第四章 02 ペンダントの能力
その夜、ラティエルは夢にうなされていた。黒い獣に襲われ、必死に逃げまどう。まわりに助けを求めても、『お尻を叩くようなやつは友達じゃない』と言われ、みんな去って行く。とうとうラティエルを捕まえた獣は、ニタリと笑って舌なめずりをした。
『……ラティ、……ラティエル』
魔女のような声音に名を呼ばれ、意識が浮上する。目をあけても闇に包まれたまま。まだ夜なのだろう。
夢からは覚めたはずだ。なのに、胸の辺りが妙に重い。ぼんやりとした頭で視線を下げると、妖しく光る獣の双眸があった。
「ふぎゃああぁっ――」
『――シッ!! 静かに! ラティエル、起きて』
「ふえぇ⁉」
暗闇に慣れた目で見れば、スミレ色の瞳をした黒猫だった。ところがこの黒猫、なぜか人間の言葉を話している。しかもこの声は――
「まさか、お母様⁉」
『もう少し声を落としてちょうだい。うちの使用人たちは優秀だから、気づかれるわ』
「お……、お母様。おかあさまっ……うわあぁぁん!!」
――生きていた。いまだに猫の姿だけど、生きているならそれでいい。
うれしくて恋しくて、ラティエルは黒猫をもみくちゃにした。最初は抵抗しようとした黒猫セレだったが、思うところがあったのだろう。ラティエルの気がすむまで、されるがままになっていた。
しかし、鼻水をつけられてはたまらない。べしっとラティエルの頬を肉球で押し返す。
『――ラティ、鼻をかみなさい』
「あうぅぅうぅぅ……」
『あらまぁ、大洪水だわ。……そのペンダント、修復してもえらえたのね』
「うんっ、……んぐっ……ぐすっ」
『ラティエル、お願いしたいことがあるの。今すぐ服を着替えてちょうだい』
「あいっ」
『いい子ね』
服を着替えたころには気持ちも落ち着いていた。話したいことがたくさんある。
「お母様、あのね――」
『準備できた? 話はあとよ。お父様の寝室へ行くわ』
「うん!」
ちょうど、父に会ってほしいとお願いするところだった。スキップするような足取りで、ラティエルはセレのあとを追いかける。セレの首にはチェーンを通した指輪がかかっている。ちゃんと取り戻せたのに、なぜ猫の姿のままなのだろう。
(お父様に会ったあと、わたしの質問にも答えてもらうんだから!)
いつかと同じように、抜き足差し足で寝室へ忍び寄る。そんなラティエルの気遣いを無にするように、ドアノブに飛びついたセレが、ガチャリと音を立ててドアをあけた。
「もう、お母様ったら……」
『レオネルは起きないわ。いいから早く』
父レオネルは、騎士だけあって物音には敏感だ。こんなにハッキリとした音を立てたのに起きないはずがない。セレだって知っているだろうに。――ところが、寝室は静まり返ったままだった。
「お父様……?」
そっと天蓋ベッドのカーテンを引く。月明かりに照らされたレオネルの顔は、苦しげに歪んでいた。
「ひっ⁉ お、お父様⁉」
『シッ! ラティエル、防音結界を張れる?』
「う……、遮音結界なら」
『ああ、そうよね。あなたにはまだ教えてなかったわ』
声を聞かれたくないだけなら遮音結界でも十分だ。内側の音も外側の音も遮断する。それに対して、上級魔術師が張る防音結界は、結界内部の音を漏らさず、外部の音はよく聞こえる。
ラティエルにはまだむずかしい。
「いつか、アイリス様みたいな防音結界が張れるようになれるかな?」
『わたくしの娘だもの。きっとできるわ。……ということは、彼女わざわざ届けに来たのね?』
頷いたラティエルの首には青い石のペンダントがかかっている。
『そのペンダント、魔力が枯渇したら動物になる仕様にしてもらったと思うのだけど、なんの動物になるかは聞いた?』
「それが、笑うだけで教えてもらえなくて」
『ハァァァ……、またなのね! わたくしはとんでもない動物にされたわ』
「えっ? 猫でしょう?」
『いいえ、アルマジロよ。変えてもらうのに倍のお金を積んだわ』
「あるまじろ……って、どんなのだっけ?」
記憶の底からひねり出す。アルマジロとは、鎧のような皮を着込んで、危険が迫ると丸まって身を守るやつではなかったか。なるほど、緊急体勢としては合理的だ。
『ラティエル。転移魔法でレオネルを別の場所へ移したいの。今のわたくしの魔力では飛べないから、あなたの力を貸してちょうだい』
「もちろんよ! でも、どこへ?」
『ケルシュ村の村長の家を、覚えているかしら?』
「うん。でも……、あの辺には魔法陣を描いてないから、転移できないよ」
『女神の力を使えばいいわ。ただし、レオネルとわたくしを連れての転移だから、魔力切れは覚悟してね』
一度は経験しておきたい“魔力切れ”。それを両親がいる状態でできるなら、願ったり叶ったりだ。どんな動物に変わるのだろう。
「わたし、やってみます!」
『それでこそ、わたくしの娘よ!』
レオネルの体に飛び乗ったセレは、行儀よく座ってラティエルを見守る。レオネルは苦しそうにしながらも、目をあけることはなかった。
(お父様、大丈夫かしら。――だめよ、今は魔法に集中しないと)
指導書に載っていた形式に従い、ラティエルは手を組んで呪文を唱える。
「我は星の聖女、女神アストローダの友にして懸け橋と――」
『ストーップ!! 待ちなさいラティエル。これしきの転移でそんな強い呪文を唱える必要はないわ』
「強い呪文?」
『聖女の呪文は強制的に女神の力を引き出すから、魔力の消費が激しいの。ここぞというときにしか、使ってはだめよ』
ラティエルは首をかしげる。指導書には載っていなかった。
「じゃあ、どうすればいいの?」
『心の中で女神に呼びかけて、転移したい場所を頭に思い描けばいいだけよ』
「えっ、それだけ?」
早くしろと追い立てられて、ラティエルは父の手を握った。
(女神アストローダ、力を貸して! わたしたちを、ケルシュ村へ――)
脳裏に描いたケルシュ村――村長の家が、もう目の前にある。赤オレンジ色の屋根は夜でも暖かみがあった。白い土壁は月明かりを反射して辺りを照らしている。
ラティエルたちは玄関ポーチに転移していた。




