協議
慶長十二年 七月二日 越前国
本多忠勝との会談を終えた三名は左馬助の屋敷で今後の対応を協議していた。
忠勝から聞いた話が余りにも衝撃的な内容であった為、左馬助だけでなく関根織部と吉田好寛も今後、どのように対応するべきか考えあぐねており、三名とも無言で思案を続けていた。
やがて、左馬助は関根織部と吉田好寛に話しかけた。
『御両所とも中務大輔様が我等に説明なされた事を如何に考えたかを伺いたい』
問いかけられた両名は左馬助の意図が読めなかった為、織部が意図を尋ねた。
『恐れながら土屋様の意図が某には読めませぬ。某は中務大輔様が我等に事実を述べたと考えております。なれど土屋様はそうではないと御考えになられているという事でしょうか』
左馬助は織部からの問いを当然だと思いながらも、問題は亡き主君である結城秀康の行動をどう家中に伝えるべきか、そして結城家は今後どのように行動するべきかだと考えていた。
結城秀康が徳川家康を刺殺した事、そして筆頭重臣であった本多冨正が徳川家を窮地に追い込む策を巡らせた事は結城家の存続に繋がりかねない大事だと考えており、その懸念を両名に説明した。
『過日の評定の席を思い出して頂きたい。江口殿と今村殿の意見に久世殿は反対して口論となっていた。某がある意味で問題を先送りする案を述べてその場を収めたが、亡き殿に続き、家中を抑えるだけの威厳があった伊豆守殿が身罷られた事で家中が割れようとしておる。我等が中務大輔様から伺った事が家中に広まれば収拾のつかぬ騒動が起こるのは必定。家中を割らずに穏便に事を収める方法を考えて頂きたい』
左馬助の発言を聞いた吉田好寛は、今回の一件をどこまで知っているのかを尋ねた。
吉田好寛は何も聞かされずに本多忠勝との会談に加わって欲しいとの左馬助の頼みを受けたが、忠勝との会談の席で聞いた事は驚き以外の何物でも無かった。そして、左馬助と織部が会談の席で狼狽えることなく対応していた事から自身の知らぬ事を両名は知っていると思い、何故に自分を会談の席に加えたのかを知ろうと考えた。
『土屋様。某は土屋様からの依頼であの席に加わりましたが、中務大輔様の述べられた事を聞いて、驚きを隠し通すのに苦労致しました。なれど土屋様や織部殿は落ち着いて対応なされていたと御見受けいたします。某の知らぬ事情を御存じなのではありませぬか』
左馬助は吉田好寛からの問いに正直に応じた。
『修理殿。貴殿を欺くような真似をした事は済まなく思う。中務大輔様との会談の席で貴殿が何かを見出すことを某と織部殿は期待した。何故に左様な真似をする事を考えたのかは貴殿に今からご説明致す。但し、某が申す事は他言無用と心得て頂きたい』
吉田好寛が頷いたのを確認した左馬助は、織部から聞いた風魔の一件を全て説明した。亡き主君である結城秀康と本多冨正が徳川家への敵意を胸に秘めて策を巡らし、徳川家康を刺殺しただけでなく、徳川家を窮地に追い込もうと画策した可能性があるとの考えを述べた。
その結果、ひとつ間違えば結城家は徳川家に叛逆を企てたとして改易される恐れがある事を説明し、結城家を守り抜く為に三名で事態を収拾しなければならないとの意見に同意を求めた。
左馬助の話を聞いた吉田好寛は左馬助の言葉を聞きながら、何事かを思案していた。
その様子に違和感を抱いた関根織部は吉田好寛に何を思案しているのかを尋ねた。
『修理殿。何か御考えになられておるようだが、此度の件について思う事が御座るのか』
関根織部からの問いに吉田好寛は一つの疑問を提示した。閏四月一日に主君である結城秀康の下知で整えた家宝の件である。
『某はかつて関ヶ原の戦いで大御所様に敗北した方に所縁のある当家の家宝を将軍家に献上する手配を整えるように亡き殿から下知を受け申した。あの時は殿が御自身の余命が間もなく尽きると御考えになり、忠直様が所有していては幕府から睨まれる可能性がある事を慮った殿が生前に献上する事でそのような疑念を幕府に与えないようにする配慮だったと思いましたが、中務大輔様の話や土屋様の話を聞いた後では殿の御意志は某とは違っていたのではないかと考えております』
吉田好寛の発言を聞いた左馬助は意図を尋ねた。
『修理殿。亡き殿の御意志と修理殿が思われた事が違うと申されたが存念を伺いたい。この件、扱いを間違えば我等の手に負えぬ騒動となる。少なくとも我等は同じ考えの元に行動せねば当家を守り抜く事が出来ぬと愚考致す。是非とも修理殿の御考えになられた事を御説明頂きたい』
左馬助の発言に同意するかのように関根織部が言葉を続けた。
