第四章 04 魔人から戻った少女
――トントン。
ノックの音に振り返る。イーサンが「どうぞ」と応じ、ゆっくりドアがひらかれた。入って来たのは琥珀色の金髪にグレーの瞳をした女性。
「レジーナ先生⁉」
「ラティエルお嬢様⁉ どうしてこちらに?」
それはこっちの台詞だと、ラティエルは頬をふくらませた。裏切り者にくるりと背中を向けて黙り込む。足音が近づいて、しおらしい声が背中にかけられた。
「お嬢様……、怒っておいでですか?」
「…………」
「申し訳ございません。ですが……」
「あ~、あ~!! 言い訳なんか聞いてあげない! 先生はわたしを裏切ったのよ! ほかの大人たちとおんなじ!」
椅子の上に三角座りをして耳をふさぐ。本当はちゃんとわかっている。のけ者にしたんじゃない。みんな優しいだけ。愛情深い人たちに囲まれ、ラティエルは幸せ者だ。
でももう少しだけ、わからないフリをしたい。星乃だったときには、聞きわけよく手放してしまった大人たちのぬくもりから、まだ離れたくなかった。
言葉に詰まったレジーナに、ふくれっ面で言い放つ。
「先生が答えて! どうしてここにいるの?」
「わたくしは……」
レジーナは助けを求めるようにセレーネを見る。それを受けてセレーネが頷き、イーサンが隣のカーテンをあけた。そこには身じろぎもせず横たわる、若い女性の姿があった。
「あ……」と気まずい思いで視線をそむけたラティエルだったが、あることに気がつく。
「もしかしてこの人、あのときの?」
琥珀色の金髪に、レジーナと似た面立ち。目をあければグレーの瞳があるのだろう。
「わたくしの妹です。お嬢様、教えてくださり、本当にありがとうございます」
ラティエルの手を取り、レジーナはうれしそうに微笑んだ。
「よかった。先生の妹君も生きてらしたのね!」
「……はい、奥様のおかげです。今もずっと治療を続けていただき、深く感謝しております」
セレーネの説明によれば――魔人に対して唱えていた詩のような呪文は、体に流れる黒い血液を浄化し、筋肉組織を元の状態に戻すもの。手記に記されていた『血の浄化』の部分を『命の浄化』とラティエルが読み間違えたために、勘違いが起こったのだ。
さらには、人間の生命力でもある魔力を注ぎ込んだことで、セレーネの魔力が尽きてしまった――というのが、一連の結末である。
――誰も死んでいない。
この成果をもたらしたのが、自分の母親だということが誇らしかった。
肩の力が抜けると同時に、大きなあくびも一緒に飛び出す。早く寝たとはいえ、まだ夜中。それに夢見も最悪だった。
「あらあら、ここで寝てはだめよ。ラティエル」
「ふぁい、おかあさま」
「ラティ、よく聞いて。あなたには今すぐ屋敷へ戻ってほしいの」
「ふぅん……、ん?」
「それからジェームスに、この手紙を渡してちょうだい」
そうそう、あれもこれもと、たくさんの注意事項を聞かされて、本格的に眠くなってきた。でもこれだけは聞いておかねばならない。
「お母様とお父様は?」
「しばらくどこかへ身を隠すわ。連絡方法は追って知らせます」
「変書鳩じゃだめなの? わたしも一緒にいたい」
「敵が魔法を感知する能力を持っていたら、わたくしが生きていることに気づくわ。こういうときは物理的なやり取りが一番なの」
「そっか……」
ぐりぐりと目をこするラティエルの手を取って、セレーネは目線を合わせた。
「毒を盛った犯人が屋敷にいるの。どうか気をつけて。――ラティエル、愛しているわ」
ぎゅうぎゅうに抱きしめられて涙をこらえる。痛かったわけじゃない。久しぶりの感触と母の優しい匂いを吸い込んで、自室に刻んだ魔法陣へと転移した。魔法陣を使えば、そんなに魔力は減らなかった。
一時的に覚醒し、戻ったら一番目にやるべきことを思い出す。家令のジェームスに手紙を渡すことだ。
そうっとジェームスの私室へ忍び寄り、ドアの下から手紙を入れようと屈んだときだった。目の前でドアがスッとひらき、切れ味のよさそうな切っ先がラティエルの鼻先を捕らえた。
「ヒッ⁉」
「なっ、お嬢様? ここで何を……、お嬢様⁉」
そのあとの記憶はない。目が覚めたらいつもの寝室にいた。手紙はちゃんとジェームスに渡った……と思いたい。
それにしても、いつもなら起こしに来る時間なのに、乳母のアンナがやって来ない。ベッドから下りて寝室のドアをあけると、ちょうどやって来たアンナが沈痛な面持ちで口をひらく。
「お嬢様……、気をしっかりとお持ちになって、聞いてくださいませ」
「な、なに? どうしたの?」
「今朝早く、旦那様はグレアムを連れて領内の視察へ向かわれたのですが……、先ほど馬だけが戻って参りまして、今は領兵団総出で捜索を行っております」
ああ、なるほど。とラティエルは内心で手を打った。セレーネを探しに出て谷へ落ちたことにするには、侍従のグレアムはうってつけの人選だ。ジェームスがうまくやったのだろう。もちろん、そんな態度はおくびにも出さない。ラティエルは渾身の演技で迎え撃つ。
「そそ、そんな……、おとうさま! あ~れ~……」
「お嬢様⁉ 頭でも打ちましたか?」
「…………」
――おかしい。そこは父を思って取り乱したと考えるものでは?
自分はそんなに大根だったのか。はたまた迫真が過ぎたのか。床に這いつくばったまま、ラティエルは長考に入った。




