第19話 決意【師の背中】
アルテナが住んでいる家の部屋へ陽の光が差し込んでくる頃になって、ようやく泥だらけでうつろな目をしたアルテナが帰ってきた。
家の扉の前で立ち尽くすアルテナに、扉をそっと開けたハマンが声をかけた。
「あ〜ぁ、なんて格好?泥だらけじゃない!みっともない」
「……」
ハマンに目を合わせること無く、アルテナは黙ったままだった。
「その様子じゃ、どうしたの?と、聞くまでもないか」
「……」
何を言っても反応のないアルテナに、痺れを切らしたハマンは、大きくため息をついた後、アルテナの手を引いて風呂場へと連れていった。
風呂場についても、何もしないアルテナの衣類を剥ぎ取ると、ハマンはアルテナの全身を優しく丁寧に洗ってやった。
体を拭き服を着せ、いつも食事をするテーブルの椅子にアルテナを座らせると、ハマンは、
「ほら!いつまでもボ〜っとしてないで、濡れた髪をそれで拭いて乾かしなさい。もう、知っているとは思うけど魔術で生み出した水は魔法と違って勝手に消えないんだから」
「……」
アルテナは頭にかけられた布を目で見ると、ゆっくりとした動作で動かしはじめた。
しばらくして、ハマンが奥のキッチンから何かを手にして戻ってきた。
「どうせ一睡もせずに、昨日から何も食べてないんでしょ?これを飲みなさい。少しは落ち着くわ」
ハマンにそう言われ、目線を上げると目の前にはコップが置かれていて、ハーブのようないい香りが漂ってきた。
アルテナは、その香りに誘われるままコップを手にした時、コップの中に映る自分の顔を呆れた表情で見つめ、フッと自嘲気味に笑った。
「ひどい顔……」
思わずそう、もらした。
「本当に」
そう言ったハマンの方から暖かく乾いた風が、アルテナの髪を撫でるように吹いてきた。
ようやくアルテナは、ゆっくりとだが顔を上げてハマンを見た。
「やっと、あたしを見た。ねぇ、アルテナ。見えているのと見ているでは、全く違うのよ」
ハマンはアルテナの髪に風を当てながら、慈しむように、その背を諭した。
「―――いい?見えているって目に入って来た情報を単に受け流しているだけの状態の事。見ているは、その情報を自分の内面や現実に踏み込んでいる状態の事。このふたつの違いは、単なる視覚的な情報を『心でどう受け止めているか』という納得の差を生んでいるの。あなたが昨日の夜、見てきたのは、いったいどっちなの?」
「そ、それは……」
アルテナは、また言葉を詰まらせた。
下を向いて、小さく頷いたアルテナに、ハマンは、
「やっぱり、あたしとフェレーラの話を聞いちゃったのね。それで、事実を確かめたくなって、彼に会いに行った。だけど、あなたの不安な気持ちを彼は、取り除いてはくれなかった……」
「ハマン。私、……どうすれば、……どうすればいいの?!」
今にも泣きそうなアルテナの頬をハマンは両手で包むと、上を向かせた。
「どうすれば?……。その答えをあたしが出していいの?『そんな男のことは、忘れてしまえばいい』って言えば、忘れるの?」
その言葉にアルテナは、震える唇を内に噛んだ。
「バカな子。誰よりも愛されたいくせに、愛することに怯えるなんて……」
ハマンは、そう言って、衝動的に優しく抱きしめた。
「ねぇ、アルテナ……。どうすればいいのか、を他人に問うのではなく、どうしたいのか、を自分の心に問えば、自ずと答えが出るのではなくって?あなたが昨日見た彼は、あなたが知っているブラントだったの?首飾りが無くったって、あなたには―――、ううん。あなただからこそ、わかるはずよ!」
すると、アルテナの記憶にあるブラントの『表情』が、『声』が、『手の温もり』が―――、
沈んでしまっていたアルテナの心に一気に溢れ出し、満たしてゆく。
「―――うつむいたまま、ここで結果を待つのか、前を向いて歩き出すのか。小さかった、あなたから今のあなたまで、いったい誰の何を見てきたの?あなたが、心から尊敬する先生は、目を逸らさず夜明けとともに出ていったわ!」
ハッとなったアルテナは、ゆっくり息を吸いそれを一気に吐いた。
「ありがとう、ハマン……。もう、大丈夫。だから、お願い!先生の行き先を教えて」
今まで精彩を欠いていたアルテナの色違いの瞳は、そのどちらも輝きを取り戻した―――。
◇
山を背にロリエッタはひとり、腰掛けるのに丁度いい岩の上に座りながら、麓に広がる深い森に彼女は目を向けていた。
既に太陽は一番高いところを過ぎ、傾きはじめているのに、ロリエッタは、ここに着いてから、まるで人形のように動きを止めたまま、そこにじっとしていた。
それはまるで、嵐の前の静けさを体現するかのように―――。
そんなロリエッタの鋭い視線が、不意に何かを捉えた。
「……来たか!」
ロリエッタは、腰掛けていた岩から降りると立て掛けてあった杖を手に取った。
振り返る彼女の目線の先には、真っ直ぐと近づいてくるブラントの姿があった。
「やはり、お前じゃったか!」
ロリエッタは眼光を鋭くした。
「ん?なんだ、ハマンは来てないんだ。騙すなんて酷いじゃないか!お、バ、バ!」
ブラントは薄ら笑いで、そう言った。




