返答
慶長十二年 七月四日 越前国
結城秀康が身罷った事の対応の為、結城家の重臣達は城内で評定を開いていた。亡き結城秀康の葬儀の実施、そして秀康の嫡男である忠直への家督相続の進捗を確認する為である。
評定の席で口火を切ったのは関根織部だった。
『忠直様への家督相続については今村様と江口様が進めておられるはずですが、どのような状況でしょうか』
織部からの問いに今村大炊助が返答した。
『織部殿が上様から家督相続をお認めになる書状を頂戴しておるので、忠直様への家督相続を願い出る書状は既に作成済みで御座る。書状の内容をこの場におられる方々に確認して頂き、内容に問題がなければ江戸の上様に書状を届けるのみに御座る。なれど忠直様へ秀康様が駿府にて身罷られた事をどのようにお伝えすべきかを未だに考えあぐねておる最中に御座る』
今村大炊助は手続き自体は順調だが、秀康の嫡男である忠直に父が亡くなった事をどう伝えるべきか考えあぐねているとの意見を述べた。
重臣達は忠直がいまだ若年のため、説明の仕方に問題があれば騒動が起こる事を恐れており、どのように説明するのが良いのかを思案しかねていた。
そして吉田好寛が事実のみを説明することが最も望ましいとの考えを述べた。
『亡き殿の事については謎が多いのが現状に御座います。真相が定かでない以上、悪戯に忠直様を困惑させるような事を述べれば秀康様が身罷った事をどのように御考えになられるか分かりませぬ。忠直様への家督相続を無事に済ませるのが我等の為すべき事ならば、事実のみをお伝えして亡き殿に関する謎は伏せておいたほうが良いかと存じます』
吉田好寛の意見に江口石見守が後々に問題になるのではないかとの懸念を口にした。
『修理殿の言わんとする事は理解出来るが、忠直様が事を知った時にはどうされる御積りか。修理殿が申された事は忠直様に事を隠す事にもなりえる。後々に忠直様が亡き殿に関する一件を知り、我等の対応を問題視されてはまずかろう』
江口石見守が述べた事は吉田好寛も理解している。その為、自身の考えであると前置きしたうえで返答した。
『殿も伊豆守様も身罷られた以上、我等は殿が駿府で身罷られた事実しか知りませぬ。仮に病で亡くなったのではないと言うならば、駿府の大御所様か江戸の上様が殿を害し奉った事もあり得るという事になりかねませぬ。もしも、そのような事を忠直様がお考えになれば、我等が御諫めしても幕府に弓を引く事になる恐れが御座います。亡き殿は我等に良く協議し、忠直様を支えるように遺言を残されました。不安の種になるような事はなさらぬほうが良いかと愚考致します』
評定の席にいる多くの重臣達は吉田好寛の発言に同意するかのように頷いた。そして、それを見た江口石見守もその意見に同意した。
結城秀康の遺言がある以上、その内容を無碍にする事は出来ない。まして秀康の死には多くの謎が隠されており、徳川家康がそれに関与している可能性がある以上、迂闊な真似は出来ないと多くの者達は考えていた。
やがて、江口石見守から幕府へ届け出る書状の内容に関する説明があり、特に問題となるような点が無かった為、家督相続に関しては速やかに幕府に願い出る事が了承された。
そして、もう一つの課題である秀康の葬儀に関する問いが土屋左馬助からなされた。
『久世殿。亡き殿の葬儀については、久世殿が手配を進める事になっていたかと存ずる。葬儀の準備はどうなっておられるかをご説明頂きたい』
左馬助からの問いに久世但馬守が返答した。
『亡き殿の葬儀は御当家の菩提寺である孝顕寺にて行うべく、寺住の舜国洞授殿と談合しておる最中に御座る。亡き殿と交誼あった諸侯を招く事になると思われる故に、様々な手配を進めておるが、亡き殿の御立場を鑑みれば葬儀の規模も大きなものになると思われるため、孝顕寺の境内の整備等について検討している状況に御座る』
