第10話 天青の覚悟
――静かだった。
いや、別におかしな話じゃない。
そもそも、この修練場は五影堂家の人間からも半ば忘れ去られた場所だ。
苔むした石柱。
ひび割れた石畳。
風雨に晒され、朽ちかけた木人。
遠くでは、闇の徒と思しき獣の遠吠えが響いている。
いつもと何も変わらない。
俺がこの世界に来てから、ずっと修行に使ってきた場所だ。
なのに。
「……くそっ」
振り下ろした木刀が、空を切る。
足運び。
重心移動。
腰の回転。
どれも、間違ってはいない。
少なくとも、以前の俺からすれば見違えるほどまともな剣筋になっているはずだった。
だが。
(……なんか、調子狂うな)
もう一度、木刀を構える。
右足を半歩引き、肩の力を抜く。
呼吸を整え、踏み込む。
――ひゅっ。
鋭い風切り音。
それなりに悪くない一撃だった。
しかし。
「……何やってんだ、俺」
我ながら、気が抜けているにもほどがある。
木刀を下ろし、大きく息を吐く。
修練場には、俺一人。
いつもなら、すぐ隣でやかましく口を挟んでくる少女がいた。
俺の剣筋に文句をつけ。
呪術の精度を指摘し。
隙を見せれば、ここぞとばかりに木刀で叩きのめしてくる。
生意気で。
負けず嫌いで。
口が悪くて。
……まあ、口の悪さについては俺も人のことを言えないが。
そんな少女が、今日はどこにもいなかった。
(……別に、元に戻っただけなんだけどな)
元々、俺は一人で修行していた。
誰にも頼らず。
誰にも教わらず。
ゲームで培った原作知識を頼りに、ひたすら自分を鍛えてきた。
その方が気楽だったし、余計な面倒もなかった。
それなのに。
たった一人、隣に立つ奴がいなくなっただけで。
「……こんなに静かだったか、ここ」
ぽつりと呟いた言葉は、誰に届くこともなく、夜風に溶けていった。
~~~~~~~~~~
結局、その日の修行は早々に切り上げることにした。
……いや、正確には。
修行を続けても、まともに集中できなかった。
というのが正しい。
「……はぁ」
修練場の石段に腰を下ろし、頭を抱える。
今頃。
あいつは、儀式に臨んでいるのだろう。
斎賀千奈津。
五影堂家の分家に連なる少女。
原作『払暁の星々』における、悲劇のヒロインの一人。
そして。
――俺を殺す、最初の災厄。
俺は、修練場の奥へと目を向けた。
そこには、苔むした小さな祠がある。
古びた石造りの社。
その周囲には、幾重もの封印札が張り巡らされていた。
以前、千奈津から近づくなと忠告された場所だ。
『あそこには近づいちゃダメよ』
『分家の連中が管理してる祭壇。表向きは古い儀式具の保管場所ってことになってるけど……』
あのときは、何気なく聞き流すふりをした。
だが、俺は知っている。
あの祠こそが、影法師降霊の儀式に使われる場所だということを。
現時点では、まだ祠の周囲に大きな変化はない。
しかし、封印の内側では既に儀式が始まっているのかもしれない。
少なくとも、今日中に千奈津がそこへ連れてこられることは、原作知識からわかっていた。
(……今なら、変えられるだけの手立ては用意できる)
俺には原作知識がある。
儀式についても、ある程度は知っている。
そして、少なくとも以前の五影堂天青よりは遥かに力をつけてきた。
儀式に干渉し、それ自体を破壊する。
あるいは、融合が完了する前に影法師を引き剥がす。
そういった方法なら、ひょっとすると。
(……いや、問題はそこじゃねえんだよな)
俺は、頭を掻いた。
千奈津は、言っていた。
『私なりに、全力でやってみるから』
『だから、邪魔しないでね』
あのときの表情が、脳裏に焼きついている。
怖がっていた。
自分が自分でなくなることを。
死ぬことを。
それでも、あいつは逃げなかった。
自分の意思で、儀式に臨むことを選んだ。
……それを。
俺が勝手に否定していいのだろうか。
(……そりゃあ、俺は未来を知ってる)
ゲームで何度も見た。
千奈津が狂い、殺し、泣き叫び、最後には破滅へと向かっていく様を。
だから、あの儀式がどれほど危険なのかも知っている。
けれど。
それは、あくまで俺が知っている未来だ。
千奈津自身が選んだ人生ではない。
原作のシナリオがどうだろうと、今この瞬間、あいつは自分の意思で前へ進もうとしている。
それを、俺が知識をひけらかして止めることは。
結局のところ。
あいつの人生を、俺の都合で決めることにならないか?
