祝宴
「全滅、だと……?」
天井の高い大理石が広がる空間に、無機質な声が虚しく響いた。
エナン国王ムンガルは、座している椅子から立ち上がった。
「十万の兵が、か……?」
絞るように出して言った言葉に、左大臣ユガラはムンガルに目を合わせられず頷いた。
「ヨナ国の兵は」
ムンガルの力のない言葉に、ユガラは声を震わせて答えた。
「負傷者は多数、しかし戦死者はおそらく五千程度だと」
豪華な大理石が敷き詰められた床は冷たく光り、部屋は静寂に包まれ、暗い影が落ちていった。
「……勝った?勝っただと?」
幼く見えるその顔は、戦から戻った兵の報告に、はじめは驚き兵の言葉を疑ったが、徐々に喜びに満ちた顔に変わっていった。
ヨナ国王トマムは側近たちが揃う集会場の椅子に座していたが、跳ねるように飛び上がった。
「ヨナ国の勝利でございます、王」
側近たちは嬉々とした顔を王に向けていた。
戦の勝利の喜びに湧き上がるその場で、ひとしきり喜びに浸かった後、トマムは、すっと真顔になり、精悍な顔つきに変わった。
「帰還するヨナ国軍をこの王宮にて盛大に迎える」
トマムは続けた。
「総大将サイと将軍たち、軍師総帥に、国をあげて褒章を差し出せ。準備しろ」
「はっ。王様!」
ざわめく集会場の中、一人の男だけは、その喜びを共有しようとはしなかった。
左大臣オンギョルは無表情で静かに集会場の扉を開け、その場を後にした。
王宮を出て自宅に戻ったオンギョルは、その奥の一室で身体を拘束されている男を見下ろした。
男は、両手両足を縛られた状態で座っており、目を布で覆われ、口に猿轡を噛まされ、声も出せなかった。
「ウィルの首を持ってこないどころか、ましてや私の目の前に手ぶらで現れるなど……」
左大臣は自室の壁に掛けてあった自身の剣を手に持ち、鞘を抜き取った。
音もなくその刃を目の前の男の首にぴたりと当てた。
「……覚悟は出来ているだろうな」
座している男の身体は震えていた。
「ウィルとシモン国が繋がっているなどという情報は、それが真だとしても、今の私にはなんの益ももたらさぬ」
男の鼻息だけが、部屋の中に響いた。
剣がオンギョルの手から振り落とされた。
血が、部屋の中で飛び散る。
倒れた男の首から、生々しい血が流れる。
オンギョルは、剣を床に放り投げた。
「ふん、まあいい。内政部副官など、私が直々そのうちすぐに追い出してみせるわ」
「ハクタカ、調子はどうだ?」
薄暗い天幕の中に、ヤンが入ってきた。
「うん、大丈夫。ごめん、ヤン。ここを占拠しちゃって」
「いいってことよ」
ヤンはハクタカが寝ている布団の横に座った。
「うちの軍医が俺に皮肉をぶつけてきたぜ。おまえは何回傷を開けば満足するのかってな」
「……ごめんなさい」
「ははっ。もうしないだろうって言っておいたぜ」
「ありがとう、ヤン」
戦が終われば刺客はハグムの前には現れない、というヤンの主張に、ハクタカは一度は怪訝な顔を示したが、ヤンが真剣な顔つきでそう言ったので、彼を信じた。
「今夜、飲みに誘われているんだ。おまえも行かないか?」
ヤンが嬉々として言った。
「どこへ?」
「決まっているだろう。ヨナ軍の将軍たちとだよ」
「い!いいよ。皆に見つかるわけにはいかないし。ヤンだけ行ってきてよ」
「何言ってんだ。戦の影の立役者が、飲みに行かなくてどうする」
「大袈裟だよ」
ハクタカは首を振った。
「あの軍師が殺されてたら、今頃こっちは敗戦してたかもしれねえんだぜ」
「うん。先生ってすごいでしょう?」
「……」
顔を綻ばせるハクタカを見て、軍師を誉めたわけじゃねえのに、とヤンは苛立ちがつのった。
「言っとくがハクタカ。あいつ、くそ性格悪いぜ?」
「……え?」
ヤンは自分が言った言葉を、すぐ後悔した。
ハクタカがハグムを褒めるのを聞くのが嫌だったのだが、ハグムを貶めるような幼稚な台詞しか言えない自分が、情けなかった。
ヤンはぐいっとハクタカの手を引き、無理矢理背中におぶった。
「や、ヤン!?何を」
ヤンはむしゃくしゃする気分を振り切るかのように明るく言った。
「飲まなくても、近くに行こう。雰囲気でも楽しもうや」
「……」
ハクタカは、ヤンが決めたことは何を言ってもきかないことを知っていたので、大人しく彼に従った。
ハクタカは大きな岩陰に隠れながら、ヤンを待っていた。
すると、ヤンはヨナ軍から拝借してきた酒と食事をハクタカの前の地面に並べた。
食おうぜ、と言ってヤンは肉にかぶりついた。
すぐ近くの野営地ではヨナ国軍は全軍をあげて祝杯をあげ、喜びを語り合っていた。
その中心に、大将軍サイ、将軍たち、シバ、カナ、ハグムが囲って食事をとっていた。
「おまえよお、あんな作戦があるなら事前に俺に言っておけよ!びびるじゃねえか」
シバは隣のハグムの首に腕を回した。
「直前に君に言おうとしたら、さっさと山の布陣の方へ行ってしまったじゃないか」
ハグムはぱし、ぱしと苦しそうにシバの腕を叩く。
「はっ!俺のせいってか?俺は死ぬとこだったんだぜ」
ハグムを睨みつけるようにシバが言う。
