものが、ここで繋がるのではないか。
「ここからなら……もっと色々できるかもしれません」
達也が顔を上げる。
「色々、ですか?」
「医療とか、薬とか」
りょうは四人を見た。
「この世界で、もう一度作れるかもしれない」
四人の表情が変わった。
それは、長い間眠っていた研究者の顔だった。
そして、森の中で偶然見つけた四人の日本人は、この世界の医療と科学を大きく変えることになる。
帰り道。
ニャーレが、りょうの横を歩いていた。
「りょう」
「ん?」
「また人を拾ったニャ」
「今回は拾ってないだろ」
「でも、見つけたのはニャーレだニャ」
りょうは苦笑した。
確かに。
今回ばかりは、その通りだった。




