キツネさん、酔わせる
体の大きさに比較して体毛の長さはそうでもないらしく、キツネさんの毛皮は呼吸するのもしんどくなるようなカーペットではない。目を閉じてキツネさんの体温にしばし埋もれた。そんなに長くならなかったのは、さすがに毛皮が必要になるような陽気ではなかったからだ。どうせなら春秋のすこし肌寒いくらいのころに堪能したい。キツネさん本人は暑くないのだろうか。まあ暑くないんだろう。暑かったら暑かったでどうとでもする御方でもあるし。
キツネさんから離れて、改めてその体躯を観察する。パッと見で何メートルとか測れる目を持っていないので体長はよくわからない。ただ、後ろ足のさらに後ろにある尻尾は胴体と同じくらいの長さはあり、そして太い。直径がメーター越えしていそうだ。すごい存在感。
「立派な尻尾ですねえ」
『体はいいんじゃが、この姿のときに尾に触れるのはお勧めできんぞ。酔いかねん』
「……尻尾で酔うとはどういうことなんでしょう?」
こうも大きい尻尾に掴まって振り回されたりすれば酔いもしようが、そういうことじゃないだろう。
『儂の尾には大量の魔力が貯めこまれており、常人は大量の魔力に酔う。魔力を抑えることもできるが、今は抑えておらん。儂本来の姿を見せておるのでな。長く儂の尾に触れると、今のタダシ殿では体に不調をきたす。分身をつくるために数はひとつじゃがの』
魔力って酔うものなのか。
今までも色々と魔力というものに触れてきたがそんなことはなかった。それこそ魔術で体を女にされて男に戻されたときも、精々が重心のバランスの違いに戸惑った程度で特段体に不具合は生じなかった。
というか普段のキツネさんはその魔力をどうしているのだろう。
「人型のキツネさんの尻尾に触っても酔うようなことはなかったですけど」
『人の姿のときの尾は飾りに等しいからのう。儂が狐であるアイデンティティーのようなものじゃ。姿をそのまま借りないようにした妲己へのリスペクトとでも言えばよいじゃろうか』
中途半端に横文字を遣わないで頂きたい。途端に薄っぺらい音楽性を語る一九九〇年代から二〇〇〇年代にかけて巷にあふれて消えた底の浅いビジュアル系みたいな言葉になる。今も現れては消えているのかもしれんが。いやそれはどうでもいい。
俺がキツネさんの返事へ心の中で明後日の方向に突っ込みを入れていると、霧がキツネさんの体を覆って隠し、人型に縮まって俺のよく知る人型のキツネさんが服を着て姿を現した。
「この姿の時は他人に触れても害のないように調整しておる。そもそもが人々と交流するための仮の身じゃったからのう。魔力を抑えるのが癖になっているとも言えるような」
「一般人が酔うような魔力や大きな体の構成要素はどこに行ってるんです?」
獣型キツネさんはほそっこいモデル体型の人型キツネさんの質量何人分もありそうである。分身はそこから来てるのだろうか。
俺の質問は質問で返された。
「詳しくは魔術の深奥に挑むことになるのう。聞かせるのはいいが体得してもらわんと理解もできんじゃろう。短くて数年もあればなんとか」
「数年で済むんですか」
「魔人化して儂とソルがみっちり魔術の知識と技術を叩き込めばおそらく」
「遠慮しておきます」
簡単に人の道から概念的に外れるようなことを言わんでください。
「そもそも魔人って簡単になれるものなんですか」
「異世界では魔力の濃いところで心から望めば、割と簡単に生き物は魔物や魔人となる。が、こちらでは簡単にはいかんじゃろうなあ」
「簡単か難しいかどころじゃなく都市伝説ですねえ。歴史書を調べると寿命が数百年てことになる王がそこら中にいたみたいですけれども」
「魔力という条件だけであれば、儂の尾に包まれて一晩もあれば不可能ではないかのう。純粋にこちらで魔のものになる手段とは言えんがの」
体調不良になるどころか真っ当な生き物じゃなくなるじゃないですか。人を人ではなくしてしまう尻尾。なんだかとても魅惑的なものであるかのように思える。動物を愛でたい方々ではなく、人というくびきから放たれたいマッドな方々向きのものだが。
「まあ魔となったものは心が壊れておることが多く、理性を残すものは希少じゃ。タダシ殿にはお勧めせんよ」
「キツネさんの技術を理解しようとすると、心に異常をきたす覚悟がいるんですか」
「儂も旦那様の技術を理解しようとして、毎晩のように心も体も乱されておるがの」
キツネさんは悪戯っぽく笑って公園から出て行く。俺は少し呆れるようにしてついて行く。
なんでこう下ネタなジョークを言うときのキツネさんはおっさんぽいのか。というか古今東西下ネタってのはどれもおっさんぽいか。女性っぽい下ネタジョークってのは男の俺が知らんだけとも言える。
公園から出るとキツネさんに腕を組まれ、下って来た坂よりも緩やかな坂を上る。
「冗談はともかく、儂らの言う魔人や魔物とは常人より魔力の扱いに長けたものを言うのじゃが」
車の音を聞こえたのでキツネさんの体を引いて道の端によると、横に見えるキツネさんは何か思案するように視線を上に遊ばせて話を続ける。
「こちらでの常人と魔人を定義するならば、タダシ殿はこちらでは魔人とはならんかのう」
車を避ける体勢のまま立ちつくす。
ふむ。魔人が常人より魔力の扱いに長けたものという定義であれば、俺は魔人なのか。
しかしソルさんレベルで魔術を使えるかと言われても使えるわけもなく、多少普通ではないとは思うが魔人と言われても一向に実感がわかない。どうにも俺の方が圧倒的にレベルが低い。60対2くらいだろうか。
「オレハマジンコノエタダシ。コンゴトモヨロシク」
「女神転生はドラクエより難しくてのう。今まさにソルが儂の分身と一緒にやっておる。分身ともども何かケタケタ笑っておるが」
キツネさんが何かを確認するように北方面へと顔を向けて言った。
俺も笑う。
 




