第9話 “やばいこと”が起きたらしい
それは突然の出来事だった。
馬車に乗っていただけ、とはいえどこか気を張り詰めていたのだろう。ベッドに横たわると、どっと抗いがたい睡魔が全身を襲った。
未だ瞼は開いたままだが、指一本を動かすのもままならない。ちゃんと布団を被らなければと思いはするものの、それさえ億劫に思えた。
「(まあ、明日も早いし……)」
夜は深まり、良い子はとっくに寝る時間だ。今の私は10歳児だし、怒るような人も居ないだろう。
睡魔に抗うのをやめ、瞳を閉じればあっという間に深い眠りのそこへと転がり落ちた──はずだった。
「ううっ……やっぱりほこりっぽいな……」
聞こえるはずのない、誰かの声が聞こえた。
私の通された客室と、ヴィオレット辺境伯一家の居住区はかなり距離がある。というか、そもそも建物自体が違う。
一家の居住区は本館、客室は別館。
お客様が静かに過ごせるように分けられている。それに加えて魔法具による防音設備も備わっているはず。
これは大抵のストレリチア王国貴族はもちろん、王宮にだって当てはまる間取りだ。だから、どれほど辺境伯一家が大きな声で騒いでいたとしても彼らの声が聞こえることはまずない。
メイド達は少し前にみな下がっており、当然彼らの居住区からも別館は遠い。
──では、この声の主はいったい誰なのか……?
眠気のせいで上手く働かなかったはず頭が物凄い勢いで回転し、警鐘を鳴らす。
ベッドから跳ね起きた私は周囲を見わたす……が特に異常はない。そもそも異常があったとしても、私一般人! 良くても王女! 気配察知能力なんていう高性能なものは持ち得てない。
ひとまずテラスへ繋がる窓の鍵を開けた。用意された客室は2階ではあったが、護衛騎士達の控える両脇の部屋のテラスと繋がっている。何かあれば駆け込めば良い…駆け込めるだけの時間があれば、だが。
カタリ、と軽い音を立てて壁際の床の一部が開く。
人間は本気の恐怖を味わうと、声すら出ないのだと身をもって知った。
床板が外れると同時に顔をのぞかせたのは──
「アリス……様?」
「あっ、殿下。おやすみのところ大変申し訳ございません」
軽々と床下から這い上がったアリス・ヴィオレットが、百点満点の仕草でスカートの裾を摘み最敬礼をする。
「アリス・ヴィオレットと申します。このような不敬をどうかお許し下さい」
薄桃色の髪が揺れ、愛らしい表情が浮かぶ。しかし声はどことなく緊張感を感じさせる物であり、その表情とのちぐはぐさを強く印象付ける。アリス・ヴィオレット。
6歳にしては少し体格も顔立ち幼いように見える。しかしその仕草は教養の高さを感じさせるもので、少なくとも6歳には思えない。
以前ならば──少なくとも、ヴィオレット辺境伯領土へ入るよりも前に彼女とで会っていれば、大変優秀な子供だと感嘆の声を上げただろう。
しかし、今私が抱く思いはそれとは相反するものだった。
「私、色々貴方に聞きたいことがあるの。どうぞ、座って? お茶を用意するわ」
「ありがとうございます。失礼いたします」
室内に用意されているソファーを指さし、私は平静を装って微笑む。
“いついかなる時も冷静であれ”
異世界に生まれ──王女教育を受け続け10年。生まれて初めてそれが役に立ったと思った瞬間だった。
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