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銀座のパフューマー 香りの記憶  作者: 昼間 ネル
第三章「黒蠍(サソリ)・追跡編」

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第33話 メントールの残香

叩き割られた瓶から放たれる、鋭利な「メントールと沈香」。

その香りは、呪縛を断ち切る救済となるのか、それとも――。

守るための留置所への「隔離」、そして託された残り少ない「一週間」。

銀座のパフューマー・九条ナギの、命を削る調香レシピが今、始まる。

九条が叩き割った小瓶から、突き抜けるような**「メントールと沈香じんこう」**の香りが爆発的に広がった。それは癒やしの香りではない。脳の神経回路を強制的に再起動させるための、鋭利なメスのような芳香だ。


「……あ、……ぁ…………」


九条の喉を締め上げていた向日葵の指先から、不自然なほど急激に力が抜ける。


赤く染まっていた彼女の瞳から光が消え、糸の切れた人形のように、彼女は九条の胸の中へと崩れ落ちた。


「はぁ、はぁ……っ! 向日葵……!」

「九条、大丈夫か! 首が……ひどい痣だぞ」


近藤が慌てて九条を支える。九条は荒い呼吸を繰り返しながら、腕の中の少女の顔を覗き込んだ。鼻血を流し、深い昏睡に落ちた彼女の顔は、あまりにも幼く、無防備だった。


「……今のは、一時しのぎだ。脳内の条件付けを一時的にフリーズさせたに過ぎない」


「条件付け……。つまり、またいつ今のようになるか分からないってことか」


近藤の顔に、刑事としての冷徹な色が混ざる。彼は無線機を手に取り、ラボの外に待機させていた部下たちを呼び寄せた。


「……九条。向日葵ちゃんは、しばらく警察署で預かることになる」


九条「何だと……? 刑事さん、彼女は被害者だぞ! 必要なのは隔離ではなく、私の調香レシピによる治療だ!」


九条が立ち上がろうとするが、激しい眩暈に膝をつく。近藤はその肩を強く掴み、言い聞かせるように声を落とした。


近藤「分かってる! だが、彼女は操られていても、現に君を狙っている!……民間人を殺そうとしたんだ。今の彼女は、本人の意思とは無関係に『生きた凶器』にされている。このまま一般の場所に置くわけにはいかねえんだ」


九条「……仕方無い……留置場か……それは、それで安心できるな!」


近藤「独居房なら、特定の『匂い』を遮断できる。外部からの刺激を絶って、お前が解毒剤アンチドートを完成させるまでの時間を稼ぐ……。それしかないんだ、九条」


ラボに踏み込んできた数名の私服警官たちが、眠る向日葵をストレッチャーに乗せていく。

九条は、彼女の手首にかけられた、傷つけないための柔らかい拘束具を、ただ黙って見つめることしかできなかった。


パフューマーとしての誇りも、恩師としての情も、法の壁と「蠍」の悪意の前に、今はただ無力だった

「一週間だ。近藤……一週間以内に、彼女を支配する『鍵』を壊す香りを完成させる」


「ああ、信じてるぜ、銀座のパフューマー!」

パトカーの赤色灯が、深夜のラボの外壁を血のように染め上げる。


九条は、自分の白衣に付着した向日葵の血と、あの白百合の残り香を、呪いのようにいつまでも嗅ぎ続けていた。

第32話をお読みいただき、ありがとうございます。

今回は、向日葵の「隔離」という、苦しくも避けては通れない展開を描きました。

「生きた凶器」にされてしまった愛弟子を、あえて冷たい鉄格子の向こうへと送る。それはパフューマーとしての九条にとって、敗北にも似た屈辱だったかもしれません。しかし、近藤の言う通り、外界の「匂い」から遮断された独居房こそが、今の彼女を守る唯一の城壁でもあります。

「一週間以内に、鍵を壊す香りを完成させる」

銀座のパフューマー、九条ナギ。

彼に課せられたのは、少女の魂を救い出すための、命懸けのタイムリミット・レシピ。

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