第五章 01 すれ違う兄妹
朝食を取りに食堂へ下りると、兄アデルがジェームスと話をしているところだった。
「――こういった状況ですから、しばらくは若様に当主代理を務めていただかねばなりません」
「そうか、わかった」
軽く言い放ってアデルは席を立つ。もう食事をすませたようだ。ラティエルとは顔も合わせたくないと言いたげに、足早にすれ違っていく。
「待ってください、お兄様!」
「……なんだ?」
体はドアに向けたまま、顔を半分ほど向けたアデルが、底冷えするような視線を突きつける。いつもなら逃げ出してしまうが、今はそんな状況ではない。
「お父様もお母様もいなくなってしまって、お兄様に負担が増えます。ですから、わたしにも何か――」
「何を言っている? お母様ならいらっしゃるだろう。おかしなことを言うな」
「え……?」
ほら、と顎で示された方向へ目を向けると、階段からドロリスがゆったりと降りてくるところだった。足にケガでも負ったのか、少しふらついている。
その手を取り、アデルは食卓までドロリスをエスコートした。まるで宝物を扱うかのような手つきで、親愛の表情まで浮かべている。こんな兄は見たことがない。
「あら、おはよう、ラティエル」
「おはようございます、お義母様……」
「そうそう。お部屋の件、考えてくれたかしら?」
「お部屋? なんのことでしょうか?」
ポカンとするラティエルを見て、ドロリスは困ったように眉を下げる。次いで、そばに立つアデルを見上げた。ああ、と何かに思い至ったアデルが、ラティエルにはしかめっ面を向ける。
「お前にあの部屋はもったいない。ミニスが欲しがっているんだ。すぐに荷物をまとめてくれ。お前の部屋は、そうだな……、裏庭の小屋でいいだろう」
「――はい⁉ 屋敷を出て行けというの?」
「お前のような役立たずを、敷地内に置いてやるだけでもありがたいと思え」
「お兄様……、本気で言ってるの?」
「もちろん本気だ。今まで散々父に甘やかされ、わがままに育ったお前にはうんざりだ」
あまりの言いように、ラティエルも堪忍袋の緒が切れそうだ。わなわなと震える手を握り込む。
「わたしに剣でお尻を叩かれたこと、そんなにショックだったの?」
「なっ、なんだと……⁉」
アデルの顔に朱が走る。ゆらりと立ちのぼった魔力に、兄のものとは違う、黒くてどんよりとしたものが見えた。おそろしくなったラティエルは、すぐに態度をあらためた。
「ごめんなさい、お兄様。小屋へ移るわ」
「最初から大人しく従えばいいんだ!! もう口答えは許さないからな!」
「……はい」
朝食も食べずに食堂をあとにして、アンナに荷造りをお願いした。自らも大切な宝物をせっせと女神の空間へ放り込んでいく。
(あれはダメだわ。お兄様はおかしくなってる)
魔力欠乏症で目が離せなかったラティエルは、兄にとって母を独占する邪魔者だ。父から剣を仕込まれるまでは何度泣かされたことか。
母のことが大好きだった兄が、思い出の詰まったあの小屋――母の研究所をラティエルに与えるはずがない。
(ドロリスをお母様だと思い込んでいる?)
洗脳という言葉が頭をよぎる。先ほどの兄は母のことを完全に忘れていた――否、すり替えていた。まるで昔からドロリスが母親だったかのように。
子どもひとりを洗脳するのに魔法は必要ない。洗脳なんて、星乃がいた魔法のない世界でもあたりまえにあったのだから。
(だけど、お兄様から滲み出たあの黒い影は何? とても禍々しい感じがしたわ)
何かよくないことが兄に起きている。身震いしていると、アンナが弱々しく声をかけた。
「お嬢様……、本当にお部屋をミニス様に渡すのですか?」
「ええ、アンナ。お兄様の言うとおりにして。決して逆らったりしないでね」
――今は。と心の中でつけ足しておく。
(お父様のいないあいだ、レグルス家はわたしが守らなくっちゃ!)
あらかた荷物をまとめ、部屋を出ようとしたところでミニスに遭遇した。さっきまで寝ていたのだろう。服は着替えているが、寝癖のあとがくっきりついている。
「お姉様! やっとお部屋を渡してくださるのね」
「やっと? わたしはさっき聞いたばかりよ」
「まぁ、お兄様ったら! ふた月も前からお願いしていたのよ?」
「…………」
今日をのぞいて、兄とまともに会ったのは一週間前くらい。そのときには何も言われなかった。それまでは正気だったのか。ただ忘れていただけなのか。
(接触を避けていたのが裏目に出たわ。……だってこわいんだもの)
ふた月前といえば、父はすでに体調を崩していた。父の目が届かなくなったあのころから、レグルス家はじわじわと侵食されていたということか。
「あら? お姉様、アクセサリーはどちらに?」
「へ? 移動するからまとめたわよ?」
「アクセサリーは置いていってくださいなっ。お姉様には必要ないでしょう?」
言葉の意味を測りかね、ラティエルはしばし瞬きを繰り返す。
「必要かどうかは、わたしが決めるわ。それにぜんぶ大切なものよ」
「じゃあ~、あのおリボンだけでも譲ってくださいませっ。スミレ色の――」
「はぁ⁉ あれはダメよ!! あげられないわ」
少し大きな声を出してしまったせいか、ミニスの瞳は潤み、秒速で決壊した。
こんな大粒の涙を“秒”で出せるとは、すごい技だと感心してしまう。
「お姉様がっ! お姉様がいじわるする~~~~!!」
アンナには『決して逆らうな』と言っておいて、ラティエルがやらかしてしまった。大人しく見せかけて寝首をかく作戦は、自分には向いていないようだ。
階下から上ってくる足音が聞こえる。この軽快な足音はアデルに違いない。面倒なことは回避するにかぎる。
「アンナ、行くわよ!」
ラティエルもいくつか荷物を持ち、アンナを置いていく勢いで、使用人が使う階段から裏口へと走った。




