雪童子と不可思議な素月
ぽつりぽつりと灯る街の火は、空から落ちて来る冬の使者を時折照らしては、雲の合間から覗く月明かりと背くらべをしている。
風に揺らめきながら、寒さに凛と立ちながら。
街の外へと続く薄暗い道に伸びる壁に、一人の異形が誰かを待つように腰掛けて街の方を眺めていた。
編笠を被ってはいるものの、纏うのは純白の着物一枚きり。
けれども寒さを感じてはいないように、子供は肩を震わせることもない。
道の彼方にひとつの影が動くと、子供はぱっと顔色を変えた。
「オトアキさん!」
闇を切り取った制服を羽織った警邏がその声に僅かに足を止める。
嫌そうな表情が月明かりにちらりと映った。
「こんばんは」
「また、貴様か。雪餓鬼」
「やだなぁ、雪童子ですって」
忌ま忌ましげな言葉に、けらけらと笑って答える雪童子に男は不機嫌に鼻を鳴らす。
「貴様の遊びに付き合っている暇はない」
「付き合ってくださいよ。僕、オトアキさんのことだぁい好きですから」
「冗談もいい加減にしろ。何故、俺が」
深夜とも言う時刻に立ち歩く警邏の仕事は、彼誰誰彼に姿を見せる異形のものの取り締まり。
潔癖ともいう正義感を持つ男にしてみれば、異形の存在自体が迷惑窮まりないのだろうが、悪事を働かない限り、男が腰の得物を振りかざすことはない。
「だってオトアキさん、優しいんですもん」
強面堅物として、人にも異形にも敬遠されがちな男は、けれどその心根が誰よりもまっすぐで、決して人だから、異形だからと区別することはない。
人であれ異形であれ、悪いことは悪いと断言してしまうその融通のきかなさ。
それが男を孤立させ、頑なさを一段と強調させているのだと、雪童子は密かに思う。
雪童子は雪の化身だ。
暖かさの中では、身体を保つことが出来ない。
人間の若者達に賭けの対象としてふざけ半分に、熱湯を持って追いかけ回された時、それを止めてくれたのは彼だった。
本来ならば、異形相手に振るわれるのが常の筈の刃を躊躇いなく若者達に向けて、男は酷く淡々と若者達に問うたのだ。
『魚の餌になるのと、鳥の餌になるの、どちらが好みだ?』
逃げ出した若者達を無表情に見送ってそのまま立ち去ろうとした男を引き止めたのは、雪童子の方だった。
というよりも、思わず服の裾を掴んでしまって、見下ろしてきた不機嫌そうな瞳に狼狽しただけなのだけれど。
『なんだ?』
『い、今のどういう意味なの』
無意識に口から零れたのはそんな言葉で、ますます深くなった眉間の皺に正直怖いとしか思えなかった。
でも、
『どう切られたいか聞いただけだ』
抜き身を仕舞いながら素っ気なく返された言葉は、明らかに質問の答えで、雪童子は驚いて目をしばたく。
『貴様も、貴様だ。餓鬼がうろうろするな。目障りだ』
付け加えられたのは情け容赦もない台詞だったが、どうしてかもう怖いとは思わなかった。
『ありがとう』
『なに? 貴様、なにを言って』
鳩が豆鉄砲を喰らったかのように驚いた男に、雪童子は漸く、この人間が不機嫌そうな顔付きで損をしているのだと悟ったのである。
それから、雪童子は暇さえあれば警邏中の男を待伏せている。
「訳が解らん」
「なにが?」
「俺が優しい? 貴様は相変わらず、訳が解らんな」
「優しいって。そうじゃなかったら、こんな風に立ち止まってくれないでしょ」
ふふふと笑って雪童子は壁から音もなく飛び降りた。
いつの間にか雪は止んで、空からは絶え間無く月の光が覗いている。
「今年は、オトアキさんに会えたから、幸せだったなぁ」
「おい、雪餓鬼」
「だから、雪童子だってば」
「貴様達は、雪が止んだら何処へ行く?」
それは、初めて投げられた問いで、きょとんと男を眺めると、男はいつもよりも不機嫌そうにもう一度同じ言葉を繰り返した。
「おい、聞いているのか」
「僕達はね、雪の止まない所に行くんだよ」
「ふん。渡り鳥とは対照だな」
「確かにね。さよならだよ、オトアキさん」
にっこりと笑って雪童子は月明かりに照らされた男の顔を見て、それからくるりと背を向ける。
忘れ雪までは居られない。
雪童子の指の先は月光の下もう随分と薄れてきていた。
「おい」
今まで一度だって、男が呼び止めたことはなかったのに。
「雪の降らない年はない」
「うん。またね、オトアキさん」
振り返らずに答えて、雪童子はふわりと地を蹴った。
異形と警邏。
二人を眺めるのは、空の上の真っ白な月ひとりきり。
優しげに微笑んで、穏やかな光を放つ。
尻切レ蜻蛉