「……あー、くそっ!」
思わず、髪を掻きむしった。
面倒くせえ!
なんだ、このややこしい問題は!
俺はただ、死にたくないだけだったはずだ。
破滅の運命をぶっ壊して、生き残る。
そのために修行して。
その過程で千奈津と出会って。
……それだけだったはずなのに。
(……なんで、こんなに悩んでんだよ)
答えは出ない。
そもそも、何が正解なのかもわからない。
ただ一つ、確かなことがあるとすれば。
このままでは、千奈津は破滅する。
そして、俺もまた、原作通りの死を迎える可能性が高い。
つまり。
何もしなければ、二人ともろくな目には遭わないということだ。
「……最悪じゃねえか」
思わず、天を仰いだ。
そこには、相変わらず灰色の空が広がっていた。
太陽のない世界。
終わりの見えない常闇。
その向こうに、人工太陽《星焔》が頼りなく輝いている。
……本当に。
どこまで行っても、救いのない世界だ。
~~~~~~~~~~
気がつけば、俺は町を歩いていた。
修練場から〈影渡り〉で移動し、別邸の外れにある竹林を抜けて。
以前、千奈津と一緒に歩いた町並みへ。
別に、何か目的があったわけじゃない。
ただ、じっとしているのが嫌だった。
修練場にいても、屋敷に戻っても。
どうせ、あいつのことばかり考えてしまう。
だったら、少しは気晴らしになるかと思ったのだ。
……まあ。
結果から言えば、それは完全な失敗だったわけだが。
「……あ」
通りの向こうに、見覚えのある屋台があった。
串焼き屋。
この間、千奈津と一緒に立ち寄った店だ。
香ばしい匂いが、風に乗って漂ってくる。
思わず、足が止まった。
『……だって、これしか持ってないし』
脳裏に浮かぶのは、串焼きを買うために金貨を取り出そうとしていた千奈津の姿。
あのときは、本当に驚いた。
まさか、庶民の屋台で金貨を使おうとする人間がいるとは思わなかったからだ。
……いや、世間知らずにもほどがあるだろ。
思い出すだけで、笑えてくる。
「……ふっ」
小さく笑い、屋台の前を通り過ぎる。
今度は、露店の並ぶ通り。
木彫りの置物。
古びた呪具。
色とりどりの組紐。
どれも、この間と変わらない。
なのに。
『……かわいい』
ふと、千奈津の声が蘇る。
小さな狐の置物を手に取って、嬉しそうに眺めていた姿。
『べ、別に! 見てただけよ』
そう言いながら、名残惜しそうに棚へ戻していたことまで、妙にはっきりと思い出せた。
……。
「……なんだよ、これ」
思わず、呟く。
どこへ行っても、あいつとの思い出ばかりじゃねえか。
そもそも、一緒に町へ出たのなんて、たった一度だけだ。
たった一度。
それだけなのに。
こんなにも、あちこちに記憶が残っている。
(……重症だな、こりゃ)
自嘲気味に笑った、そのときだった。
「――おや?」
不意に、聞き覚えのある声が飛んできた。
「そこの兄ちゃん!」
「……ん?」
振り返る。
そこには、小さな露店があった。
色とりどりの組紐と、銀色の鈴。
そして、店番をしている一人の青年。
……ああ。
覚えている。
この間、《祝福の鈴》を買った店だ。
「やっぱり! この間のお客さんじゃないか!」
青年店主が、にこやかに笑う。
「いやあ、奇遇だねえ。今日は一人かい?」
「……まあな」
「おやおや。あの可愛らしいお嬢ちゃんはどうしたんだい?」
「……今日は、いない」
俺が答えると、店主はわざとらしく目を丸くした。
「なんだい、喧嘩でもしたのか?」
「してねえよ」
「ははは! だったら、そんな仏頂面しなくてもいいじゃないか」
「……うるせえな」
思わず、舌打ちする。
まったく。
どいつもこいつも、好き勝手言いやがって。
「まあまあ。せっかくだ、何か見ていきなよ」
店主は、楽しげに商品を指差した。