『修理殿。某は忠直様への家督相続を上様に御認め頂く使者として江戸に赴く際に、殿が献上されようとした品は修理殿が申されたように江戸におられる上様や幕府の重臣の方々が受け取りを躊躇うのではないかと懸念して、亡き伊豆守様にその旨をお伝えした。なれど伊豆守様は亡き殿の御意志を尊重するべきだと申された。某は伊豆守様が申された事に道理が通っておると考え、反論しなかったが修理殿は何らかの意図があの品を献上する事に込められていたと御考えで御座るか』
吉田好寛は家宝の献上は徳川家への威圧ともなり得る懸念を口にした。
『中務大輔様から駿府での一件を聞かされなければ、、某も亡き殿が申された事を真に受けて問題無いと考えたかもしれませぬ。なれど、亡き殿が策を以て大御所様を討ったと聞いた以上、あの下知には亡き殿の意図が込められていたと考えまする。大御所様を討てば当然、上様や幕府の重臣の方々に事が知られるのは自明の事。現に中務大輔様の話では本多上野介様に急ぎ江戸に事を知らせよと殿は下知なされました。やはり家宝の献上には亡き殿の意図が隠されていると某には思えてなりませぬ。関ヶ原で大御所様に抗った方々に所縁のある品のみを献上する事で当家もまた、幕府に槍先を向ける事もあり得るとの意図が込められていたのではないかと愚考致します』
吉田好寛の意見を聞いた左馬助は結城家と徳川家の争いを秀康と冨正が望んでいた可能性を考え始めた。
(修理殿が申された事を即座に否定は出来ぬ。亡き殿が関ヶ原の戦いで敗北された方々に所縁のある品のみを選んで幕府に献上した事は何らかの意図があったとも思える。だが、それだけを以て幕府に敵対する意思があったと判断するのは早急に過ぎよう。亡き殿は何らかの意図を込めてあの品を幕府に献上され、上様或いは此度の件を知る重臣の方のみがその意図に気付いておるのかも知れぬ。中務大輔様との会談で説明して様子を見るべきか……)
そして、考えを纏めた左馬助は今後の対応について口にした。
『当面は我等が協力して御家騒動を起こさぬように家中を見張る以外に当家を守る術が無いと判断すべきかと存ずる。重臣達は無論、家中の者から幕府への不満が挙がる前に忠直様に家督を相続して頂き、亡き殿の葬儀を終える。その後に亡き殿の御意志が如何様なものであったかを探るしかあるまい。中務大輔様の話を聞く限り、当家と幕府との関係は極めて微妙なものになっておる。一つ間違えば改易すらあり得る状況と考えて慎重に行動すべきかと存ずるが、御両所は如何様に思われるかを伺いたい』
左馬助からの問いに対して、関根織部が冨正が風魔衆に命じて撒いた流言にどう対処するかを確認した。
『土屋様。亡き伊豆守様が江戸と駿府で撒いた流言を放置する御積りに御座いますか。恐れながら事実とは異なる流言を放置すれば幕府から事の真偽を糺すべく御当家に上様からの使者が赴かれるかと存じますが』
左馬助は本多正信と本多忠勝がいる限りはその可能性が低いと判断し、織部の意見に返答した。
『織部殿。江戸の上様は此度の件を承知なされておる。駿府での件を内密に解決するべく佐渡守様と中務大輔様を越前に赴かせた事を考えれば、流言を真に受けて当家に詮議の使者を送るような真似はなされぬはず。制外の御家とされてきた当家に詮議の使者を送るならば、幕府の重臣の方々に駿府の一件を説明せねばならぬ。上様が事を内密に解決すると決め、佐渡守様と中務大輔様を越前に赴かせた事を思えば、そのような事になる可能性は低かろう。あえて放置する事で江戸の上様が殿が身罷られた後に当家にどう対応するかを知る事も出来るはず。幕府の対応によっては結城家が槍先を幕府に向ける恐れがあると上様に思わせる事も当家を守る為には必要だと思うが、何か良い知恵があれば教えて頂きたい』
吉田好寛は左馬助が幕府と敵対する事も辞さない覚悟を以て事の解決にあたるべきと述べた事を以外に思ったが、結城秀康が徳川家康を刺殺した事を思えば、結城家は改易の危機に晒されており、あえて強気な姿勢を取る事で将軍である徳川秀忠から越前結城家には一切の咎が無いと明確に認めさせる積りだと判断して、その意図が誤っていない事を確認した。
『土屋様はあえて上様を含めた幕府の方々が当家にどのような対応をとるかを見極めた上で行動すべきとお考えでしょうか。たしかに当家を取り巻く環境は経験した事が無いほど危険なものかと存じます。亡き殿がご健在であられた頃と同様、あるいはそれ以上の待遇を継続すると明確に確認できるまで、槍先を向ける事も辞さぬとの姿勢を見せると判断しても宜しいでしょうか』
吉田好寛が述べた事は左馬助も懸念していた。藩主である結城秀康が不在の状況で徳川家と合戦になれば結城家は間違い無く敗北すると左馬助は考えており、どのような形であれ、幕府と合戦となる事を避ける積りだった。だが、結城秀康が謀殺されようとした可能性がある以上、その真相を把握しておかねば後に大事になるとも考えていた。
