36. どうしたって眠れないのだ
その夜、廊下に引きずり出されたディーンは、クロニクルの前で、幼児姿のまま正座をさせられていた。
容疑者の取り調べにも使用する、魔塔の聴取室。
ぽつんと置かれたちゃぶ台の上で、魔道具のランプが輝いている。
対面で座る二人の後方では、一人の新人魔法師が書記官のごとく控えていた。
クロニクルはすっと一枚の紙を取り出す。几帳面な字で、びっしりと何かが書いてある。
「今から魔法師団の審問会を始めます」
「……今から!?」
「はい。議題は、魔法帝レティシア様に係る複数の容疑についてです」
一切の温度を伴わない、冷たい眼差し。
長旅でお腹が空いただろうと、ちゃぶ台の隅には一応カツ丼が置かれている。
「……いただきます」
「どうぞ。ただし審問は続けます」
なにぶん幼児なのでうまく掴めず、ディーンは子ども用スプーンを駆使して、もちゃもちゃと食べ始める。その緊張感の無さに、新人魔法師はごくりとつばを飲み込んだ。
「ひとつ、魔法帝私室への無断立ち入り。ふたつ、魔法帝私物の無断拾得。先日ご自身の恋心に気付いた直後、レティシア様直筆の業務メモを懐に入れましたね? 立派な窃盗罪ですよ?」
なぜそれを知っているんだ。
カツ丼を口いっぱいに頬張ったディーンが、ギクリと動きを止める。
「みっつ、水盤への無許可接触およびストーカー魔法の設置。こちらは魔法国法によりますと、不正アクセス防止法、ストーカー規制法、プライバシー権の侵害及び迷惑防止条例が適用されます」
「そんなに!? 多すぎない!?」
「同魔法による、魔法帝の動向監視もこれに当たります」
「ちょ、ちょっと待て……」
焦るディーンを前に、クロニクルは容赦なく続ける。
「上記ストーカー行為に起因する接近禁止命令も必要ですね。罪状は、まだまだあります。魔法師団長としての職務を放棄し、無断でトルティア王国へ越境した件。魔法帝に対するわいせつ目的の接近未遂」
「わ、わいせつ!? そんな、ボクはただ添い寝を……」
「最も注目すべきは、これによる魔法師団長としての威信失墜です。非常に品格を欠く行為だと認識しています」
ついにクロニクルは目を伏せ、書類をぱたんと折りたたんだ。
「以上です。刑罰は追ってお伝えしますが、添い寝について、レティシア様の許可を得ていたと伺いました。ですがレティシア様は疲労困憊で、半ば意識のないまま申されたのではないですか?」
「……」
「それを都合よく利用しようとした、という解釈もできますね」
「ぐっ……」
カツ丼は食べ終わった。ほっぺに米粒がついているが、幼児なので気付かない。
ぐうの音も出ず、幼児ディーンの顔が、みるみる青ざめていく。
「ボ、ボクは罪を問われちゃうのか……!?」
「審問会ですので、まず事実確認からですね。弁明の機会は別途設けます」
にこりともしない。
ディーンはがくりと肩を落とした。
「例え愛ゆえの行動だったとしても、お相手に気持ちが無ければそれは迷惑行為と同じです。ご自身だって、ご令嬢に迫られたことは一度や二度じゃないはず。それはお分かりでしょう?」
大人の姿ならまだ言いようはあるのだが、幼児の……それも三歳児のディーンを相手にしていると、さすがのクロニクルも可哀想になってきてしまう。
「……ですが、もし聖獣様が潔白を証明してくださるなら、この限りではありません。よく考え、行動を改め、魔法師達の良き模範となってください」
今回のことは、良い薬になっただろう。
クロニクルは、書記官を務める新人魔法師に、一つ大きく頷いた。
***
魔法国に戻ってきてから、早二週間。
天高くそびえる魔塔の執務室で、レティシアは大きく伸びをした。
夕暮れ色に染まった国土を見渡せば、見慣れたはずの景色がどこか遠く感じられる。
魔塔の外壁を伝うように咲く深紅の花は、トルティア王国に召喚される前には、まだ蕾すらついていなかった。
「いてもいなくても、結局何も変わらんな」
自分がいなければすべてが滞ると思っていたが、まったくもってそんなことはなく、レティシアが消えていた間も魔法国は粛々と回っていた。
太陽が昇り、魔法師たちは訓練をし、ディーンは書類を溜め、クロニクルはその後始末をする。
誰かひとりがいなくなった程度では、止まらないのだ。
「こんなことなら、もう少し休暇を取ってもよかったな」
