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054_気がつけばあちら側に。

 気がつけばというか気が付かずになっている場合もある、というか振り返るという意識が残っているのかどうかという問題であり、もしくはそのような概念というか思考が働く形として保たれているかということである。


 情報のズレをエネルギーにして行動する、生きる、生き物に思考はあるのかというならば、自我があるのかというならば、いわゆるこちら側と同じ定義ではあるし、それ以上にあるとも言える、なぜならばパラメタの使用範囲が広いからである。


 ただそれは異質なものでありこち側との対話は直接的には不可能である、これは以前にも記述した。


 ではそれを簡素化して、もしくは、わざと不鮮明にして、こちら側との対話が直接可能になるのかというと、これはなる。ただ妄想と違いが無いので証明は不可能である。


 ようはこちら側の情報ネットワークを利用して、あちら側の思考をシュミレートしてみようという試みであるのであり、これは多分こうなのではなかろうかなという推測に過ぎず、正解は、答え合わせはできない類のものであり、せいぜい精度を高めたと宣言するくらいしかできないものである。


 それは妄想と違いはなく、使い所としては、自己啓発とかなんとか、怪しげな宗教的な、イニシエーション的な、シンボルに対しての瞑想的な何かとしてしかの、価値しかない、もしくは意味がない。


 何に役に立つのかというならば、思考実験にし必ず、内省を深めることによる脳みその訓練とか、脳トレとかにしかならない、がそれはそれで価値がある、とする者も多いのではないかと予想する、なぜならばその手の自己鍛錬系のコンテンツが過去現在に渡って受け入れられている事実があるからである。


 別に複雑なことを言っているけれども自分自身の脳みそもこちら側の情報ネットワークの一部であることは変わりなく、思考をただ深く回し続けることで簡単にそれをなすことができる、始めることは難しくはない、答えが出ないだけである。


 そこで完璧に答えが出るというのであるならば、それは錯覚であり、ごまかしであり、嘘であり、何かに騙されているのであるから、状況と環境を注意深く、精査して対策を取らなければならない、別にそれはそれで幸せであるというならば、受け入れてしまうこともありではある。


 好きに生きれば良いという言葉はこのような時に使うものである。


 私は好きに生きた、君も好きにやれ、そのような大意である台詞、というのは、ある種、福音めいた文言ではあると、私は思うのである。


 良い映画であった。

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