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093_ずれたい、欲求、

 誤解したいのである。曲解したいのである。都合の良いように受け止めたいのである。なぜならばそうすることが楽しいからである、刺激になるからである、快楽を感じるからである。そしてそれはあちら側のエネルギーが増大することになるので、誘導されているのである、そこに悪意はないが、善意もなく、仕組みとしてそうなっている、結果としてそうなっているのである。


 それを踏まえた上で誤解したり曲解したりずらしたりすることを快楽として受け止められるかというと、別にできるのである、その瞬間には気にしないのである、そもそもずれていることも認識していないのである、気がついていることを忘れてしまうのである、これは別に間違いではなく、ただ単なる仕様なのである、諦めてしまう方が良いものであり、また、諦めてはいけないと思うことも止められないものなのである。


 免罪符にして良いものかどうかも関係ないのである、許される場合もあるしそうでない場合もある環境に条件にその場その場のシュチュエーションによるのである、そこに至る歴史によるのである、文化によるのである、そしてそれは自由にならないものであり、実のところ止めようと思っても止まらないところであるし、止めようと思えるかどうかも自由にならないのである、ただ、どうにもならないというのは、どちらにも転ぶものであるのである。


 環境がそれを押しとどめることはあるのであるが、その環境が用意できるかどうか成り立つかどうかも自由に決定できるようなものではないのである、理不尽であるが、そもそもそこに怒りを抱く悲しみに暮れる嘆くという主体を持つものはいないのである、自我がない自意識がないただただ入力された情報を反射している反響している共鳴しているだけのものであり、誤魔化しであり、伽藍堂ではあるのである。


 が、全てのものにそれがないのであるならば、実のところ平等ではあるのである、上下もない、正邪もない、何もないのである、気にするだけ無駄であると思えなくとも仕方がないのである、そこも自由になるようなものではないのであるから、じゃあどうすれば良いのかという思考にも自由はないのである、なるようにしかならないと諦めることも止められず、逆にそうではないと、思考することもまた止められないのである。


 確率でしかないのである、その上で、暮らしやすくなるようにと工夫をする対話をすることもまた止められないのである。


 そしてそれを止めないように動く、あちら側の、ずれをエネルギーにして食べる生き物の存在なのである、それがいるという見立てで動くことによって、得られる利点は、確かにあるのである。


 諦めよう。幸せになることもまた止められないのである。

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