「いいじゃないか。生きて帰って来れたんだ。ようやく可愛い子ちゃんのところに帰れるぞ?」
「……おい、カナ。それは誰だ?」
カナの言葉にサイが笑って話に乗っかると、シバはすぐ黙ってハグムから腕を外した。
「あっはっはっは!」
カナの高笑いにつられて、周りの将軍たちも笑っていた。
カナはハグムに酒を注ぎ、ハグムに笑いかけた。
それを見たハグムも、穏やかに笑っている。
「十分だなあ……」
岩陰からその様子を見ていたハクタカは、ぽつり、と言った。
「あ?何が」
肉を骨ごと噛み砕いていたヤンは、隣のハクタカを見つめた。
「先生を大切にしてくれる人たちが笑って、先生が笑っている。これほど嬉しいことはないな、って。俺は、幸せ者だ」
満面の笑みを浮かべてこちらを見たハクタカを見て、ヤンは食事をとるのをやめた。
「おまえ、その俺って言うの、もう辞めたら?」
「え?」
「おまえには似合わねえ。おまえは女だ。男のふりは、もういらねえんだろう?」
「……そうだね。癖になっちゃって」
ヤンの言葉にハクタカはうつむき、片膝を左手で抱えた。
「直せばいい。名前だって、男名だろ?変えりゃあいいじゃねえか」
ヤンがすかさず言う。
「……そうだね」
ハクタカが苦しそうに呟いた。
それを見たヤンは、がしがし、と後ろ髪を掻いた。
「……おまえ、これからどうするんだ?」
「え?」
「あの軍師に家を追い出されたんだろ。行く当てはあるのかって聞いてるんだ」
「あ、うん。この戦中に考えて、一応。そうだ、ヤンにも相談したいことがあったんだ」
ハクタカのはっきりとした答えに、ヤンは意外そうにその顔を見つめた。
「何だ?」
ヤンがそう問うと、ハクタカは自身の思いの丈をヤンに語った。
ヤンはしばらく黙って聞いていたが、最後になってため息をついた。
「……おまえ、正気か?」
「これしか思い浮かばなくて」
上半身一帯を包帯で巻かれ、疼く痛みを抱えているだろうに、そんな素振りをまったく見せず屈託なく笑う目の前の人間を、ヤンは眩しそうに見た。
(ああ、ダメだな)
そう思うと同時に、ヤンは口にしていた。
「ハクタカ。それは危険だ。やめろ。それより、俺と一緒に来ないか?」
「……え?…ヤンのところって……シモン国!?無理無理、言葉も話せないのにそんな」
首を激しく振るハクタカに、ヤンはにっと笑った。
「そんなモン、俺が教えてやる。いいか。『俺』は『シン』。『おまえ』は『アン』。そうだな……『仲間』は、『サベク』。『俺の』は、『シヌア』、アン・ジ・シヌア・サベク。どういう意味だと思う」
「……ええ、と。おまえ、俺の、仲間?」
ハクタカはヤンの言葉を思い返してたどたどしく答えた。
「そう。『おまえは俺の仲間だ』って言った。どうだ、簡単だろ?」
ヤンはにっと笑った。
「へえ!他は?もっと言ってみて」
ハクタカは嬉しそうにヤンに聞いた。
「……シン・ジ・アンヌル・サシャル」
ヤンがぼそっと次の言葉をハクタカに聞かせた。
「えっと、俺はおまえ、の?……あとは?」
ハクタカは、いまいち意味が分からず、ヤンに問うた。
「俺はおまえのことが好きだって言った」
「ああ、へえ!そう言うんだね」
瞳を輝やかせて話すハクタカに、ヤンはぶっと笑った。
「……俺、今おまえに告白したんだけど。分かってるか?」
笑った後に、真剣な顔つきでこちらを見つめるヤンを見て、ハクタカは思わず目を見張った。
「え?……え?」
ハクタカの目が点になっている。
(……今まで思いつきもしなかったって顔だな)
ヤンは思わず苦笑した。
「俺は短気だからな。ここで返事を聞きたいところだが、悔しいが今はあいつに勝てる気がしねえ」
「……あいつ?」
ハクタカはヤンの言う人間が誰か分からず、思わず聞き返す。
ヤンはそれを無視し、すくっと立った。
「一年後、またおまえのところに来る。その時に返事を聞かせてくれ」
「え?…え!?ヤン、ちょっと待っ……」
ハクタカがヤンを呼ぶ頃には、ヤンは野営地の大将軍サイの方へ向かっていた。
ハグムがヤンに気づいて立って挨拶しようとしたのを、いい、いいと言いながら、ヤンはシバに身体の調子を聞いている。
ハクタカはそれを見ると、気づかれないようにまた岩陰に隠れた。
ヤンの思いがけない告白に、ハクタカは後になって動悸が速くなっているのに気づいた。
まさか、一国の皇子ともあろう人が、自分になど。
激しく頭を振ったあと、ハクタカは目の前にある酒に目が行った。
酒瓶を手に取り、一気にそれを飲み干した。
ヤンはしばらくサイたちと一通り話して食事を楽しむと、岩陰のほうに戻ってきた。
ヤンはぎょっとした。
人間が一人、真っ赤な顔をして倒れている。
ヤンがすぐ屈むと、そこには空の酒瓶があった。
「アン…ジ・シヌ、ア…サ、ベク」
倒れて意識もない人間が、微笑みながらそう呟いている。
ヤンは、声を出さず笑った。
そして目の前のその人間を背負い、ヨナ軍の野営地を後にした。
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