《また行けばいいだろう。今度は吾輩を置き去りにするなよ?》
ヴェリアルの尻尾が大きく左右に揺れる。賛成のようだ。
「レティシア様!」
「ディーン、仕事中は静かにしろ。まったく……クロニクルにやり込められて、反省したばかりじゃなかったのか?」
あの後、最高級の刺身一ヶ月分と引き換えに、ディーンは聖獣ヴェリアルの証言を勝ち取った。
忖度されまくりの聴取はこれにより幕を閉じ、無事もみ消すことに成功した。
元の姿に戻った。何ひとつ不自由なく、毎日が順調だった。
当たり前の、魔法国の日常が目の前に広がっている。
変わったことといえば、前にも増してディーンの距離が近くなったことくらい。
それだけだ。レティシアは何も変わっていない。
いつもと同じ、書類が文字通り山となって執務机の上に積み上がっている。
隣国との交渉覚書、魔獣の出没報告、ひとつひとつは大したものではないが、増えるとさすがに目が行き届かない。
「レティシア様、こちらの書類にサインをお願いできますか」
「……ああ、分かった」
魔法師から書類を受け取り、羽ペンを取る。サインをする。次を受け取る。またサインをする。
忙しく働いている時だけは、余計なことを考えなくて済む。
あまり無理をしないでくださいね、とクロニクルが声をかけてくれた。
「レティシア様、隣国との会談の日程が入りましたが、来週の水曜日はいかがでしょうか」
別の魔法師が執務室を訪れ、手帳を開きながら割り込んでくる。
「問題ない」
「それから魔獣の出没が例年より多く、ここ最近は南部の農村でも被害が出ているとのことで――」
「討伐隊を出せ。人員の選定はお前に任せる」
「かしこまりました。あとこちら、先月のうちに返答が必要だった書簡なのですが」
「今すぐ書く。下がれ」
「は、はい」
クロニクルが退いたと思えば、入れ替わりで別の魔法師が入ってくる。
魔石の精製量についての報告、魔法陣の補修工事の許可申請、新任魔法師の配属先の確認。
次から次へと、切れ目なく。
誰も『レティシア』としては、見てくれない。
全員が、『魔法帝』として彼女を見ている。
それは当然のことだ。ここはそういう場所だ。
レティシアはそういう存在として、この場所に立ち続けてきた。
長い一日が終わり、変わらない一日がまた続いていく。
山積みの書類を半分ほど片付け、ようやく寝室に戻ったのは深夜をとうに過ぎた頃だった。
壁に掛けられた燭台が揺れ、オレンジ色の柔らかな光を部屋に満たしている。
魔法帝に相応しい豪奢な寝室で、レティシアは高い天井を眺めていてた。
前まではこの広さが心地よかったのに、何だか妙に落ち着かない。
寝台に腰を下ろすものの、冷たいシーツの感触を楽しむ気にはならず、しばらくそのまま座っていた。
静かすぎる部屋は寒々しく、きょろりと部屋を見回せば、過不足なく規則的に並べられた調度品が目に入る。
レティシアはゆっくりと横になり、枕に顔を押しつける。
目を閉じると、浮かんでくるものがある。……ここでは、誰も頭を撫でてくれない。
夜明け前に目を覚ますと、決まってロイドが隣にいた。
少しは休めと言いたいが、寝室に仕事を持ち込むこともしばしばで、咎めるように視線を送ると、『大丈夫だ』と頭を撫でてくれる。
不器用で戦いに明け暮れた大きな手が、レティシアは好きだった。
セシリオ前辺境伯夫妻もそうだ。
身元も分からない怪しい幼女を、実の娘のように迎えてくれた、
使用人達も総じて温かく、嫌な思いをしたことは一度もなかった。
「愛する人と、幸せになれたのだろうか」
考えまいとして、考えてしまう。
ロイドが選ぶなら、美しくて強くて、令嬢然として、誰からも愛されるような大人の女性であってほしい。
虚栄心にまみれて弱音ひとつ吐けない謎の幼女ではなく、きちんと隣に立てる誰かを。
レティシアはベッドに突っ伏したまま、眉を寄せる。
「くだらんな。実に非合理的だ」
そんなこともう考えたって意味がないのに。
だって私はここに戻ったのだから。
今まで通り生きていくことを選んだだけのことだ。なんの問題もない。
だが静かすぎて。広すぎて。……誰もいなくて、どうしたって眠れないのだ。
「ないものねだりだな。……馬鹿か、私は」
ただの『レティシア』として見てくれる人は、もういない。