「今日は新しい組紐も入ったんだ。ほら、こっちなんかお嬢ちゃんに似合うと思うけどね」
「……別に、買い物に来たわけじゃねえんだ」
「おや、そうかい?」
青年は、少しだけ首を傾げた。
そして、俺の顔をじっと見つめる。
「……ふうん」
「なんだよ」
「いやあ。なんだか、随分と悩んでる顔だなと思ってね」
「……」
図星だった。
だが、素直に認めるのも癪だ。
「……商売人ってのは、人の顔色を読むのが仕事なのか?」
「まあねえ。客が何を欲しがってるか、わからなきゃ商売にならないから」
店主は、からからと笑った。
……なんとも、気楽な奴だ。
しかし。
なぜだろう。
その笑顔を見ているうちに。
ふと、口が動いていた。
「……なあ、おっちゃん」
「ん?」
「一つ、聞いてもいいか?」
俺がそう言うと、店主は少しだけ驚いたように目を瞬かせた。
そして。
「おう。なんだい?」
気さくに、そう答えた。
~~~~~~~~~~
「……例えば、の話なんだけどよ」
俺は、露店の前に置かれた木箱へ腰を下ろした。
店主は、商品を並べ直しながらこちらを見ている。
「大切な奴がいるとするだろ」
「ほう?」
「……いや、その顔やめろ」
「どんな顔だい?」
「ニヤニヤすんな!」
「ははは! 悪い悪い」
まったく、こいつは。
とはいえ、今さら引き下がるのも馬鹿らしい。
俺は小さく息を吐き、話を続けた。
「……そいつがさ」
「どう考えても無理なことを、必死になってやろうとしてるんだ」
「うんうん」
「そいつは、自分で決めたんだって言う」
「邪魔するな、って」
店主は、黙って頷いた。
「でも、俺にはわかるんだよ」
言葉を選びながら、続ける。
「そのまま突き進んだら、きっと取り返しのつかないことになるって」
「……ほう」
「だから、止めたい」
「無茶するなって、言ってやりたい」
「けど……」
そこで、言葉が詰まった。
脳裏に浮かぶのは、あの少女の顔。
自分の運命を知りながら。
それでも、最後まで足掻こうとする。
あの、強い瞳。
「……そいつは、本気なんだよ」
ぽつりと、呟いた。
「誰かに命令されたわけでもなくて」
「自分で決めたんだって、そう言ってた」
「……だったらさ」
俺は、店主を見る。
「俺が勝手に助けるのって、どうなんだろうな」
「……」
「そいつの決意を、踏みにじることにならねえかな」
店主は、しばらく黙っていた。
俺も、何も言わなかった。
通りを行き交う人々の声。
遠くから聞こえる、商人たちの呼び込み。
その喧騒が、妙に遠く感じられた。
やがて。
「……難しいねえ」
店主が、そう言った。
「……だろ?」
「ああ。そりゃあ、難しい」
青年は、腕を組んで考え込む。
そして、少しだけ笑った。
「でも、兄ちゃん」
「……なんだ」
「なんでもかんでも、してやるのはよくないと思うよ」
……。
その言葉に、胸の奥がちくりと痛んだ。
「……やっぱり、そう思うか」
「ああ」
店主は、頷く。
「人には、人の人生ってもんがあるからね」
「親だろうが、友達だろうが、恋人だろうが」
「全部代わりにやってやることなんて、できないさ」
……恋人ってところで、妙に強調した気がするが。
今は突っ込む気になれなかった。
「……じゃあ」
俺は、俯いた。
「放っておけってことか?」
「いやいや、そうは言ってないよ」
店主は、慌てたように手を振った。
「極端だねえ、兄ちゃんは」
「……うるせえ」
「ははは!」
青年は、楽しげに笑う。
そして。
「隣にいることくらいは、できるだろう?」
そう言った。
「……隣?」
「ああ」
店主は、商品棚から小さな鈴を一つ手に取った。
指先で、軽く弾く。
――ちりん。
澄んだ音が、通りの喧騒の中へと溶けていった。
