13 C級冒険者
「この辺りで、別れました」
ミサの声が、不気味なほど静かな森に響く。足を止めた場所は、比較的木々が少なく開けた場所になっていた。
辺りを見渡しても人の影はなく、シルバーウルフの姿もない。
だが、シルバーウルフと人間の足跡がたくさん地面に残っている。血の跡もあるようだ。
「これ、姉さんの、です。数がどんどん増えて、前衛なので、かすり傷が……」
青ざめた表情で、ミサが声を震わせながら、地面の血痕を指さす。
重傷ほどの出血ではないが、楽観できるほどの怪我でもない。
急いだ方が良さそうだ。血の臭いのせいで、シルバーウルフから逃げ切るのは、さらに難しくなっているだろう。
「ルゥナの足なら、今から追っても追いつけそうか」
俺の言葉を聞いて、ルゥナが足跡が向かう先に、鋭い視線を向ける。
「痕跡を辿って、道なりに進んでも、追いつくのは難しい」
ルゥナが出した結論に、ミサは唇を噛み、悲痛な面持ちのまま、うつむいてしまう。
「でも、姉さんを見捨てることなんて……ッ」
「なぁ、ミサ。お前のお姉さんが逃げて行った先。そのままずっと進んだら、――何がある?」
シルバーウルフほどの巨体になれば、木が密集したこの辺り森の中では、思うように動けず、連携が取りづらい。
話を聞く限りでは、ミサを追う時もシルバーウルフは右、左、後ろについていたが、左右に揺さぶりをかけるように動いたり、川辺に誘導したり、といった複雑な動きはなかったらしい。
ミサとお姉さんが分断されたのも、比較的開けた場所。
シルバーウルフたちは、川と山に挟まれた、この森をずっと進んでいるはず。
俺の問いに、ミサは戸惑った様子だったが、やがて口を開いた。
「えっと……その先は、崖になっていますけど……」
楽観的すぎたか、これ。俺が思っているより、ずっと状況は悪かったみたいだ。
「リエル少年、急ごうッ」
ルゥナが珍しく焦燥感に駆られた声で言い、ミサに向き直る。
「私たちが助けに行く。だから安心して待っていてほしい」
「ま、まさか、崖に!?」
ミサが息を呑む。
「最悪、間に合わないかもしれない」
淡々とした口調で答えるルゥナだが、ミサを見る目には心配の色が滲んでいた。
「……僕にも行かせてください。役に立ってみせます」
泣きそうな顔で、しかし、強い意志を感じさせるしっかりとした眼差しで、ミサは力強く宣言をする。
ルゥナは優しく微笑んだ。
「分かった。一緒に行こう」
「はい!」
◇
シルバーウルフは、特に足が速いというわけではない。
だから、F級冒険者であれば、ある程度肉体が強化されているので、スピードに大差はない。
持久力と連携力。それがシルバーウルフの強み。
魔導士の小さい少年は体力的に、あれ以上逃げ続けるのは難しかっただろうけど、小さい少年のお姉さんは槍使い。体力がある前衛職であれば、まだ希望はあるはず。
スピードを上げようと、強く踏み込む。――手応えがない。
足元が崩れ、石が転げ落ちる。
バランスを崩しそうになるも、すぐに立て直して、また加速する。
小さい少年によると、この山道が崖への近道らしい。足が一番速い私が、先行して小さい少年のお姉さんを守りながら、時間を稼ぐことになっていた。
「早く、しないと……ッ」
もう日が暮れようとしている。夜になると、シルバーウルフの独壇場になってしまう。彼らは夜目が利く。
右斜め前の大木の裏、ホブゴブリン一体……!
私より遥かに大きい気配。
この森にはあまり強い魔物が出ないからと言って、油断はできない。生い茂る木々のせいで薄暗い上に、見通しも悪い。そもそも、私は魔物討伐の依頼を、普段は受けていないのだから。
身体を沈めて一気に加速。
『グギィッ!?』
突然現れた私に驚いたホブゴブリンが、手に持った剣を振り下ろした。
半身で回避。頭上へと、跳躍する。
――景色が反転。
引き抜いた短剣を、喉元へ。最短ルートを走らせる。
悲鳴はない。一瞬の静寂。
片手で地面を押し返し、体をひねって着地する。同時に、背後でホブゴブリンが崩れ落ちる音がした。
振り返らず、そのまま走り出す。
「あともう少し、ここを抜けたら」
水の音がわずかに聞こえた。木々の隙間から、燃えるような夕日。赤い光が視界を染め上げる。
「〈探査〉」
アーツを発動。森全体に、魔力の波が広がっていく感覚。
地面に残る様々な足跡が、黒い煙となって浮かび上がる。視覚化された風の流れが、私の周囲を駆け抜けていく。
「見つ、けたッ」
脳内に送られてくる膨大な情報量に、意識が飛びかける。ふらつくも、なんとか堪えて再び走り出す。
――時間がなさそうだ。
シルバーウルフの集団に囲まれながら、小さい少年のお姉さんが走る先は崖。行き止まり。追いつかれる。
向こうに飛び下りよう。
恐怖はなかった、高さはあるけど、C級ほどの肉体強度があれば、死なない。
地面を大きく踏み込む。土埃が舞い、草木が揺れ動く。
爆発的な推進力で飛び出した。
前方の一際大きい木を、根元から蹴り飛ばし、そのまま宙へと舞う。
視界が大きく開けた。
そこに広がるのは、真っ赤に染まった大きな川。その先は切り離されたように何もない。崖からは巨大な滝が流れ落ちている。
浮遊感と共に、強烈な風を感じる。
何度も体をひねり、体勢を整えて、私は必死に目を凝らす。
遥か下方。シルバーウルフの群れがいた。