キツネさん、職場を愚痴る
「音楽関係でプロになるってことは積極的に有名になるってことなんですが、有名になってやりたいことが何かあるんですか? 静かに暮らすのもよいと言っていたことがある気がするんですけど」
ソルさんと話していたときにもキツネさんはそんなことを言っていたと話題に出したが、当の本人は現状は真逆の方向で活動している。キツネさんが有名になるにつれて俺の身辺も騒がしくなるような事態はできれば勘弁願いたいが、キツネさんの行動を無為に縛るようなことはしたくないし、本気で動くキツネさんを制御できるとも思っていない。せめてキツネさんの真意を知って納得できる理由を俺の中で作ることができれば、多少の覚悟もできるかと思って尋ねた。
聞かれたキツネさんは首を傾げてほんの少々の間を置いて言う。
「有名になるということは避けられんじゃろうが、まあ、やりたいことの本題としては、音楽の文字通り、音を楽しみたいというだけでの。楽しみ方を少々広げてみようと思っただけなんじゃがのう」
「有名になることそのものは、キツネさんの中では些細なことだと」
「うむ。こちらでの音楽へのとっかかりとしては、タダシ殿の歌に心を染められたのを始めとして」
キツネさんは見つめるものの心身を蕩かしきりそうな視線を投げてきながら、一拍呼吸を置いて酒で口を潤わせた。
「楽器を触ってみて演奏に興味を持ってから、分身の一人が旅空の下で人気の少ないところで気ままに弾き語りするようになっての。そのうち海沿いの町で海を眺めながら歌っていたら釣りをしておった者に歌を褒められ、釣った魚を調理して差し出されてそのまま馳走になり、と初めはその程度じゃったんじゃが」
今のところ聞く限りはお気楽な風来坊。
「しばらくその町で滞在している間に、次第に知っている曲をやってくれと言われるものの、それほど手持ちの歌がないので、知っている曲で黙らせてやろうと魔力を込めて歌って」
怪しくなってきました。
キツネさんの魔力を込めた歌を最初にこの世界で体験したのは俺のはずだ。それで見たものは複数のキツネさんに囲まれる嬉し恥ずかしい幻影だった。後日にキツネさんが実際に分身して味わう羽目になったが。と、それは問題じゃない。問題はキツネさんの歌の破壊力だ。
「ちなみに何を歌ったんです?」
「ちいさな恋のうた。タダシ殿向けとは違った思いを込めて歌っての。歌う者の思いを想い人へ伝えるものではなく、歌う者が聞く者の思いを呼び起こすように」
言われてみれば、魔力を込めた歌とは色々効果範囲に種類があるようだ。キツネさんが俺に歌った歌は俺専用のチューニングをしていた効果だろうし、異世界で信長さんが聞かせてくれた歌は本人の思いの心象風景をそのまま見せたようなものだった。
「まあそれで相手が知らん曲でも納得させたのはいいんじゃが、そのうち釣りをしていた者らが伴侶を連れて聞きに来て夫婦仲がよりよくなったり、居酒屋で歌ってくれと頼まれたりと、人の多い方多い方へと歌うところを誘われていってな」
その果ての一端がソルさんに見せられた九州で撮影された路上パフォーマンスか。キツネさんの歌を聞いてガチ泣きしていた人もいたと思うんだが、あれは聞いた人の想い人が鬼籍に入っていたとか亡き人の思い出を深く思い出したとか、そういう効果としてあらわれたのかもしれない。
「酒と飯の代価に歌ってきたのが、金の代価に歌うことになるわけじゃが、所詮は趣味じゃ。歌を売るつもりはあっても名を売るつもりはあまりないのう」
「それは会社の方は知っている上でキツネさんと契約しているんですか?」
「ソルにも相談したし、そのはずじゃがの。テレビに出るとか名前を売るためだけの仕事は儂も面倒じゃ。所詮は魔術ありきの生で聞いての歌じゃしのう」
「テレビと生歌ですか」
テレビと聞いて気になった。俺の歌をキツネさんが初めて聞いたとき、カラオケの機材によって歌の効果が増幅されたのではと推察していたが。
「撮影された動画越しにキツネさんの歌を聞いても魔術的な効果は感じませんでしたが、キツネさんの歌を電波を介して生中継したらどういうことになるんでしょう」
「その辺りもソルが危惧していたのう。なので、ほぼライブと原盤制作のマネージメントのみの契約となっておるな。名刺を渡してくれた者は勿体無いと言いつつ了承してくれたから大丈夫じゃろう」
芸事で飯を食うのは名前を売ることと等しい。なのに芸はしても名前は売らない逸材というものは大変扱いづらいものに違いない。キツネさんに体を売らせようと画策した者がいたのも恫喝的な目的があったのかもしれないし、キツネさんを見出した人らとのすれ違いか意見の対立なんてものもあったのかもしれない。
まあ想像してみてもその域を出ない。俺にはキツネさんがあまりメディアに露出する気はなさそうということがわかっただけで十分だ。
しかし、少々残念でもある。
「キツネさんの歌う姿がテレビに流れないだろうというのは良かったようにも思いますけど、残念にも思うところもあって複雑な気分です」
「残念とは関係者全員に言われるのう。全員歌で黙らせたが」
方向性が違うだけでどこまでもキツネさんの解決方法が力技な気がするんですが、気のせいでしょうか。
「黙らせたと言えば、付き合っている人がいるか、別れるつもりはあるのかと聞かれもしてのう。その時は歌ではなく殺気で黙らせた。まったく、儂の歌はタダシ殿ありきだというのに」
思い出し怒りしながらモサモサとカルパッチョを食べつくすキツネさん。はた目にはちょっと嫌なことがあってヤケ食いする美人さんである。
「スタジオミュージシャンにもいやらしい目をする者がおるし。演奏技術をそのまま真似て見せてへこませてやったが」
キツネさんの愚痴は続く。酒が入っても酔いを感じさせない人なので、酒は関係なく本当に愚痴ってるだけなんだろう。
何処でも誰でも新しい職場というのは大変らしい。俺とキツネさんほどの違いがあっても。




