第四章 01 レジーナの裏切り
一週間もすると、ラティエルの魔法も板についてきた。アイリスからもらった指導書を片手に、床に魔法陣を刻む。指先に光を灯して図柄を書き写すのだが、母は手をかざした一瞬で魔法陣を完成させていた。母が描いた美しい魔法陣に思いを馳せる。
(わたしもいつかは、お母様みたいに……あ、楕円形になっちゃった!)
――母の背中はかなり遠い。
両足が乗るくらいの小さな魔法陣は、魔法古語で囲った円の中に水平を保った天秤を描く。両皿の上には星を載せる。女神アストローダのシンボルを簡略化したものだ。
次に屋敷の外に出て、覚えたての呪文を唱えた。
「我は星の聖女、女神アストローダの友にして懸け橋となる者なり。我が星魂を糧に、青星の煌めきでこの身を導け。――メタスターシス!」
目の前にいくつかの映像が浮かび上がり、その中から自室を選ぶ。映像に手を伸ばした瞬間にはもう、自室に描いた魔法陣の上に立っていた。
「できた! でも、魔力をかなり持って行かれるのね」
それに長ったらしい呪文も短縮したい。ゆくゆくは母のように無詠唱で魔法を使いこなせればなおよし。
魔法陣に使う魔法古語も、つづりを間違えなくなってきた。楽しくなっていろんなところに魔法陣を描いては、乳母のアンナに叱られ消されていく。魔法によるマーキングは床を傷つけたりはしないのに。
転移の方法は大まかにふたつある。ひとつは魔法陣を描いた場所に飛ぶ『転移術』。もうひとつは、行ったことがある場所へ魔力だけで転移する『転移魔法』だ。
後者のほうは魔力の消費が大きい上に、使える魔術師はほとんどいない。ラティエルが知っている魔術師も母だけ。
(それにしても、お母様も聖女だったなんて……)
指導書の説明によれば、呪文の冒頭で“聖女”と名乗れるのは女神の愛し子だけだと書いてある。母の手記からして、“月の聖女”なのだろう。母のことを考えるたびに会いたくなってしまう。ラティエルは頭を振って気持ちを切り替えた。
「次は空間魔法の練習よ!」
厨房にお邪魔して、焼き菓子をバスケットに入れてもらい、空中に魔法陣を描く。その中心にバスケットを押し込んだ。取り出すときは、モノを思い浮かべながら手を当てればいい。
この空間は女神アストローダのところへつながっている。たまにお菓子の数が減っているのは、下級女神ロマが犯人ではないかと踏んでいる。
◆
屋敷の庭園を望むガラス張りのテラスで、ラティエルは家庭教師のレジーナとお茶会マナーの勉強をしていた。覚えたての空間魔法を使い、焼き菓子の入ったバスケットやら、ポットやカップを出してみせる。得意げに胸を張ってみたものの、レジーナは苦悶の表情で眉間を押さえた。
「お嬢様、お茶会はピクニックとは違います。メイドにお茶を入れてもらい、お行儀よく待つのも礼儀なのです」
「あっ……、ごめんなさい」
ラティエルはシュンと肩を落とす。レジーナは眉尻を下げつつも微笑んだ。
「昔を思い出しますわ。わたくしにも妹がおりまして……」
ふとジルから聞いた『いじめっ子』の噂を思い出した。それはおくびにも出さず、会話を続ける。
「妹君は、おいくつなのですか?」
「生きていれば……、十六歳でしょうか。と言っても、生死はわかっていないのです。修道院へ向かう途中、馬車が襲われて……遺体もなくて」
「そんな……」
生死がわからないという言葉に母のことを思い出し、ラティエルも顔を曇らせた。脳裏によみがえるのは、あの森での出来事だ。
(――ん? 若い女性……琥珀色の髪にグレーの瞳。まさかね)
考えれば考えるほど深みにはまる。隣で懐かしそうに妹の話をするレジーナをジッと見つめた。
「似てる……」
「――どうかしましたか? お嬢様」
「あ、いえ……」
ごまかそうとして、ふと悪知恵が働いた。ラティエルひとりでは何もできないが、協力者がいたならどうだろうか。
「……先生は、妹君を探してらっしゃるの?」
「妹のことは、片時も忘れたことはありません。ですが、なんの手がかりもなく。探しているというよりは、あてどなく彷徨っているだけですわ」
ラティエルと同じだ。母のことが頭から離れない。なんとか見つけ出したいけれど手がかりがない。父だってずっと探している。
生きているのかどうか、それをうやむやにしたままではいられないのだろう。その気持ちが痛いほどわかるから、思い切ってレジーナの手を握った。
「今から話すことは、先生を悲しませるかもしれません。でも――」
当時八歳のラティエルに起きたことを、覚えているすべてを話した。レジーナはただのひと言も発することなく、ずっと黙って聞いている。もっとも、彼女の瞳は不安げに揺れていたけれど。
「――それで、魔人の……女性のご遺体については、誰も教えてくれないの」
