第三章 05 女神の無茶振り
暖かい光で心が満たされていく。欠けていたのは記憶だけではなかったようだ。心の隙間を埋めるように、カチリと何かがはまる音がした。ひとつになり、ラティエルとしての自我が定まった瞬間だった。
心地よさに浸りたいのに、アストローダが咳払いで引き戻す。
『コホン。ラティエルよ、ひとつ頼みがある』
「なんでしょう?」
『我の神器、“掟の剣”を探してほしい。人間界のどこかにあるはずなのだ』
顎に手をあて、掟の女神像を思い出す。手に握られた剣は、刃に独特の模様が浮かぶ美しいロングソードだった。探すのは吝かではないが、『人間界のどこか』では、あまりに範囲が広すぎる。
「探す場所を絞れませんか?」
『それは心配しなくていい。あれは我の魂で作った剣だ。我の気配がするお主に引き寄せられてやって来る』
そういうことなら、とラティエルは頷いた。
「見つけたらどうすれば?」
『お主の空間魔法は我の領域とつながっている。奪い取って空間に放り込めばいい』
「なるほど、奪い取って……ん? う、奪い取る⁉」
『我の探知に引っかからないということは、人間の中に入り込んでいる可能性が高い』
そんなの探せるわけがない。ぶんぶんと音がするほど首を横に振った。
「人間の中って、体内ってこと⁉ 無理です! ムリムリ!」
『まずはお主に寄ってくる人間を探せ。では頼んだぞ』
「はい? いや、待っ――」
伸ばした手もむなしく、くらりと視界が揺れて、気がつくとソファで横になっていた。すぐ上からおっとりとした声が聞こえる。
「おかえりなさい、ラティエル」
「……アイリス様⁉」
膝枕をされていたラティエルは慌てて身を起こす。
「気分はどうかしら?」
ラティエルは胸に手をあてた。心の中をいろいろと探ってみたが、記憶がはっきりしたくらいで何も変わらない。
ただ、自分はラティエルとして胸を張っていいのだと、レグルス家の、父と母の子どもとして生きられることが嬉しかった。じわり目もとに集まる熱を瞬きで飛ばす。
「今とっても幸せです!」
「それはよかったわ。ラティエル、あなたも覚えておいて。ごく稀に、生まれたばかりの赤子が小さな石を握っていることがあるの」
そう言ってアイリスは、ペンダントの青い石を指差した。
「じゃあ、わたしはこの石を……?」
「ええ。その石は“女神の愛し子”である証。あなたは女神と契約して、“星の聖女”になったのよ」
「星の、聖女……」
さらにアイリスは「魔力が二倍になったはずだから気をつけて」と言って、一冊の本を机に置いた。
「これは神殿が発行している指導書よ。“女神の愛し子”について詳しく書いてあるわ」
「“聖女の心得”……」
ソファから立ち上がったアイリスは、「ああ、それから」と、またもラティエルのペンダントを指差した。
「このペンダントには、セレーネ様の指輪と同じように、魔力が底をついたら動物に姿を変える仕様にしましたから。普段から魔力を込めておくようにね」
「あっはい! なんの動物でしょうか?」
「うふふ。まずは安全を確保した上で、魔力を極限まで減らしてみなさい」
「…………はい」
――なんで笑ったの?
喉まで出かかった怖気を飲み込んで、玄関まで見送る。アイリスは忙しいスケジュールの合間を縫って会いに来てくれたらしい。従者に急かされ、挨拶もそこそこにクルリと背を向けた。はじめてその背中を見たラティエルは仰天する。
「しょ、職人魂⁉」
ローブの背に職人魂と漢字で刺繍されている。紫紺色に金の文字がまぶしい。何度か目をこすったが、遠ざかっていくアイリスの背中から、文字が消えることはなく。馬車が見えなくなるまで、ラティエルは呆然と見送った。
するりと頬をなでる風が、色づいた木々の葉を揺らす。
「ハァ……。いろいろあって、頭がパンクしそう」
女神の剣については、どう探したらいいのかわからない。相手の性別すら不明だ。愛し子に引き寄せられるということだから、待つしかないだろう。
「問題は、復讐を叫んだのがラティエルじゃなかったってことよ」
指導書を取りに応接室へ戻る。歩きながら先ほど起こった出来事を、ぼんやりと振り返った。
(アイリス様は星の石を浄化してくださったのよね。それに、女神アストローダは『他者の悪意が混ざった』と言っていたわ)
女性の声だったのは間違いない。あれは八歳のラティエルよりも低い声だった。もっと年上の――と考えて、あの森で魔人と化していた少女の顔を思い出す。
(あの魔人が復讐を願っていたとか? それで石を濁らせた?)
記憶を融合したせいか、琥珀色の金髪にグレーの瞳をしっかりと思い出した。あの少女はいったい誰だろう。どこかで見たことがあるような……。
もう一度あの森へ行きたいけれど、まだ九歳のラティエルを大人たちは自由にしてくれない。機動力はゼロのままだ。
「転移魔術が使えたら、遠くまで行けるかな? まずは練習が必要ね」
アイリス曰く、聖女は普通の人より魔力が多い。ゆえに、ちょっと魔力を込めたつもりが、やり過ぎてしまうこともあるらしい。しっかりと訓練して使いこなせと注意を受けた。
「でも、今ならなんでもできる気がする!」
高揚感に包まれたラティエルは、その直後、母の手記にあった風魔法をぶっ放し、応接室をテラスに変えた。風通しのよくなった部屋に木枯らしが吹き抜けていく。
「言ったそばからやり過ぎちゃった……」
伏せっていた父は飛んで来るし、修練場から領兵たちも集まって来るし、兄からは冷たい目で見られ、家令や乳母からは大目玉を食らった。
義母と義妹がお茶会に出かけていたのだけが不幸中の幸いだ。ふたりが帰って来る前に、部屋へ逃げようと思う。