「そいつが頑張ってるなら、見守ってやればいい」
「自分でやるって言うなら、やらせてやればいい」
「でもさ」
店主は、俺を見る。
「精いっぱい頑張って、それでも駄目だったとき」
「そのときくらい、手を差し伸べてやったっていいんじゃないか?」
……。
その言葉に、思わず息を呑んだ。
「……手を、差し伸べる」
「そうさ」
店主は、気楽に頷いた。
「別に、そいつの人生を代わりに生きてやる必要なんてないんだよ」
「ただ、隣にいてやればいい」
「転びそうになったら、支えてやればいい」
「転んじまったら、立ち上がるのを手伝ってやればいい」
そして。
「……助けてくれって、言えない奴もいるからねえ」
その一言が。
不思議なほど、胸に響いた。
「……」
「意地っ張りだったり、遠慮してたり」
「迷惑をかけたくなかったり」
「あるいは、自分で全部やらなきゃいけないって、思い込んでたりね」
店主は、小さく肩をすくめた。
「そういう奴にとってさ」
「誰かが隣にいてくれるってだけでも、案外嬉しいもんなんだよ」
……。
脳裏に、千奈津の顔が浮かんだ。
いつも勝ち気で。
意地っ張りで。
人に弱みを見せるのが嫌いで。
自分の努力を、誰かに否定されることを何よりも嫌っていた少女。
だけど。
『……怖いよ』
あいつは、確かにそう言った。
『すごく、怖い』
震える声で。
それでも、笑って。
『だから、邪魔しないでね』
……ああ。
そうか。
俺は、ようやく気づいた。
千奈津は、助けてほしいとは言わなかった。
でも。
自分が怖がっていることを、俺には話してくれた。
誰にも見せたくないはずの弱さを。
自分の運命に対する恐怖を。
……俺にだけは、見せてくれた。
それが、どんな意味を持つのか。
正直、俺にはわからない。
ただ。
少なくとも。
あいつは、俺を信じてくれていたんじゃないか。
そんな気がした。
「……なるほどな」
俺は、小さく呟いた。
店主が、にやりと笑う。
「お? 何か思いついたかい?」
「……まあな」
「そいつはよかった」
青年は、満足げに頷いた。
そして、もう一度鈴を鳴らす。
――ちりん。
「ま、あとは兄ちゃん次第だね」
その音が、妙に心地よく響いた。
~~~~~~~~~~
店を出てからも、俺はしばらく町を歩いていた。
別に、行く当てがあるわけじゃない。
ただ。
少しだけ、考えを整理したかった。
(……隣にいる、か)
店主の言葉を、頭の中で反芻する。
人の人生を、代わりに生きることはできない。
誰かの決意を、勝手に否定していいわけでもない。
……そんなことは、わかっている。
でも。
それと、何もしないことは。
別の話なんじゃないか。
俺は、懐から小さな鈴を取り出した。
銀色の鈴。
《祝福の鈴》。
この間、千奈津と一緒に買ったものだ。
対になった二つの鈴が、離れた持ち主を導いてくれる。
そんな、ささやかな祝福。
……あいつは、今頃どうしているだろう。
儀式の真っ最中か。
それとも、もう。
(……いや)
嫌な想像を、頭から振り払う。
まだ、間に合う。
できることをしたうえで準備をするべきだ。
俺は、鈴を握りしめた。
すると。
不意に、昨日の会話が蘇る。
『……あんたも、私と一緒なんだね』
あのとき。
千奈津は、そう言って笑った。
俺が死ぬのを怖がっていることを知って。
誰にも期待されなくても、生きたいと願っていることを知って。
(……そうだよな)
俺は、空を見上げた。
灰色の空。
その向こうに、頼りなく輝く星焔。
(俺も、お前と同じだ)
死にたくない。
ただ、それだけ。
誰かに認められるためでもない。
英雄になるためでもない。
ただ、自分自身が生きたいと願っているから。
だから、足掻く。
……だったら。
(……あいつだって、そうなんじゃねえのか?)
