特別話 リクとアリア
【ネタバレ注意】
まだ本編に出てきていない人物が出てきます
神界の最高管理一課、その奥にある最高神アリアの個人執務室。
そこは、世界創造と魂の転生を司る最高女神の部屋とは思えないほど、すさまじい惨状になっていた。
「う、うわぁ……」
頼まれた書類を届けにきた俺――並木リクは、ドアを開けたその瞬間、完全にフリーズした。
床には描き散らかされたスケッチブックや絵の具、高級そうなウイスキーの空き瓶、そして高級チョコレートの包み紙が文字通り山をなしている。
「あっ、リク! 良いところにきたねぇ! ちょっと手伝っておくれよー!」
部屋の主である女神アリアは、神界の最高級シルクで作られたギリシャ風のドレスを大胆にパタパタさせながら、床に寝そべってお絵描きをしていた。
プラチナブロンドの美しい髪には絵の具がちょこんとついており、吸い込まれそうな青い瞳は、どこか楽しげに輝いている。
絶世の美女なのに、中身は完全に自由奔放なクリエイターだ。
「アリア様……お絵描きに熱中するのもウイスキー飲むのもいいですけど、この部屋、さすがに散らかりすぎじゃないですか? ミュカさんに怒られますよ……」
「だ、だって掃除は専門外なんだよ!? 世界を一つ創るより、この六畳間を綺麗にする方がよっぽど難易度高いのさ! それより見てよこれ!」
アリアはボロが出るのを誤魔化すように、得意げにスケッチブックをこちらに向けてドヤ顔を浮かべた。
「じゃーん! 次に対象の魂を転生させる、新しいファンタジー世界の生態系デザインさ! クリエイティブ系の最高神としての、私の本気のプロデュースだよ!」
差し出されたページを見て、俺は思わず声を上げた。
「めちゃくちゃ上手いですね……」
そこには、緻密なタッチで描かれた神々しいドラゴンのイラストがあった。
陰影の付け方から翼の躍動感まで、プロの画家も裸足で逃げ出すほどの芸術作品だった。
***
そして、ゴミ屋敷状態から、俺が半日かけてなんとか床のスケッチブックや絵の具を片付け、ようやく人が座れるスペースを確保した日の夜のことだ。
「ぷはぁー! やっぱり、世界を一つデザインした後の『これ』は最高に五臓六腑に染み渡るね!」
アリアは、すっかり綺麗になった絨毯の上に直にペタンと座り込み、小さなグラスを嬉しそうに掲げていた。
プラチナブロンドの髪を少し乱しながら、彼女が愛おしそうに眺めているのは、琥珀色に輝く高級な『ウィスキー』のボトルだ。
神界の最高級シルクドレスの胸元を少しはだけさせ、完全にオフモードの晩酌を楽しんでいる。
「アリア様、最高女神が直座りで宅飲みって、ちょっとイメージが崩れるんですけど」
俺が呆れながら、おつまみ用に頼まれていた『高級チョコレート』の箱を開けて差し出すと、アリアは吸い込まれそうな青い瞳を爛々と輝かせた。
「何を言うんだいリク、お絵描きで脳の糖分を限界まで消費した後は、この甘いチョコと濃厚なウイスキーの組み合わせが神界一の贅沢なんだよ! ほら、リクも一杯どうだい?」
「俺はまだ保留中の身なので遠慮しておきます。それに未成年なので。……というか、さっきまで熱心に描いてた新しい世界のデザインは終わったんですか?」
俺が尋ねると、アリア様はチョコを一口でぱくりと食べ、幸せそうに頬を緩ませながら未完成のスケッチブックを開いて見せた。
「ふふん、聞いておくれよ! 次は、お菓子でできたメルヘンなファンタジー世界を創ろうと思っているのさ。山はケーキで、川はミルクティー。どうだい、最高にロマンチックだろう?」
「甘すぎて胃もたれしそうな世界ですね……」
そこに描かれていたのは、相変わらずプロ顔負けの超ハイクオリティなイラストだった。
お菓子の城の立体感や、お砂糖の雲の質感が、鉛筆一本とは思えないほどリアルに表現されている。
「でも、相変わらず絵はめちゃくちゃ上手いですね。あ、でもアリア様。この川のほとりにある町なんですけど、なんか不自然な《《赤い沼》》がデザインされてませんか?」
「これかい? これはね、甘いお菓子に飽きた旅人のための清涼剤さ! 辛い《《デスソース》》が湧き出るハバネロ間欠泉の沼だよ!」
ドヤ顔でとんでもない悪魔のトラップを語る最高女神。
「アリア様……辛いもの嫌いですよね?」
「大嫌いさ! 匂いを嗅ぐだけで涙が出るほど苦手だよ」
「じゃあなんで自分の創る世界にそんなもの配置するんですか?」
「いやぁ、クリエイターの性というか……ついつい刺激的なスパイスが欲しくなっちゃって。」
アリアはウイスキーのグラスを片手に、照れ隠しのように身振りを交えて熱弁をふるう。
その拍子に、彼女がドレスの膝の上に置いていた大嫌いなデジタル端末の画面に、細い指先が触れてしまった。