久世但馬守は結城家の菩提寺である孝顕寺の住持と葬儀に関して相談していると述べたが、徳川家は浄土宗を信奉している為、曹洞宗である孝顕寺で葬儀を行う事は幕府から何らかの横槍が入るのではないかとの懸念を関根織部が述べた。
『久世様が申された事に異存がある訳では御座いませぬが、徳川家は浄土宗を信奉しておりまする。亡き殿が結城家の菩提寺である孝顕寺を尊崇されておられたとは申せ、曹洞宗の孝顕寺で葬儀を行う事に上様から苦情が出ませぬか』
関根織部が徳川家と結城家の信奉する宗派が異なる事に懸念を述べた。そして、その懸念には十分な説得力があった。
結城家の当主である秀康は結城家の菩提寺である孝顕寺を下総から越前への転封に伴い、越前に新たに孝顕寺を建立し庇護していた。その事から曹洞宗の孝顕寺で自身の葬儀を行うつもりであった事は疑いないが、結城秀康は結城家の当主であると同時に、大御所と将軍を除く徳川家一門の頂点にいた人物である。
その秀康が徳川家の信奉する浄土宗の寺社ではなく曹洞宗の寺社で葬儀を行う事は徳川家にとっては秀康が徳川家と距離を置いていたとも受け取られかねない。
特に駿府での一件を知る関根織部は、秀康が家康を刺殺しただけではなく徳川家の信奉する浄土宗での寺社で葬儀を行わない事で結城家は徳川家に何か含むところがあると思われかねない事を危惧していた。
だが、織部の疑問に土屋左馬助が反論した。
『織部殿が申された通り、将軍家御一門は浄土宗を信奉しておる。だが、亡き殿は徳川家御一門ではあるが、結城家の当主として孝顕寺を厚く庇護なされたと存ずる。ならば亡き殿の御意志は孝顕寺で結城家の当主として葬儀を行う事を望まれたと考えてもよろしかろう。仮に上様が孝顕寺で葬儀を挙げる事に口を出すならば、他の御一門や将軍家の縁戚など他の大名家にもその影響が及ぶ恐れもある。各宗門の争いがようやく治まった状況で火種を撒くような事を上様がなされるとは思えぬ』
土屋左馬助は、結城秀康の遺志を尊重することが身罷った主君への恩義に報いることだと力説した。
左馬助自身も異なる宗派での争いは遥か昔から続いていた問題であり、ようやく家康の代で安定を保つ事にかろうじて成功した問題であったと考えており、徳川秀忠が今のような非常時にそのような些末な問題で結城家に口を挟む余裕は無いと考えていた。
評定の席にいる重臣達は秀康の遺志を尊重するべきだとの左馬助の意見を是として、孝顕寺にて葬儀を行う事を前提に段取りを進める事で合意した。
評定が終り、各自が部屋を出ようとした中で左馬助は関根織部と吉田好寛に相談があるので、夜に屋敷へ足を運んで欲しいと口にし、他人には聞こえぬ小声で越前に留まっている本多忠勝と再度会談を行い、今回の評定の内容を説明すると述べた。
その言葉を聞いた関根織部と吉田好寛は土屋左馬助が忠勝とこの時点で会談を設ける事に何らかの意図があると考え、夜に左馬助の屋敷に赴く事を約束して自身の邸宅へと戻っていった。
左馬助も己の屋敷に戻り、今回の評定の席で結城家は徳川家を慮る事はせず、あくまでも結城秀康の遺志を尊重する事を忠勝に伝えようと思案していた。
本多忠勝は先日の会談でお互いに協力するという暗黙の了解をお互いに結んだと考えているはずだと左馬助は認識していた。
だが左馬助は結城秀康の死の真相が明らかになるまで、相互に協力する事はあり得ないと考えており、徳川家に抗う事は出来る限り避ける積りだが、結城家はあくまでも結城秀康の遺言を最優先にする。つまり徳川家と秀康の意図した事が異なる場合には徳川家には協力出来ない旨を伝えようとしていた。
