1. 冷血将軍の訳あり花嫁
読んでくださりありがとうございます。
※1日3話更新、5/27完結予定です(6時、12時、18時台)。
……冷血将軍の初夜は、育児書から始まった。
ゆうに三人は座れそうな革張りのソファーに、ちょこんと座る花嫁がひとり。
短い足は床に届かず、ぶらぶらと所在なく揺れている。
いつもなら酒を楽しむハズのその場所は、突如君臨した麗しき花嫁によって、ものの五分で支配された。
花嫁は手持無沙汰なのか、ぷくりと頬を膨らませている。
そして冷血将軍は先ほどからその姿を、仁王立ちで見下ろしているのだ。
「まず、『目線を合わせろ』……か」
言うが早いか片膝をつき、まっすぐに花嫁を覗き込む。
――あの、冷血将軍ロイドが。
赤子には泣かれ、動物には漏れなく吠えられ。
二十三歳になるまで、ただの一人も令嬢を寄せ付けなかった、――あの、ロイドが。
降って湧いた結婚話を抵抗なく受け入れ、さらには神妙な面持ちで、花嫁に接触を試みているのだ。
「ロイド・セシリオという。辺境の領地を治めている」
厳めしい面持ちに似合わない、丁寧な自己紹介をしたまでは良かったが、そもそもロイドの主戦場は敵地か、魔獣はびこる森である。
名を告げるのはいつも戦いの直前であるため、知らず拳に力が籠もる。
だがここは戦場ではない。
使い慣れた剣は、ただ重いだけの鉄塊に成り果て、頼れるのは握りしめた一冊の育児書だけ。
――そう。
付け焼き刃の知識だけを武器に、彼は初夜を乗り切らねばならなかった。
「どうだ、何か思うところはあるか?」
至近距離で花嫁……レティシアを見据え、「要望があるなら言ってみろ」とまるで部下に命じるかのように問いかける。
精悍な顔立ちに、強い意思を宿した眼差し。
隙のない所作はさすが武人と言ったところか。
だが近い。とにかく近い。
侍女アリエッタは心配のあまり、それはもうハラハラしながら、主の初夜を覗き見ていた。
こんなに圧をかけられては、慣れている者でさえ泣く自信がある。
さらに言えば花嫁は、どうみても推定三歳の幼女だった。
花嫁の不安を思えばなおのこと配慮が必要だが、なにぶんロイドは女性に不慣れなため、貴族らしいスマートさなど微塵もない。
アリエッタはゴクリと喉を鳴らし、いつでも現場に飛び込めるよう腰を浮かせた。
花嫁は動じることなく、キュッと唇を引き結ぶ。
ビー玉のような瞳をまっすぐロイドに向け、それから徐に口を開いた。
「……おめめ、きれい」
言うに事を欠いて、一言目がそれ……?
――どうしよう。
こっちもこっちで、おかしかった。
「まさかこの俺を美しいと褒めたのか? 皆が恐れる、この俺を?」
「うん」
険しい表情で二度聞きするロイドを前に、泣くどころか怯える気配すらなく、花嫁は先ほどから無尽蔵の胆力を見せつけている。
ロイドが戸惑うのも無理はない。
女性から容姿を褒められるのは、生まれてはじめて。
効果は抜群だったようで、初陣で大型魔獣に包囲された時のように、ロイドはピシリと動きを止めた。
「……違う。美しいとは、お前のような者をいうのだ」
(きゃぁぁああッ!?)
(おい、静かにしろ。バレるだろうが)
(いやいや無理ですって! 今の聞きました!?)
しんと静まり返るロイドの私室。
その扉の向こう側で、覗き見していた使用人達が声を殺して悶えている。
侍女仲間、執事に護衛騎士……気付けば、夜番勢揃いで覗いていた。
「おにいさま、こっち」
よく分かっていないであろう儀式を前に、それでも神妙な面持ちで、レティシアがぽんぽんとソファーを叩く。
隣に座れということだろうか。
それとも緊張に耐えかね、彼女なりに気を使ったのだろうか。
「おにいさまではない。『ロイド』と呼べ」
(~~ッ!!)
――絶対に、初夜を覗いたらいけないよ。
そう、侍女長からキツく言いつけられていたというのに。
幼少期から我が子のようにロイドを見守る、気難し屋の執事セバスチャンは、感極まったようにハンカチで目頭を押さえている。
そして花嫁の専属侍女を仰せつかったアリエッタもまた、護衛騎士を押しのけて最前列を死守していた。
見つかったら怒られてしまいそうだが、……でも大丈夫。
そんな侍女長もまたご多分に漏れず覗いており、思いもよらぬロイドの一面を垣間見て、口元を押さえながら悶絶している。
「不本意だろうが、国王陛下のご命令だ。妻にすると決めたからには、必ず幸せにしてやる」
「……ろいど、ほんき?」
「無論だ。生涯、お前だけを愛すると誓おう」
花嫁がロイドを呼び捨てなのはさておき、それは紛れもない騎士の誓い。
国王陛下から賜った、それはそれは可愛らしい花嫁への、愛の証明に他ならない。
ロイドは見た目にそぐわぬ柔らかな所作で腰を折り、そっとレティシアの手を取った。
「約束する」と呟いて、ぷくぷくした指先に恭しくキスをする。
予期せぬ結婚話。それも新郎新婦は、本日初対面である。
出自も分からぬ謎の幼女を妻にしろと命じられ、不本意なのはむしろロイドであるはずなのに。
「魔法帝が攻めてくると専らの噂だが、関係ない。俺が滅ぼしてやる」
「……」
高名なる魔法師団を従え、相対すれば魔獣ですら逃げだすと言われる魔法国の皇帝陛下。
その魔法帝に宣戦布告したロイドを見遣り、レティシアの目がすうっと細まる。
冷血将軍の異名を持ち、トルティア王国を守護する騎士ロイド・セシリオ。
だが、彼は知らない。
溺愛を誓った花嫁が、――世界最強の魔法帝だということを。
***
ここは、どこだ。
身じろいだレティシアの頬に、ひんやりとした床板が触れる。
魔力切れを起こした身体はズシリと鉛のように重く、指先すらまともに動かなかった。
「おお……光が収まったぞ!」
歓声と同時に身体を押さえつけていた圧迫感が薄れ、レティシアの瞼がピクリと動く。
力なく倒れたレティシアを中心にして、同心円状に魔法陣が広がっている。
霞む視界に、魔法師らしきローブの男が見えた。
「魔力反応はあるか?」
「わずかにあります。ですがその……取り立てて強いわけではありません」
言い淀んだ魔法師の言葉に、囲む皆々が分かりやすく肩を落とした。
重そうなローブの胸元に掲げる国章は、国境を接したトルティア王国のもの。
先ほど魔法師に問いかけた身なりの良い男は、状況から見るに国王だろうか。
武装した騎士達が護るようにして囲み、いつ魔法攻撃が来ても対応できるよう、数人の魔法師が隙なく立ち並んでいる。
天井を支える重厚な石柱の基部には、王宮建築によくある優美な彫刻が施されており、窓ひとつない広間には、じっとりと湿った空気がこもっていた。
陽の差し込まぬ、秘された場所。
祭壇が据えられていることから、何かしらの儀式を行うための部屋……それも、トルティアの王宮地下室だと分かる。
つい先ほどまで、間違いなく魔法国アストリアの宮殿にいたはずなのに。
――なんたること。
目覚めたらまさかの、敵国ど真ん中だった。




