プロローグ めくるページのその先に‥‥‥
「ブリィ~~っ!」
セシリアは、焦燥に駆られて声を張り上げた。
いつもなら、すぐに見つけられるはずだった。我が子の好む場所くらい、母親である自分はすべて把握しているつもりだったからだ。
なのに、今日は見つからない。いや、見つけられなかった。
「もうっ! あの子ったら、一体どこへ行ったのかしら。ブリィー!」
何度呼んでも、木霊するのは静寂ばかり。
午前中に大聖堂で行われた洗礼式。祖父に連れられて参加した娘のブリトニーは、本来なら昼食を済ませた後、今度は父親と共に午後の式典へ向かう予定だった。
ブリトニーのように人族の子は、七歳になれば全国にあるパルテール教会の各聖堂で洗礼を受けることができる。
彼女は、まだ六歳で来年には洗礼式を受けられるのだが、ブリトニーの祖父が教会の枢機卿という立場もあって、洗礼式を見に行くのが、三つの時からの恒例行事になっていた。
例年なら「なんだか疲れちゃった」と気怠げに帰ってくるはずの娘が、今年に限っては、これまでにないほど瞳を爛々と輝かせて帰宅したのだ。
セシリアはその豹変ぶりに、言葉を失うほど驚いた。
『……これは、絶対に何かあったわね!』
確信したセシリアが事情を聴こうとしたものの、興奮しきったブリトニーは、帰宅するなり何かに取り憑かれたような様子でどこかへ消えてしまった。
『食事の席でゆっくり聞けばいいわ。どうせすぐにお腹を空かせて戻ってくるでしょうし』
などと、楽観視していたセシリアだったが、昼食の刻限になっても娘は姿を見せない。
庭にも、お気に入りの屋根裏にも、その影はなかった。
心配が頂点に達し、使用人たちを総動員して屋敷の隅々まで捜索させた、その時。
一人の使用人が、息を切らしてセシリアの元へ駆け込んできた。
「奥様! いらっしゃいました! ……書庫、書庫です!!」
「……しょ、書庫!? まさか、あんなに読書嫌いだったあの子が、書庫にいるなんて!」
セシリアは、娘を見失っていた理由にようやく合点がいった。
それと同時に、娘をそこまで駆り立てた『何か』への好奇心と不安が、彼女の胸をさらに激しく打ち、その足を早めた。
◇
書庫の扉を「バンッ!」と勢いよく開け、セシリアは淑女らしからぬ足取りで、ドスドスと部屋へ踏み込んだ。
「ブリ!!」
「あら、お母様。どうかいたしましたの?」
騒々しいしく書庫に入ってきた母親に対し、ブリトニーは読んでいる本から視線すら外さずに生返事を返した。
「どうかなされましたか?じゃ、ありません!!あなた食事を終えたら、お父様と一緒に式典のパレードに同行するのではなくって?」
本の世界に深く沈み込んでいたブリトニーだったが、その言葉で一気に現実へと引き戻され、みるみる顔を青ざめさせた。
「……!! まあ大変! そうでしたわ!!」
「そもそも、あなたが自分からお父様にお願いしたことでしょう。しっかりなさい!」
『あんなに本を避けていた子が、食事も忘れて没頭するなんて……』
娘の無事を確認して安堵したものの、約束をすっかり失念していた様子に、セシリアは呆れ顔で小言を並べた。
「申し訳ありませんわ、すぐ準備いたしますの!」
ブリトニーは弾かれたように椅子から立ち上がると、慌てて本を片付け始めた。
「まったく、この子ったら……」
その様子を見てセシリアは小さく溜息をつくと、散らかった机の上を整理するのを手伝おうと、さっきまでブリトニーが読んでいた本を手に取った。
「―――あら? 何をそんなに真剣に読んでいるのかと思ったら。プルーバーの『魔王子と半魔の娘』じゃない」
「えっ? お母様も読んだことがありますの!?」
不意の言葉に、ブリトニーは意外そうな声を上げた。
「当然です! これでも『女神アルテナ』様に関する著書には、ほぼすべて目を通しているつもりよ」
「さすが、お母様ですの!」
「パルテール教会に身を置く者としては当前の嗜みです! ……にしても、懐かしいわねえ。子供の頃に読んだきりだから、詳しい内容は所々忘れかけていたけれど……。何度も夢中になって読み返したことだけは、はっきりと覚えているわ」
セシリアは懐かしむように、パラパラとページをめくった。
「ねえブリ、知っていた? この本の作者『プルーバー』という人物。作品は三百年前のものだと言われているけれど、突如として各地に現れて……実は、性別すら謎に包まれているのよ」
「へぇ……。作品はこの『魔王子と半魔の娘』以外ありますの?」
ブリトニーは、机に出したままの本を棚に戻しながら、セシリアの話に耳を傾けていた。
「いいえ、この作品のみ。作品自体はこれほど有名なのに、作者自身に関することは、パルテール教会の記録にすら残っていないのよね」
セシリアは椅子に座り、片肘をついてページをめくった。
「―――地の文が少なく、会話劇のような構成……。少し子供っぽい表現だけれど、その分、登場人物たちが今にも動き出しそうなほど生き生きとしているわ。魔族側の視点で書かれた伝記なのに、人族の間でもこれほど愛読されているのは、稀有なことね」
「ふーん。……確かにですの。読書嫌いのわたくしでも、不思議とスラスラ読めてしまいましたわ」
「でしょ!!人族と魔族の争いが長年にわたり続いてた時代、人族と魔族の間に生まれたアルテナ様のような半魔人は、差別の対象。そんな中、世界に平和を取り戻そうと、ひとり邪神に立ち向かっていくお話!子供心にワクワク、ドキドキしながら一気に読んだ記憶があるわ」
「えぇ、わかりますの!わたくしも自分の部屋でゆっくりと読むつもりでいたのですが、数ページ読んだら止まらなくって、……つい」
「ところで。読書をあんなに避けていたあなたが、どういう風の吹き回し? 書庫には他にも立派な歴史書があるのに、なぜこの本だったの?」
「そ、それは……ですの……」
ブリトニーは大好きになった、ひとつ年上の女の子『シャロン』と『魔族の男の子』が、この本の事で楽しく語り合ってるのを羨ましく思い、「悔しくって読み始めたの!」なんて口が裂けても言えず、ブリは泳ぐ視線を必死に逸らした。
コン、コン、コン。
「失礼いたします。奥様、ブリトニー様。旦那様が、お急ぎになるようにと……」
使用人の言葉に、二人は本来の目的を思い出し、顔を見合わせて大慌てで書庫を飛び出していった。
静まり返った書庫に、静寂が戻る―――。
しばらくして、ブリトニーが開けたままにしていた窓から風が、時折カーテンを押し退けふわりと入って来た。
そして、風は、机の上に置き去りにされた本のページをパラパラと、乾いた音を立てながら次から次へとめくっていく。
それは、まるで―――、
やがて訪れる未来をなぞるかのように……。