シュッ、と小気味よい音を立てて画面がスワイプされ、そこに表示された『警告・最終確定』と書かれた、禍々しく真っ赤なデジタルボタンをこれ以上ないほど綺麗に押し込んでしまう。
ピッ、と間の抜けた電子音が、静かな執務室に響いた。
「……ん?」
アリア様の動きがピタリと止まる。吸い込まれそうな青い瞳が、みるみるうちに恐怖で丸くなっていった。
「……あ、あわわ、あわわわわ! リク! 大変なことになったのさ! その間欠泉の噴出システムのプログラミングを神界の端末で入力してたら、ただでさえよく分からなくてバグっちゃってたのに! 今のスワイプで設定がロックされて承認されちゃったんだ!」
「えっ?」
「今、その世界では、三分に一回のペースで街中にデスソースが豪雨として降り注ぐ設定になってしまった……!!」
「世界の終わりじゃないですか?!」
最高女神の手によって、新しい世界に『三分に一回、空から激辛ソースの雨が降る』という、人類絶滅確定のデスゲームのような環境バグが正式に実装された瞬間だった。
「早くキャンセルしてくださいアリア様!!」
「デジタル系なんて大嫌いさー! 戻るボタンがどこにあるか分からないんだよー! リク、助けて、何とかしておくれよー!」
感情が表に出やすい彼女は、「あわわわ」と青い瞳を泳がせながら、慌てて大嫌いなデジタル系のタブレット画面を爪でガシガシと引っ掻き始めた。
アリア様が泣きつき、俺が必死にタブレットの『戻る』ボタンを探していた、まさにその時。
執務室の重厚なドアが、前触れもなくガチャリと開いた。
「アリア様、そろそろ最高管理一課の会議の時間ですよ――って思ったら……何をしてるんですか?」
部屋に入ってきたのは、冷徹な空気をまとった一人の人物だった。
最高管理一課の優秀な局員であり、いつもアリアのやらかしの後始末に奔走しているアリア専属の――ミュカだ。
彼女は髪を振り乱して泣き叫ぶ最高女神と、タブレットを抱えて冷や汗を流す俺の姿を、ジト目で交互に見つめた。
「ミュ、ミュー! 良いところにきたのさ! 大変なんだよ、デジタル系がバグって、お菓子の世界がデスソースの雨で水没しちゃうんだ!」
「またデジタル端末の設定ミスですか!? もう、何回目ですか!? アリア様!」
ミュカは深く、深いため息をつきながら、こちらへと歩み寄ってきた。
その足取りには、何度もこの手のトラブルを解決してきたであろう強者の風格がある。
「アリア様、その端末を貸してください。私がシステム管理画面から強制アクセスして、承認プログラムを書き換えますよ」
救世主の登場に、俺はホッとした。
――しかし、次の瞬間。
ピピッ!
『確定プログラムを実行中。残り十秒で新世界へ同期します。十、九、八……』
非情にも、液晶画面の中でカウントダウンが始まってしまった。
一度ロックされた承認は、システム側からの通常アクセスではもう間に合わない。
「カウントダウンが始まった…!?」
「システム経由では解除コードの入力が間に合わないので……仕方ないです!」
ミュカは美形な顔をすっと冷酷に歪めると、差し出されたタブレットを強引にひったくった。
そして――
「ふんっ!!」
バキィィィィィィン!!!
凄まじい破壊音が室内に轟いた。
ミュカは恐ろしいほどの《《力技》》で、神界の頑丈なタブレットを、なんと素手で真っ二つに叩き割ったのだ。
液晶は粉々に砕け散り、電子の火花がパチパチと頼りなく弾けて、画面の明かりが完全に消滅する。
「……ぷす、ぷすん……」
完全に沈黙する端末の残骸。
「神界サーバーとの物理的接続を破壊しました。これで設定の転送は強制停止できたと思います! ……お菓子の世界は救われましたよ、アリア様!」
ミュカは真っ二つになったタブレットを床にポイと捨て、何事もなかったかのように手の埃を払い、微笑んだ。
「「……物理的すぎません/ないか……!?」」
俺とアリア様の声が、完璧にハモった。
プログラミングのバグを力業で止めるなんて、さすがは神界の局員、やることが豪快すぎる。
「お菓子の世界が救われたのは良かったですけど、ミュカさん……それ、業務用(会社支給)の端末ですよね? 壊しちゃって始末書とか大丈夫なんですか?」
俺がおずおずと尋ねると、ミュカはすっと視線を泳がせた。
「えっと……すべてアリア様のやらかしによる、不可抗力の物損事故として処理しますので……始末書はアリア様に十枚書いていただきます!」
「ええええーーっ!? 私のせいになるのかい!?」
プラチナブロンドの髪を振り乱して不満を爆発させるアリア様と、それを冷たい視線でいなすミュカ。
神界の便利屋も大変だけど、この最高女神の執務室の裏方サポートも、やっぱり色んな意味で命(と端末)がいくつあっても足りないなと、俺は床に転がるタブレットの残骸を見つめながら遠い目をするのだった。
――俺の仕事がまた増えてしまった……




