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残された禍根  作者: 長谷川龍二
第七章 虚実
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窮地

慶長十二年 六月六日 越前国



 本多冨正は主君が徳川家康に謀殺されたと口にした。越前に赴く前にその可能性もあり得ると考えていた正信と忠勝の両者も亡き秀康の名代として富正が外様の諸侯の許に挨拶に伺い、秀康が家康に謀殺された故、身辺には注意を払って頂くほうが良いと進言するという言葉を聞き、事態が最悪の方向への進み始めているとに気が付いた。


 冨正の行動が波乱の火種となる事を恐れた正信と忠勝は冨正の行動を止めるべく声をかけようとしたが、冨正は家康の猜疑心の強さを知りながら両名を含めた徳川家の者が何ら手を打たず、結果として己の主君を謀殺された報いを受けさせる決意を固めていた。正信と忠勝は冨正が冷笑を浮かべて対応している事から説得は絶望的とすら思えた。



 やがて本多正信は切羽詰まった口調で冨正に話しかけた。


『伊豆守殿。貴殿の申された通り大御所様が亡き中納言様に謀略を仕掛けた事は疑いないが、大御所様が外様の諸侯に謀略を仕掛けた証拠も無い。貴殿の申された事はいたずらに世に波乱の種を振りまくことにつながりかねぬ。今、貴殿が申された事は中納言様の御意志ではなく、あくまでも貴殿が中納言様の思いを忖度したものであろう。早まった真似はどうか謹んで頂きたい』



 正信の発言を聞いた冨正は表情を変えずに正信に反論した。


『佐渡守様。大御所様が亡き殿に謀略を仕掛けた証拠すらも有りませぬ。我等は知り得る限りの事柄から大御所様が亡き殿に謀略を仕掛けたと判断致しました。ならば、某は亡き殿ならば生前に交誼のあった諸侯の身を案じて、忠告を為すのが当然だと愚考致します。秀康様はそのような周りに対して気配りをおろそかになさるような御方では御座いませんでした。それとも亡き殿がそのような事はせぬとの証拠がお有りでしょうか』



 冨正の反論に対して正信と忠勝は返答できなかった。


 徳川家康が結城秀康の謀殺を試みた事を否定する事は出来ない。両名が越前に赴くまでに考えた駿府城で起きた徳川家康刺殺の件の裏には結城秀康に仕掛けた謀略が存在していたと両名も感じている。そして主君を謀殺された冨正は堪えがたい怒りを抱いて徳川家への復讐を誓い、主君の無念をはらすべく行動を起こしている。結城家の家臣としての冨正の行動を徳川家の家臣である正信も忠勝も制止する事は出来ない。


 忠勝はもはや冨正を討つ決意を固め、行動を起こそうと考えていた。


(恐れていたことが起きたか……。中納言様の一件で伊豆守が怒りを感じて徳川家に戦いを挑んでいるのは間違いない。儂が伊豆守の立場なら同じことを考えたかもしれぬ。その忠義は見事だが、伊豆守が口にした事を起こせば徳川家の将来も天下の安泰も崩壊するのは間違いない。全ては大御所様の度が過ぎた猜疑心が起こした事とはいえ、黙って事が起こるのを見ているわけにはゆかぬ。もはやこれまでか……)



 だが、忠勝が行動を起こす事は無かった。冨正の口にした言葉が忠勝の行動を抑えたのである。


『佐渡守様が申された通り、某が口にした事を為せば多くの諸侯は徳川家に叛旗を翻すやもしれませぬ。なれど主君を謀殺されて黙っておるようなものは結城家の家中にはおりませぬ。もしもご両所が某が口にした事を起こしてはならぬと申されるのであれば、罪を犯した者に相応の罰を与えて頂きたいと存じます。さすれば、家中の者をどうにか抑える事も出来、某も秀康様のご無念をはらす事が出来まする』



 冨正の言葉に正信が即座に応えた。


『伊豆守殿。我等の事ならば覚悟はできておる。この場で腹を切れと申すならば、すぐにでもそうする所存に御座る』



 正信と忠勝が切腹する事で冨正の行動を制止できるならば正信は腹を切るつもりだった。冨正の行動を説得して制止する事は絶望的だと考えた正信は徳川家の安泰を守る為に、切腹して冨正と結城秀康の怒りを宥める覚悟を決めていた。だが、冨正が口にした内容が両名が思ってもみない事であった。


