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異世界のキツネさん  作者: QUB


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キツネさん、甘やかす

 三月頭、出会って一周年という頃合い。キツネさんが順風満帆にメジャーデビューを目指す横で、俺もまた何度目かの人生の転換期に入っていた。

 具体的には。


「今月末に俺の勤め先の会社が倒産します。そういうわけなんで、ちょっとバタバタして、いろんな意味で余裕がなくなりそうです」

「お、おう……」


 俺の説明にキツネさんが困惑する。

 週末金曜の夜、いつものように外食でキツネさんが勢いよく生ビールだけ先に頼んだところでのことである。


「せっかく出会って一周年なんで、なんかしようかと思ってたんですが。すいません」

「いや、謝られるようなことでもなし、かまわんのじゃが。その、倒産というのは、大ごとなのではないのかの。にしては、やけにタダシ殿は冷静のような……?」

「そう遠くないうちに、そうなるだろうと覚悟していたので」


 冷静というかなんというか、来るときが来たという感はある。

 そもそもが昨今の零細印刷会社なんて、いつ潰れるかわからないような会社ばかりだ。

 社会全体として印刷物は総じて減少傾向。我が社の主要取引の、企業のマニュアルや大学のシラバスなんかは電子化してスマホかタブレットで見ろって流れか、安いネット印刷に移行するかだ。そういう仕事は部数もページ数も作業量も多くて金になる仕事だったのだが、イコール、金を出す側からすれば費用のかかるものであるわけで、コストの低いほうに移り変わるのも仕方ない。印刷会社もコストを抑えるために写植屋さんやアナログ製版なんかを切ってデジタル製版に移り変わってきたわけだし。

 なんにせよ、しばらく無職の予定である。


「機械に仕事を奪われると言って、産業革命時代に暴動を起こした人達はこんな無力感を抱いていたんでしょうかね」

「いや、じゃから、そのわりにはこう、タダシ殿はいつもとあまり変わらないように見えるんじゃがの」

「養わなければいけない誰かがいるのならともかく、自分一人の食い扶持くらいならなんとかなるでしょうし」


 食っていくだけなら割となんとかなるものだ。養う家庭を持っていたら大変だが、うちの場合はキツネさんの稼ぎは俺をはるかに超えているし。

 と、そこに思い至って思い出した。


「そういえば、出会った当初にキツネさんの食い扶持は心配するなって言ったのが嘘になっちゃいますね」

「ああ、そんなことも言われたのう。忘れてはおらんがの」


 やって来た生ビールジョッキを早々に半分空け、キツネさんはニッと不敵に笑った。


「儂もタダシ殿に、仕事を辞めてもよいのじゃぞ、と言った記憶がある。資金と今後の稼ぎの見当も問題はないから安心するとよい」


 魅惑的である。金持ちの美人に養われるという甘い誘惑。とある漫画のキャラクターが美人とイチャイチャしながら退廃的に過ごしたいと叫んでいたことに、深く感銘を覚えたものである。

 が、いざ実際にその生活ができると言われても、ちょっと尻込みしてしまうチキンな俺がいる。


「安心ですしありがたいですけど、ヒモになるとどこまでも自堕落になると思うので、いちおう働いていたいですね」

「むう。なんじゃ、タダシ殿と一緒の時間が増えるかと思ったのに」

「キツネさんと一緒ですよ。キツネさんがレコード事務所の名刺をもらって無視しなかったのだって、金が目的じゃないでしょう?」

「そうさのう。何かしら刺激があってこその生か」


 キツネさんの音楽活動に関して、俺はほとんど口を出していない。何かするつもりならソルさんに事前に相談しておいた方がいいとは言った。

 俺も含めた相談結果としては、分身してあちこちで目立つと面倒だから、バイトに学生としての身分の整合性として、弾き語りもやるなら都内にしておいた方がいいということに落ち着いた。さらにはレコード会社に指示された下積みとして、学生身分の間は首都圏のライブハウスを巡るらしい。


「今まで経験したことのない生き方というものも刺激ということじゃな」

「そうですね、キツネさんは音楽で。俺で言うなら新しい職種になるかな。ちょっと厳しいでしょうけど」


 キツネさんは納得したように一つ頷いたものの、妖艶に自身の唇を撫でて言う。


「違う違う、タダシ殿。こちらで面白い言葉を知ったのじゃがの。三千世界の烏を殺し、主と朝寝がしてみたい、とな」

「俺もその言葉は聞いたことがありますが……別に、大型連休のときでもよくないですか、それ」


 というか、キツネさんと朝寝なんていつものことである。本題としては時間を気にせず一緒にいたいということだろうが。

 深く考えずに突っ込んだら、キツネさんがゴンッとテーブルに額を打ち付けた。


「ち~が~う~の~! 何も考えずに時間制限もなしに、ただゴロゴロイチャイチャヌルヌルしてたいの~!」

「ちょっと、キツネさん」


 声がデカい。馴染みの店員さんが半笑いでこちらを見ている。隣のサラリーマン集団からはなんか生暖かい視線を感じる。

 グリグリと額をテーブルに押し付けて頭を揺らすキツネさんを説得にかかる。


「なんにしろ事後処理してからの話です。大声でヌルヌルとか言わないで下さいよ」

「いや、ただのやかましい客としか認識されておらんから安心せい。甘えてみただけじゃ」


 起き上がったキツネさんがケロリとうそぶく。

 どうも気配やらの隠蔽の熟達する方向性がおかしい気がする。

 つい俺は溜め息をついた。


「しばらくはゆっくりしてもいいかな、とは思ってますけど」

「いざとなったら諸々含めて異世界あちらでタダシ殿とのんびり過ごすことにしてもよいしの。烏を殺すのは別にこちらでせんでもよいことではある」

「じゃあ今のはなんなんですか。外で変に叫ぶなんて珍しい」

「本当に甘えてみただけじゃ。仕事も何も気にかけずに過ごす時間があってもよいじゃろう?」


 テーブルに頬杖をつき、キツネさんは可愛らしく囁いた。

 キツネさんが甘えるというか、俺が甘やかされるだけのような気もする。

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