徳川家が難色を示すと承知していても越前結城家は、あくまでも将軍家一門ではなく結城家という一大名家としての行動すると暗に伝える事で徳川家の安泰を保つ為に必死になって行動しているであろう徳川秀忠、本多正信、本多忠勝の三名に結城家が今の段階で徳川家に協力する事は余程の事が起こらぬ限りはあり得ないと言外に伝える積りだった。
(亡き殿が身罷られた真相と伊豆守殿が自害してまで仕掛けた策が如何様なものか我等が知るまでは静観を決め込むのが御家を守る為には最も堅実な方法であろう。中務大輔様が我等に述べられた事が全てではあるまい。現に伊豆守殿が何故に自害なされたか理由が分からぬと中務大輔様は申された。ともあれ、家督相続と秀康様の葬儀を速やかに終えてから、事を調べる以外に我等には打つ手が無い。織部殿や修理殿と良く相談して、この件を巧く進めねばならぬ。先の評定で織部殿が申されたように忠直様に事実とは異なるような噂を吹き込まれでもしたら、取り返しのつかぬ騒動になりかねぬ。亡き殿が何故に駿府の一件を起こされたのを知る為にも、今は動かずに事の推移を見守るのが上策であろう)
そして夕刻に左馬助は単身で忠勝と会談を行っていた。
評定の席で議題に上った事の内容を伝え、結城家は亡き結城秀康の遺言を尊重し結城家の安泰を図るとの意志を固めた事を伝えた。
土屋左馬助の発言を聞いた忠勝は瞑目して左馬助の発言に込められた真意を読み取ろうとしていた。
(越前の重臣達はやはり徳川家への不信感を持っておる。駿府での一件に加え、伊豆守が自害した事で徳川家が何らかの手を打ち、その為に此度の事が起きたと考えておるのであろう。中納言様の御遺言を守ると言われては面と向かってその意見に反論は出来ぬ。もしも家中の事にいらぬ口出しをすれば徳川家への不信感を強めるに相違ない。徳川家へ敵対する意志を示さぬことを良しとすべきなのかもしれぬ。佐渡がおれば、この局面をどう打開するかを相談できるが、江戸で騒動を起こす事を伊豆守が企てた以上、越前に呼び戻す事は出来ぬ。しばらくは越前に居座り、中納言様亡き後の結城家がどのように徳川家へ対応するかを見極める以外に術が無い)
考えを纏めた忠勝は左馬助に意図を確認した。
『土屋殿。越前の御家には幕府への不信感を持つ者が多い。ゆえに積極的に徳川家に手を貸す事は出来ぬが、徳川家と結城家の双方の為になるならば徳川家に協力する。それが結城家の重臣の総意と受け取ってよろしいか』
忠勝の言葉を聞いた左馬助は静かに頷き、忠勝に返答した。
『恐れながら、殿が駿府に赴かれた後の対応に疑念を持つ者が多いのが実情に御座います。失礼ながら本多上野介様の対応が多くの重臣達が徳川家に不信感を持つ原因になったと愚考致します。亡き殿の事柄を当家の重臣に隠そうとした事から、口にはしないものの幕府が亡き殿に何らかの対応を為されたとの考えを持つ者も居りまする。正直に申し上げますが、当家の重臣の中で幕府に対して好意を持つ者は今は一人も居りませぬ。何故かは中務大輔様ならばご理解なされておられるかと存じます』
左馬助の言葉を聞いた忠勝は内心で溜息をつき、幕府への不信感をどう和らげれば良いかを考え始めた。
(亡き中納言様を謀殺しようとした大御所様の行為、そして駿府での上野介の行動がやはり徳川家への不信感を越前の御家に抱かせる事になったか。そして伊豆守が自害した事で不信感は頂点に達した。結城家の重臣が抱いている幕府への不信感はそう簡単に拭い去る事など出来まい。これ以上幕府への不信を持たれぬようにすること、そして越前の御家が幕府に不信感を抱いている事を他家に知られぬようにするしか打つべき手が思いつかぬ。制外の御家が幕府へ不信感を抱いていると世に広まれば、どうなるか予測すら出来ぬ)
