キツネさん、好みのモノ
俺から浮気ではないという証言を得たからか、キツネさんは不安を解消したのか機嫌を持ち直してギアを上げて食事を進め始めた。
「ここの料理は美味いのじゃが、量が少なめなのが不満じゃのう」
「バーの食事ってそんなにガッツリ食べるもんじゃないですからねえ」
飲み処での食事というものは、酒に比べるとコスト管理が難しい。封を開けなければ年月単位で持つ酒と違い、日単位で考えなければいけない。さらには食事がメインではないので注文の波が一定ではなく材料が無駄になりやすい。廃棄一歩手前で店主や従業員の賄いにしたり、お通しに使ってしまったりして使い切るものだ。
もしくは常連にサービスしたりしてしまうものである。今まさにキツネさんの目の前にサービスと言いながら一皿提供されている。
「何やら、この店に来るたびに一品料理をおまけされている気がするのう。いいんじゃろうか」
「気にしなくていいと思いますよ。よく来る客にはおまけするのが商売ってものです」
キツネさんが飲み処で遣う金額を考えれば、さもあらん。原価比率的にはラーメン屋が常連客にサービスで煮卵一個つけたりするのと似たようなもんだろう。
「そういうものかの」
「キツネさんのバイト先でも、その辺り権限ある人は裁量でサービスしたりするでしょう?」
「確かに。持ち帰りの常連客には小さいコップでコーヒーの一杯くらい出したりするのう」
原価比率を考えるとラーメン屋の煮卵半分以下程度のサービスだろう。大手チェーン店のドリンクなんてそのほとんどは席料みたいなものである。
「というわけで、キツネさんへのサービスでしょうし、キツネさんが存分にお召し上がりください」
「……そうさせてもらうとするかのう」
俺の遠慮の言葉を受けてキツネさんが料理を見て頷いた。
提供されたのは赤身魚のカルパッチョサラダである。俺は別に生魚もサラダも嫌いじゃないんだが、かけられているマヨネーズらしきソースを口にする気が起きない。小さい頃からマヨネーズが苦手で、歳をとってからは我慢して食べられるようにはなったが、好んで食べようとは思えない。駅前のタコ焼き屋で一皿買ったときに半分にはかけないでくれと注文したときから、俺がマヨネーズを好んでいないことをキツネさんは重々ご承知である。
見たところ、野菜類はみずみずしい。魚の方が少々日が経ったものなのかもしれない。それでもカルパッチョとして出てきているので鮮度に問題はなさそうだ。邪推かもしれない。
魚肉と葉野菜を一口分食べて、残念そうにキツネさんは言う。
「美味いんじゃがのう、ここのカルパッチョは」
「食べられなくはないんですけどね。美味しいと思える人が食べたほうが、みんな幸せでしょう」
「ふむ。物も人も好みは千差万別じゃからのう。小さな親切なんとやら、か」
ありがた迷惑とも言う。
キツネさんの連れとして考えれば十分な親切なサービスではある。キツネさんの言葉からして、分身さんがここに来るときはよく食べているのだろう。
「それはそれとして、これを食べていると日本酒が欲しくなるのう」
「ワインじゃないんです?」
「刺身には日本酒じゃろう? まあここには置いてないからのう、焼酎はあるんじゃが」
刺身。まあ刺身っちゃ刺身だが。大根のツマの上に大葉をのせ、さらにその上に刺身を盛って、お好みで醤油とわさびをつけるのをジャパニーズカルパッチョと言うようなもんだろうか。
キツネさんがビールを空けて店員さんを呼ぶ。メニューも見ずに機嫌よく焼酎の銘柄を挙げてロックで注文するのに合わせ、俺もブランデーの銘柄を挙げてロックで注文する。
店員さんがオーダーを繰り返して用意に戻っていくのを見送ると、キツネさんは俺に流し目を向けた。
「普段タダシ殿はそれほど酒を飲まんのに、ここに来るとやけに酒精の強いものを飲むのう」
「酒はあんまり量を飲めないんですけど、蒸留熟成酒は味が面白くて好きなんです。それでもやっぱり酒に強くないんで、そんなに飲めないんですが」
「好みと強さはまた別か。面白いものじゃの」
「そんなに珍しいものじゃないと思いますけどね」
好みが体に合うかというのは、酒に限らない。パスタが好きでパスタばっかり食べていたら小麦アレルギーになってしまったという話を聞いたことある。そこまで極端な話でなくとも、基本的に食の嗜好品は砂糖やら油っこいものやら、大抵が食べ過ぎると毒になるものばかりである。
食とは別方向で言えば、姉貴の友人の女性に付き合う男性のタイプがどうにもクズばっかだった人がいるのだが、理想とするタイプは全く違かったり。幸せな生活を望んでいるのにクズにばっかり引っかかる、難儀な人である。
そんなつらつらとどうでもいいことを語りながら、ブランデーをゆっくりと舌の上で転がす。酒を飲んでいると話が明後日の方向に飛んで行くのはよくあることだ。
話がふと途切れた合間、悪戯っぽくキツネさんが笑みを浮かべて言う。
「男の趣味、のう。儂とタダシ殿は他所から見たらどう映るのじゃろうのう?」
「こっちの価値観で客観的に見れば、摩訶不思議な事象としか言いようがないでしょうね」
「異世界の価値観で客観的に見れば、人身御供じゃろうのう」
誰が誰に対してとはお互い言わずに、声を出さずに静かに笑い合う。
笑っていると、ふと思ったことを考えなしに口に出していた。
「そう言えば、キツネさんの男性の好みって聞いたことなかったような」
「儂の好み、のう」
口に出してから余計なことを言ってしまったと思ったものの、キツネさんは特に不機嫌になることもなく、眉間をつまんで少し悩んで応えた。
「昔は強い男じゃったのう」
「……それは、物理的にキツネさんより、ってことでしょうか」
キツネさんが髪型を俺の好みに寄せてくれたりしているので、つい口にしてしまったものの真面目に応えが返って来るなら努力すべきと今ちょっと思っていたのだが、どうすりゃいいんだろう。
「元々が野生じゃからのう。力こそ正義!であったが、魔物となって義母に引き取られてからも深く考えたこともなし。一緒に居て、幸せであればよいじゃろう、と今は思うがの」
「そうですね」
そんなにデカいことを望んでいないようだ。ありがたい。