『佐渡守様。亡き殿を謀殺せんと試みたのはご両所でも上様でも御座いませぬ。全ては大御所様が為された事。ならば罰を与えられるべき御方は一人しか考えられませぬ』



 忠勝は冨正の意図を図りかねた。徳川家康は結城秀康によって既に討たれており、罰を与えようがないと考えたからである。そして正信が冨正に真意を確認した。


『伊豆守殿。我らに何をせよと申されるのか。罪のある者とは大御所様の事であろう。だが既に中納言様の手で大御所様は討たれた。罰を与えようがない。貴殿が何か考えをお持ちなのでであれば、ぜひとも考えを伺いたい』



 正信の問いに冨正は応えた。


『大御所様が為さろうとした事を公けにする事は出来ぬかと存じます、なれど事を闇に葬る事は秀康様をないがしろにすることも同然に御座います。ゆえに大御所様に罰を与えて頂きたいと存じます。大御所様の死を公表した後に葬儀を行わない事、上様の名で大御所の称号を剥奪する事、そして越前結城家に将軍家から正式な謝罪を行って頂く事。これらを為して頂けるのであれば、秀康様の一件を我等と上様の胸にのみ秘めても構いませぬ』



 冨正の要求を聞いた正信と忠勝は苦渋の表情を浮かべ、どのように返答すべきか迷った。


 事を闇に葬る事は可能だと冨正は述べたが、冨正の要求は徳川家康の名誉を地に落とす事になる。それは両名では返答する事が出来ず、現将軍徳川秀忠の判断を仰がねばならない。


 苦渋の表情を浮かべながら思案していた正信は念を押すように冨正に問いかけた。


『伊豆守殿。今申された事を上様が容認されるのであれば、事は闇に葬られる。そう考えても宜しいか』



 正信からの問いに冨正は即答した。


『某が申した事が実現されるのであれば、そうなります。もしもお疑いならば事が済んだあかつきには某は切腹しても構いませぬ』



 正信はそれを聞いて、暫しの猶予を頂きたいと口にした。


『伊豆守殿。只今申された事は我等では判断できぬ。恐れながら江戸の上様に判断を仰がねばならぬ。貴殿の申された事を上様にお伝えし、判断を仰ぐゆえに今しばらく我等に時間を頂きたい』



 正信が江戸へ急使を送り、徳川秀忠の判断を仰ぐと理解した冨正は正信の申し出を承諾した。


『承知致しました。確かに某が申し上げた事は江戸の上様しか判断できぬと愚考致します故、返答をお待ちいたします。なれど家中を抑えるにも限度が御座いますので早急にご返答を賜りたいと存じます』



 冨正は後少しだけ待つと返答をした後に両名の許を辞して、屋敷へと戻った。


 そして、正信と忠勝はとてつもない重たい判断を下さねばならぬ結果となった事を悔やみながらもどのように対応すべきかを話し合っていた。


 忠勝は険しい表情で正信に問いかけた。


『佐渡。お主は伊豆守の申した事を受け入れるつもりか。大御所様が為した事はたしかに認めがたいものだが、伊豆守の要求はそれでも酷に過ぎよう。あ奴の申し出を受け入れるなら大御所様の御立場が無い。天下統一という大業を果たされた大御所様に対して余りにも非礼であろう』



 正信は忠勝の意見に対して反論した。


『忠勝殿の申された事は承知の上。だが、すべては大御所様が罪の無い中納言様を闇討ちしようとしたことが原因に御座る。御実子たる中納言様を何ら咎が無いにも関わらず暗殺しようと試みていた事が公けになれば、徳川家の天下が崩壊するのは必定。いかに天下人とはいえ罪無き者を謀殺する事など許されるはずがない。伊豆守が申した事は恫喝ではない。もしも我等が、いや徳川家が申し出を拒めば越前の御家は叛旗を翻す。某と忠勝殿の死後に徳川家の為に命懸けで戦う者が死に絶えるのを待ってあ奴は事を起こすつもりであろう。申し出を我等の判断で拒む事は出来ぬ。天下の安寧がかかっている以上、上様のご判断を仰ぐべきかと存ずる』



 本多冨正の申し出を受け入れるか否かで正信と忠勝の意見は割れた。正信は徳川家と天下の安寧を守る為に申し出を受け入れるべきだと考えており、忠勝は家康の名誉をないがしろにするものだとして反対した。


 結局、正信も忠勝も一歩も譲らない為、江戸の徳川秀忠に事を知らせる急使を送り判断を仰ぐ事にしたが、両名の間には修復の出来ない亀裂が生じた。


 そして、暫しの時間を稼ぐという富正の目的は達成された。また冷静さを失っていた両名が徳川家を滅亡へと追い込むという冨正が抱き、布石を打った真の策に気が付く事はなかった。



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