クリスティアーノ・ティーカネン侯爵家子息
「殿下……」
一瞬、抱いている不安を口にしそうになった。
だけど、かろうじておしとどめた。
自信を持ちなさい。
これもまた、もう何百回と自分自身に言いきかせている。
そう。すくなくとも、わたしは彼を愛している。たとえこのさき、彼がわたしを嫌いになったとしても、わたしは彼を愛し続ける。
それでいいじゃない。
自分を信じ、彼を信じなさい。その強さを持ちなさい。
「わたしもです。わたしも、殿下をレディたちに見せびらかしたくありません」
そして、そう言ってから必死に笑みを浮かべた。
ひきつった笑みになっていないことを祈りつつ。
馬車は、ティーカネン侯爵家へと走りだした。
「殿下、ようこそおいで下さいました」
馬車がティーカネン侯爵家に到着し、侯爵家の使用人が扉を開けてくれ、王太子殿下が先に降り立った。
その途端、きき慣れない若い男性の声が飛んできた。
「やあ、クリス。お招きありがとう」
王太子殿下がその若い声に応じたことで、先程の声がソフィアの兄クリスティアーノのものであることがわかった。
「さあ、アリサ」
王太子殿下が手を差し伸べてくれて、それをとって馬車から降りた。
「なんてことだ。アリサ、美しくなったな」
目の前に、スラッとしたタキシード姿の青年が立っている。背が高く、ドキッとするほど美形である。
もちろん、王太子殿下ほどの美形ではないけれど。
子どもの頃の面影と言えば、メガネだけである。
こんなにかわるものなの?
クリスティアーノは、それほど変化していた。
彼は、さりげなく場所をゆずった王太子殿下にかわってわたしの手をとった。
「きみのその美しさに乾杯をしたいよ」
さわやかな笑みとともに、手に口づけをしてくれた。
「まぁ、クリスお兄様。覚えていてくれたのですね」
彼のいまの台詞は、小説に出てきていたものである。
昔、まだクリスティアーノが領地に戻る前、彼は背伸びをして大人向けの恋愛小説を読んでいた。
兄に対しても容赦のないソフィアは、それを「チビデブメガネのお兄様がご令嬢や聖女様とお近づきになれるのは、小説の中くらいですものね」と言って笑っていた。
だけど、彼はそれをまったく気にせず、小説を次から次へと購入してもらっては読んでいた。
その小説の一つに、取っ替え引っ替え貴族令嬢とお付き合いする公爵子息がいた。
当時、彼からあらすじをきいたときは、「次から次へとご令嬢とお付き合いできるなんて、素敵な公爵子息なのね」と、うっとりしていた。
ある程度の年齢になったとき、クリスティアーノが愛読していたその小説を図書館でたまたま見つけた。
借りて読んでみて、思わず笑ってしまった。
その公爵子息は、貴族令嬢たちを、というよりかはマダムたちを次から次へとだまして金品を巻き上げる詐欺師だったのである。
公爵子息は、美貌と言葉で年上のお姉様たちをその気にさせて貢がせてもいたのだ。
その公爵子息が、年上のお姉様たちに出会う場面の第一声が、「きみのその美しさに乾杯」だった。
クリスティアーノはワイングラスに水を入れ、わたし相手にごっこ遊びをした。わたしも、ほんとうのストーリーを知らなかったから、すっかりその気になっていた。
彼は、あのときのごっこ遊びを覚えていてくれたのである。
「当然さ。きみは、ぼくのスイートハートだからね」
「まぁっ、その台詞まで」
小説のその公爵は、女性たちに対してことあるごとに「マイスイートハート」と連呼していた。
「クリスお兄様こそ、すっかりかわってしまって。いまのクリスお兄様でしたら、王都中のマダムが貢いでくれるに違いありません」
「なーんだ。アリサ、きみはあの小説を読んだのかい?」
「もちろんですとも」
「きみは、うっとりしていただろう?だから、ほんとうのストーリーを伝えられなかったんだ」
彼はわたしの手の甲への口づけが終わっても、まだわたしの手を握ったままである。
すっかり外見はかわっている。子どもの頃、わたし同様暗くてイジイジしたような性格だっけど、いまは明るく社交的な感じがする。
じつは、当時彼は恋愛小説よりもバイオレンスや犯罪やミステリー小説を好んでいたらしい。
犯罪組織のボスになるのが夢で、アマートやディーノを手下に見立てて使い走りをさせていたのだとか。
そのことを、王太子殿下が後で教えてくれた。
彼は、わたしに合わせて恋愛小説を読んでいるふりをし、ごっこ遊びをしてくれたのだ。そして、性格も合せてくれていた。
それを知ったとき、思わず泣いてしまった。まだ子どもなのに、彼はわたしを気遣ってくれた。それがうれしかった。
王太子殿下がそっと肩を抱いてくれた。
そんな一幕を迎えるとは知らないこのときは、彼はわたしの横に佇む王太子殿下に視線を移してペロリと舌を出した。