左馬助の意見が結城家の重臣の総意であると知った忠勝は不本意ではあるが結城家の意向を受け入れた。言葉を尽くして幕府の為に協力して欲しいと頼み込む事が今の状況では事態を更に悪化させると左馬助の発言や態度から感じ取ったからである。
左馬助が辞した後、忠勝は徳川家が置かれている危機的な状況をどう乗り切るべきかを検討した。
(何らかの方法で徳川家への不信感を和らげねば身動きすら出来ぬ。佐渡にこの状況を伝えて、越前の家中の信を得るように上様に手を打って頂かねばならぬ。もはや言葉を尽くしても結城家の重臣達は聞く耳を持っておらぬであろう。言葉ではなく何らかの行動で越前の御家に燻る徳川家への不信感を払拭せねばならぬ)
結城秀康と本多冨正が死んだ後も結城家は幕府が迂闊に手を出せない存在である事、そして両者が死んだ事に徳川家が何らかの形で関与しているのではないかと、結城家の重臣が強い不信感を持った事から、あらゆる意味で迂闊に扱えぬ家になったと忠勝は実感していた。
徳川家をこの状況に追い込む筋書きを結城秀康が描き、本多冨正が命と引き換えにして意図的に作り出した。
両者が越前家中に幕府への不信感を植え付けただけでなく、将軍の膝元である江戸でも騒動を起こす事で結城家に対して手を出せない状況とする策を企てたでのはないかと考え、江戸の本多正信にその懸念を伝えようと書状をしたためた。
忠勝が正信への書状をしたためていた頃、土屋左馬助は自邸にて関根織部と吉田好寛が来るのを待ちながら今後の事を考えていた。
(当家が幕府に協力する意志が少ないと知った以上、中務大輔様や上様は何らかの行動を起こされるであろう。どのような手を打たれるか分からぬが、家中の者が動揺せぬように対応を考えておかねばならぬ。それに伊豆守殿の仕掛けた流言に上様がどのような反応を示されるかかも注意せねばならん。伊豆守殿が打たれた手はもう間もなく、何らかの形でその片鱗を表すであろう。織部殿に忍びを使い、江戸で情報を集める事を頼むべきかも知れぬ。事が起きた際には、素早く内容を把握し先手を打たねば当家は生き残れぬ。江戸で起きるであろう騒動の真の意図を徳川家より先に読み取れるか否かで御家の存続が決まる。亡き殿と伊豆守殿の死を無駄にせぬ為にも、徳川家より一歩先んじて行動せねばならぬ。今宵は織部殿と修理殿と江戸で何が起きるかを検討し、我等がとるべき行動を纏めておかねばならん)
左馬助は秀康と冨正が仕掛けた策が江戸で騒動を起こすものだと考え、不安を感じながらも騒動が起きるのを待っていた。策の内容がどのようなものであるかを把握し、結城家の安泰を確固たるものにすべく、迅速に手を打つ事で徳川家から手出し出来ない状況へ持ち込む。
その為に、江戸で起きるであろう騒動について僅かな事をも見逃すまいと考えていた。
そして、左馬助の考えが正しいものである事は間もなく明らかになろうとしていた。
結城秀康が残した書状、そして秀康の思惑を忖度してその書状に添え状をしたためた本多冨正が宛先の人物に書状を届けさせた事で、江戸で徳川秀忠と本多正信が想像もしていなかった出来事に遭遇する事、そして、そのことが徳川家と結城家の安泰に密接に関わる大事となる事をこの時点で忠勝も左馬助も予想だにしていなかった。
予測通り作品を書く時間の余裕が作り出せず、更新が遅れて申し訳ありません。ストックが枯渇したので年内はこのようなペースになるかと思います。
本作は10章での構成を予定しており、序章で秀康に力を貸した存在は10章で明らかにする予定です。
投稿間隔を短くするように努力しますが、気長に続きをお待ち頂き、引き続きご愛読下さいますようお願いします。




