18 風が動いていた
「風が動いていた、ですか? 風は吹いていますけど……」
クレアとミサが目を見開き、同時に首を傾げる。ミサが呟いた疑問にルゥナが口を開いた。
「不自然な、風だった」
風が動いていた、というと。ルゥナは〈探査〉が使えるのだろうか。
スキル【斥候】の〈探査〉は索敵系アーツの中でも、かなり特殊な部類に入っている。
生物の位置だけでなく、風の動き、血痕や足跡といった痕跡など、様々な情報が視覚化される、という盗賊にとっては申し分ないアーツだが……。
それは暴力的なまでの、情報量。
熟練の使い手であっても、その情報を瞬時に処理し、敵の存在の有無を判断できる人間はそう多くない。
魔力消費も激しいため、使いこなすためにはそれなりの訓練が必要になってくるのだ。
そのため、効果範囲で言えば、上位に位置付けられるが、〈探査〉を使う冒険者は、とても少ない。
まだ若いルゥナが使えるとは、あまり考えにくいが、他に風の動きが分かるアーツは、そう多くない。
もし使えるとして、ルゥナが言うことが正しいのなら、それは――。
「……アンデットか?」
アンデットは索敵することが難しい存在。
〈気配察知〉や〈魔力探知〉といった例外を除き、基本的に生きている者の反応しか拾わないからだ。
ルゥナの言う通り、何も居なかった、反応がなかったのに風が動いていたのなら、アンデットの可能性が一番高いだろう。
「たぶん」
コクリと頷き、短く肯定するルゥナに、クレアがおずおずと話しかける。
「えっと、ルゥナ先輩。その、この辺りに出てくるアンデッドと言えば、スケルトンくらいですよね? それも森の最奥地に行かないと出てこないと思いますし……」
ルゥナが小さく首を振る。
「わからない。でも、大型の何かがいる。そうとしか考えられない、風が吹いていなかった場所の、不自然な風の動き」
クレアが困惑したように眉根を寄せた。
「大型って、例えばドラゴンくらい大きいのですか?」
「違う。そんなに、大きなものでは、なかった」
静寂が訪れる。焚き火のパチパチと弾ける音だけが響いている。
重苦しい雰囲気の中、ルゥナだけは楽しそうに口角を上げていた。
「リエル。楽しみ、だね?」
握られた手が、痛いほどに強くなり、小刻みに震え始める。
まるで戦いを心待ちにしているかのような不敵な笑みだが、心の奥底にある不安を必死に抑え込んでいるのだろう。
一番強い自分がしっかりしないといけない、と思っているのかもしれない。
「ああ、そうだな」
俺は、ルゥナを安心させるように、力強く手を握り返した。
ルゥナが笑っているのだから、せめて一人が、一緒に笑ってあげようと。
「どんな奴なのか、早く見てみたい」
焚き火が燃え尽きそうなので、薪を追加する。
俺の言葉を聞いたルゥナは、一瞬だけ驚いたように目を丸くすると、すぐに嬉しそうな表情を浮かべて、頬を緩ませた。
「……やっぱり、リエルと私は、同じ」
答えることなく、焚き火を見つめる。
炎が揺らめいているのを見ているだけで、不思議と気持ちが落ち着いてくる気がしていた。
「あぁあっ! お肉が焦げちゃいますよ!」
唐突にミサが叫び声を上げた。クレアの肩が大きく跳ね上がる。どうやら、びっくりしてしまったようだ。
視線を上げると、丸焦げになった串肉。
「……食べれないことはない」
ルゥナが無感情な声で言い放つ。
「いやいやいやいや、もったいないけど、無理ですからっ!?」
「う、うん。ルゥナ先輩、諦めるしかないと思います……」
「リエル、食べる?」
「いや、いい。遠慮しておく」
全力で首を振ると、ルゥナが少し残念そうな顔になる。
「そっか」
ミサとクレアは、ほっとしたような顔になり、安堵のため息をつく。
そして、名残惜しそうに、プルプルと震える手で、ゆっくりと焚き火の中に串を投げ入れた。ジュッという音が聞こえてくる。
「うぅ……。お肉の王様って言われている、貴重な部位だったんですよぉ……」
悲しそうに項垂れながら呟くミサに、クレアが胸の前で両手をパチンと合わせて、花開くような笑みを浮かべる。
「骨を使って、明日の朝、スープを作りましょうか? 残りのお肉は具材にして」
「僕は骨でも、ただの肉でもなく、お肉の王様を食べたかったんだよ。あぁ、最後にとっておいたせいで……」
「えぇ~……。ミサ、文句言わない」
クレアが口を尖らせて不満を口にする。
その楽しげなやりとりに、思わず笑みがこぼれてしまう。焚き火の明かりに照らされた三人の顔は輝いて見えた。
そう悲観する必要はないな。
ルゥナが言う『もっと強いやつ』にまだ遭遇したわけじゃないし、アンデットだと決まったわけでもない。
ルゥナの予想通り、アンデットだとしたら厄介だが、シェイラのポーションがまだ残っている。
アンデットは他の魔物と比べてタフで厄介だが、ポーションと回復系アーツには弱い。
……そんな、頼みの綱となるポーションが残り少ないことが問題なのだが。最悪のコンディションだ。
「リエル?」
ルゥナの綺麗な金色の瞳がこちらに向けられていた。夜空のような紫の髪が揺れる。
無意識のうちに手が少し震えていたらしい。
「いや、なんでもない」
繋いでいた手を離し、ギュッと拳を握る。
安全な街に帰りたい……。
◇
リエルの手が離れて、どこか寂しい気分になる。
でも、そうか。彼も同じらしい。
戦いへの期待、興奮。私もよく体が震える。早く、戦いたいと気持ちが高まっていくのが分かる。
きっと、この気持ちをリエルと共有できているんだ。
そう思うと、なんだかくすぐったくて、嬉しくて、つい口角が上がる。
〈探査〉で浮かび上がった異質な反応。私の予想通りアンデットだとしたら、とても嬉しい。
アンデットは、ポーションと回復系アーツにとても弱いけど、私はポーションを持っていないし、回復系アーツを使えない。
それに、短剣で急所を狙う私の戦い方と、特に急所がないアンデットでは相性がとても悪い。
そして、リエルが持っているポーションも残り少なかったはず。最高のコンディションだ。
「ルゥナ、大丈夫か」
無意識のうちに手が少し震えていたらしい。
「やっぱり、本当はルゥナも……」
鍋のフタを持ち上げ、小さく歓声をあげる二人を横目に、私は内緒話をするように、声を潜めてリエルに囁く。
「うん。リエル。明日は早く、出発したいね」
「っ! ああ」
リエルは安心したように笑った。
彼も待ちきれないのだろう。