「そうでしたか……。では、それについてはわたくしが探ってみましょう」
「先生にとっては、つらい結果になるかもしれません」
「いいえ。暗闇に道が見えてきた気がします。わたくしより、お嬢様のほうがおつらいでしょう。早くお母様が見つかるといいですね」
「ありがとうございます」
――この翌日。
レジーナは二日ほど休みがほしいと言って、早朝から出かけて行った。それをアンナから聞かされたラティエルは、これ見よがしにふてくされた。
レジーナは何か情報をつかんだから動いたに違いない。なのにその内容を、ラティエルには教えてくれなかったのだ。
寒空のなか、修練場の隅っこで力任せに木剣を振る。こういうときのラティエルには誰も近づかない。それをいいことに、恨み節を延々と吐いた。
「レジーナ先生までわたしをのけ者にするなんて! どうして教えてくれないの⁉ 大人ってホント、平気で子どもを蚊帳の外に置くんだから! 自分たちだって昔は子どもだったくせに! 大人になったら手の平返すなんて、ひどい裏切りだわ!」
無茶を言っているのは理解している。九歳の子どもにご遺体の話などできるわけがない。特にラティエルは現場で魔人の襲撃を体験した身。あの場所に行っただけで手足が震えた。みんなに箝口令が敷かれているだろう。ぜんぶラティエルを思ってのことだ。
(わかってる。ただの八つ当たりだって)
ひたすら木剣を振りまわすのにも飽きてきたころ、横から弟弟子のハーヴィーが温かいお茶を差し出した。
「荒れてんなぁ、何かあったのか? ほら、水分補給しろよ」
「ありがと。ちょっとね……、早く成長したいけど、大人にはなりたくないの」
「ふ~ん? 俺は早く大人になりたいけどな」
ラティエルだって最初はそう思っていた。レジーナの裏切りが、ことのほか身に染みてしまったのだ。頭では理解できても心はついていかない。
「まぁ、あれだ。下手なこと考えるより、思いっきり体を動かせよ」
「手合わせしてくれるの?」
「ああ。ラティとは初めてだな! 手加減はいらないぞ」
「ありがとう!! ハーヴィー」
お互いに十歩ほど距離を取り、意気揚々と剣を構えた。
修練場に『スパーン!』と小気味よい音が鳴り響く。
それはリズミカルに繰り返され――半刻後。
「ごめんね、ハーヴィー。まだ痛い?」
「……ラティ、誰に習った? その戦法」
「お父様だけど?」
「あんのタヌキ師匠。とにかく、ケツはやめろ。何かが産まれそうだ」
「何かって?」
「……聞いてくれるな」
ラティエルはぷうっと頬をふくらませる。
父の言いつけどおりに、ちゃんと木剣の腹でお尻を横殴りにした。まだ背の低いラティエルにとっては、大人の男たちを相手に思いっきり剣を振れる場所としてちょうどいいのだ。
「あのね。お尻にはクッションが入ってるから、叩いても大丈夫なんだよ?」
「入ってねぇから。まだ脇腹に食らったほうがダメージが少ない」
「ええっ⁉ そっちのほうが痛いよ⁉」
「精神的ダメージの話だ」
ラティエルは想像力を働かせた。大人たちと違って、自分と同い年のハーヴィーは、まだクッションが薄いのかもしれない。
「そっか、ハーヴィーにはまだ早かったのね。ごめん」
「人の話を聞け。ところでこの戦法……、フレッドともやってんのか?」
「もちろんよ。婚約者だろうと兄だろうと、男性相手に差別してはいけませんってお父様が――」
「ハァ。兄妹仲が悪い理由も、わかった気がする」
ハーヴィーは片手で額を押さえようとして、やっぱりお尻に手を持っていく。ヒリヒリするらしい。
「でもね、ちゃんと剣の腹を使ったのよ? 刃のほうを向けるとお尻が四分割になっちゃうからダメって、お父様が――」
「ラティ、それ……フレッドの前でも言ったのか?」
「うん、そしたらね。剣より淑女教育を学べって言うの。あんまりじゃない?」
「……同情の天秤が急激に傾いてきた。――ラティ、よく聞け!」
真剣な面持ちでハーヴィーはラティエルの両肩に手を置いた。
「このままタヌキ師匠の言いつけを守ってたら、お前……一生友達できないぞ?」
「ト、トモダチガ……デキナイ? イッショウ?」
ハーヴィーの言葉を何度も反芻する。金物タライが頭上から落ちてきたような衝撃が走った。いや、そんな経験はラティエルも星乃もないはずなのだが。
ラティエルはすっかり血の気が引いていたが、ハーヴィーはなおも言って聞かせる。
「いいか、ケツはやめろ! 絶対にだ!!」
青ざめた顔でコクコクと頷き、ラティエルはおぼつかない足取りで自室へ戻る。
しっかり体を動かしたせいか、はたまたハーヴィーが言ったことが衝撃すぎたのか、早めに眠気がきて、倒れるようにベッドへ沈み込んだ。




