12 彼女の縄張り
あれこれと言われるがままにしているうちに準備が終わり、私は鏡の前に立たされた。ハイキングで使いそうな深めのつばの帽子にサングラス。旅行者風と言えないこともないか。私がもし店番でもしていて、こんなのが入ってきたらちょっと身構えてしまうとは思うが。
「こんなところね。さあ出かけましょう」
表の店からでも歩いて出かけるのかと思っていたが、ダイアナの考えは違っていた。行き先はガレージだった。ガレージと言ったのではイメージが違うのだが、なにしろ独立した二階建ての建物で、多分その昔は馬や馬車などを管理していたのだろう。一階にはそれらが、二階には世話をする馬丁達が住んでいたのだろうと思わせる作りだった。もちろん今は馬房などの名残もない。それでも私にはかすかな動物の香りがしたような気がした。扉を開けた中には自動車があるだけだった、十台ほどだが。
半分はもう使ってはいないように見えるのだが、彼女がエンジンをかけた車を見るに、ここにある車は全て現役かもしれないと思わざるを得なかった。助手席に私をのせて走り出したのは三十年は前に作られただろうモーリスのトラベラーだった。ミニではなくモーリスマイナーの方のだ。
排気量一リッターで出力三十数馬力ほどの非力なエンジンではあるが、車体重量が日本の軽自動車並みなので、見た目よりは走る車だったはずだ。私は狭苦しいミニより実は好きだったりするのだが、彼女が選んだ理由は私の好みとは関係がなかった。他のはサイズが大きくて、ここの街中でには不向きなのだそうだ。 そういえばこの街の入り口には門があって、ガイドブックによれば中世には街を囲む城壁の名残りなのだそうだが、車一台がようやく通れる幅だった。街中は風情のある石畳の道だったが、狭くほとんどを一方通行にして運用しているようだし。観光客は広場に作られた公共の駐車場に車を置いて、あとは歩いて街中を巡るようになっていた。ただ、彼女たちの店はここでは珍しく駐車スペースがあって、それも私がこの店による理由の一つでもあった。
「道や建物のサイズの基準は馬や馬車だから、観光地としてやっていくには工夫が必要だったのよ」
一方通行や街中の駐車場は彼女のアイデアなのだそうだ。領主一族の発言力は健在のようだ。
家から歩いても近いだろうに、わざわざ車で広場まで行き、近くのオープンカフェに席を取った。ほんの数十メートル歩く道のりだったがあちこちから彼女に声がかかった。そして彼女もまめにそれに応えて声を交わす。なにを言っているのかはわからなかったが、様子を見るに挨拶がわりの軽いやり取りのようだった。なかなかの人気者のようだ。カフェで注文を終えてからそう言うと「まあね」と短い返事だった。まあいまさらお天気や景気の話をしても仕方がないが、随分とそっけない。私の表情を読んだのか苦笑気味に弁解するように言った。
「この街には明るい将来がないの。観光客も頭打ちだしね、地域に大きな産業があるわけでもないし。飛躍的な発展が欲しいわけじゃないけど、指をくわえて衰退を待つわけにはいかない。人口、年齢構成、産業の将来性、エトセトラETC。悩みはいっぱいあって答えはなかなかでてこない」そう思うと少しナーバスになっちゃう、だから「ごめんなさいね」愛想を振りまいたあとは少しは反動が来る。そういうことだ。
注文したお茶が来た。もちろん彼女のセレクトだ。ブレンドされたハーブティーとのことでコクと爽やかな後味を出すのに苦労したそうだ。当然のようにここも彼女の縄張りのなかだった。
(買付時の注意)
自動車の輸入は大変面倒で、古い機種では事実上不可能になっています。乗るためには。
モーリストラベラーも日本で輸入して乗り回していた人もいたんですけどね。
エンジンに癖のある車で、調子が悪くなると整備に苦労していたようです。
商売としてはまったくお勧め出来ません。