俺は、何を悩んでいたのだろう。
あいつの決意を尊重したい?
本人の選択を否定したくない?
……そりゃ、そうだ。
だが。
それで、あいつが死んじまったら。
俺は、どう思う?
「……」
答えは、驚くほど簡単だった。
――嫌だ。
そんなの、嫌に決まっている。
千奈津がいなくなるなんて。
あいつの声が、もう聞けなくなるなんて。
あの生意気な笑顔が、二度と見られなくなるなんて。
……そんなの。
「……御免だね」
ぽつりと、呟いた。
不思議と、胸の奥が軽くなった気がした。
そうだ。
何も、難しく考える必要なんてなかった。
俺は、あいつの人生を全部背負ってやる必要なんてない。
あいつが自分で決めたことなら、尊重すればいい。
でも。
もし、あいつが本当にどうしようもなくなったとき。
自分の力だけでは、どうにもならなくなったとき。
そのときくらい。
手を差し伸べたって、いいだろう。
ただし。
そのときになってから駆けつけたのでは、手遅れになる。
だから、すぐそばで見守る。
あいつが自分の力で抗えるうちは、信じて待つ。
だが、あいつの意思が奪われそうになったときは。
……遠慮なく、割って入る。
「……ははっ」
思わず、笑いが漏れた。
なんだ。
こんな簡単なことだったのか。
「……いや」
簡単じゃねえな。
相手は、五影堂家の秘術。
前々代当主の影法師。
しかも、穢れに侵されている。
下手に手を出せば、俺自身もただでは済まない。
場合によっては、千奈津と一緒に死ぬことになるかもしれない。
……それでも。
「……まあ、しょうがねえか」
俺は、苦笑した。
だって。
俺は、あいつに生きていてほしいのだから。
その理由に、格好のいい言葉なんて必要ない。
ただ。
また、一緒に修行したい。
また、くだらない口喧嘩をしたい。
また、あの町を歩きたい。
そして。
できることなら。
あいつが、あいつ自身のままで。
笑って生きていてほしい。
……それだけだった。
「……よし」
俺は、鈴を懐へしまった。
そして、踵を返す。
向かう先は、五影堂家別邸。
……準備をしなければならない。
~~~~~~~~~~
屋敷へ戻ると、俺は真っ先に自室へ向かった。
襖を閉じ、簡易結界を張る。
「〈遮音〉」
薄い呪力の膜が、部屋を包み込む。
これで、多少騒いでも外には聞こえない。
……まあ、いつものことだ。
俺は、机の引き出しを開けた。
中には、これまで作りためてきた呪符が並んでいる。
解呪。
防御。
探査。
身体強化。
そして、各種の妨害術式。
「……よし」
一枚ずつ、確認していく。
次に、影の中へ手を伸ばした。
ずるり、と引き抜く。
現れたのは、修練場で拾い集めた廃材から作り上げた人形たち。
不格好な木偶。
簡易的な絡繰。
そして、呪いを肩代わりさせるために作った藁人形。
……どれも、見た目はひどい。
だが。
(……使えれば、それでいい)
五影堂家の立派な工房など、俺には与えられていない。
高位の式神も、秘伝の呪具もない。
手元にあるのは、ガラクタばかり。
しかし。
このガラクタたちは、俺が自分の手で作り上げたものだ。
誰にも頼らず。
誰にも期待されず。
ただ、生き残るためだけに。
積み重ねてきた成果だった。
……いや。
今は、少し違うか。
こいつらの中には、あいつから教わった技術も詰まっている。
俺一人で作り上げたわけじゃない。
千奈津と一緒に、磨いてきたものだ。
「……まったく」
思わず、笑みが漏れた。
「ほんと、世話になりっぱなしだな」
だったら。
今度は、俺の番だろう。
俺は、呪符を袖に収めた。
人形を影の中へ収納する。
刀を手に取り、鞘へ納める。
そして、最後に。
小さな銀色の鈴を、腰の紐へ結びつけた。
――ちりん。
澄んだ音が、静かな部屋に響く。
……さて。
準備は、整った。
あとは。
「……いっちょ、やってやるか」
俺は、口の端を吊り上げた。