結城秀康が家中に迎えた者は大多数が秀康個人への忠義を持っている。後々になって秀康が謀殺された可能性があるなどと家中に噂が広まれば、御家騒動が起こると左馬助は懸念しており、結城家を守る為に真実を知ろうと考えて本多忠勝と会談の席を設けたのである。
結城秀康が興した越前結城家を守る事が亡き主君への恩義に報いる事と左馬助は考えており、徳川家がどうなるかは自分達には関係が無いと判断した。
主君として仰いだのは結城秀康であり、徳川家や徳川秀忠はあくまでも主君が臣下の礼をとっていた家や人物に過ぎない。左馬助は徳川家にも徳川秀忠にも何ら恩義は感じておらず結城家を守る為ならば、徳川家が危機に晒されても構わないと割り切っていた。
左馬助は徳川家の秘事に関する事には触れない事、より正確に言えば徳川家一門とは別格の存在であった結城秀康の特殊性を維持する事が結城家を守る事に繋がると考え、吉田好寛にその考えを説明した。
『修理殿。亡き殿の一件に関してはあまりにも謎が多すぎる。何が真実で、何が偽りか判断出来ぬ状況で迂闊に幕府の秘事に関わる事は当家の存続に繋がる大事になりかねぬ。我等は秀康様の御家を守る事だけを考え、行動すればよいかと存ずる。殿が身罷った事に大御所様が関与していた事は中務大輔様からのご説明で明らかになった。大きな声では申せぬが、下手をすれば徳川家と結城家は不倶戴天の関係になるかもしれぬ。ゆえに、出来る限り徳川家から距離を取るべきだと某は考える。亡き殿は生前に松平姓を名乗る許可を幕府から得たが、身罷るまで結城姓を名乗られた。それをもって殿は徳川家は縁が切れているとお考えになられていたとも思える。ならば我等は結城家の家臣として御家の存続のみを考えれば良い』
左馬助の言葉に関根織部と吉田好寛は無言で頷き、あくまでも越前結城家だけを守ることに専念するという考えに同意した。
越前結城家を守る為に必要となるならば徳川家と一時的に協力してもよいが、あくまでも結城家の存続を最優先とする。徳川家が結城家の存続を認めないのであれば、本多忠勝から聞いた話を世に撒いて混乱を起こしてでも結城家を守る。土屋左馬助はその覚悟を以て行動することが結城家安泰の道だと言外に述べ、左馬助の意図を両名は正確に理解した。
結城秀康が自分達に目を掛け、恩威を以て接していたことを身を以て実感している三名は徳川家との対決も辞さないとの覚悟を本多忠勝に見せる事で結城家の存続を図る事を決断した。
主家の滅亡、あるいは主君の横死によって窮地に陥っていた己を救ってくれたのは亡き結城秀康であるとの強い思いを三名とも抱いている。身罷った主君の恩義に報いる為には、たとえ如何なる存在であろうと結城家の存続に障りがあるならば、あらゆる手段を以て排除してでも結城家を守り抜かねばならない。
徳川家から見ればその考え自体が謀反と同義になるが、三名とも徳川家に対する忠義は微塵も持っていない。己の主君は身罷った結城秀康であり、忠を以て仕えるのは結城家だけだと思って動けばよいと思い始めていた。
かつて筆頭重臣として結城家の家中を差配し、結城秀康の為に策を巡らせた亡き本多冨正が抱いていた思いは三名に受け継がれた。
そして冨正が自害した事で本多忠勝と対峙する事になった土屋左馬助は今後どのように結城家が動くべきかを思案した。
(秀康様と伊豆守殿が不在の状況では兵を挙げる事など不可能だ。だが中務大輔様はあきらかに当家が徳川家に敵対する事を恐れておる。当家単独で徳川家と戦えば敗北は必死だが、駿府での一件がある以上は上様は迂闊には兵を動かせぬはず。また、伊豆守殿が自害なされた事に使者の御両所はあきらかに狼狽していた。恐らくは何らかの手を伊豆守殿は打たれたのであろう。それが何かは分からぬが、我等にとっては都合が良い。まずは家督相続と亡き殿の葬儀を速やかに行い、その後に伊豆守殿が打たれた手が如何なるものかを見極めた上で、徳川家へどう対応するかを決めるしかあるまい。中務大輔様には申し訳無いが、徳川家が窮地に陥ると知っても、我等は亡き殿の御家だけを守る事に専念する)
本多冨正の自害によってもたらされた混乱を利用し、結城家が行うべき事を素早く実行して相手の出方を伺う。結城家の存続が掛かった勝負が既に始まっている事を知った土屋左馬助は本多冨正の死を最大限に利用して生き残りを掛けた勝負に挑む事を決意し、翌日からどのように家中の重臣達を説得し、事を進めるかを関根織部と吉田好寛と相談し始めた。
結城秀康、本多冨正の両名が亡き後の結城家を支える事が出来るのは自分達しか居ないとの思いを胸に、結城家を守るべく何から為すべきか、最善の選択は何かを三名は深夜まで語り続けた。




