働くことになりました
神界――そこは現世で天寿を全うした者や、特別な徳を積んだ魂が行き着く、文字通りの理想郷。
広大な敷地には、白亜の神殿から東洋風の社で、あらゆる世界の神々が住まうエリアが点在している。
当然、そこに住まう神々の性質も十人十色。
慈愛に満ちた神もいれば、気まぐれで破天荒な神もいる。
「――次、73番のお客様どうぞ」
真っ白な大理石の神殿に、ピンポーンという間の抜けたチャイムと、機械的なアナウンスが響き渡る。
トラックに撥ねられて人生を終えた俺──並木リクの手には、くしゃくしゃになった『73番』の整理券が握られていた。
周りには誰もいない。きっと俺が本日最後の転生者なのだろう。
目の前にあるのは、銀行の窓口そっくりの受付カウンター。
――異世界転生の手続きって、こんな区役所みたいなシステムなのか…?
唖然としながらカウンターへ進むと、受付の女の子は、おっとりとした優しい笑みを浮かべて俺を迎えてくれた。
真っ白な空間に、厳かな声が響く。
「ようこそ神界第一管理区へ、並木リク様。並木リク様は生前、老舗酒蔵の杜氏の息子で高校生と伺っております。」
彼女の口から飛び出したのは、あまりに世俗的な個人情報だった。
「あ、そうなんです。……親からは『跡を継げ』って、口酸っぱく言われてたんですけどね。ははは……」
リクは気まずそうに頬を掻いた。
まさか死んでからまで、実家の家業について言及されるとは思ってもみなかったのだ。
若くしてこの世を去った悲しみよりも、どこか締まらない実家への未練が苦笑いとなって漏れる。
「ではご希望のチート能力を」
受付の女の子が凛とした美しい声で言った。
だが、前世で人間関係に疲れ果てていた俺の答えは、最初から決まっていた。
「チート能力は――」
そのとき。
神殿のスピーカーから、突如として無機質な電子音が鳴り響いた。
『Error:只今をもちまして、本日の受付は終了いたしました。手続き中の方は速やかに転生ゲートへ移動……移動……エラー。システムがフリーズしました。ゲートを緊急閉鎖します』
あまりにも間の抜けた静寂が、真っ白な神殿を包み込む。
「あの……いま、システムがフリーズしたってアナウンスが……」
「申し訳ありません! すぐに上司を呼びます!」
女の子が慌てて内線電話を掴んだ、その瞬間。
カウンターの奥にある重厚な扉が勢いよく開き、金髪の麗しい女神が飛び出してきた。
「ミューッ! これはどういう事だね?!」
神殿に響き渡ったのは、威厳があるのにどこか間の抜けた、可愛らしい怒鳴り声。
勢いよく現れたまでは良かったのだが、女神はそのままの勢いで周囲を見回した。
「あれ……? ここにいると思ったのだけどなぁ。」
周囲をキョロキョロと見回している。
白いドレスをなびかせるその姿は、背景の何もない真っ白な空間も相まって、幻想的に見えた。
――白いドレス。ほんの少し大胆な露出。そして、背後に薄らと差す後光。条件が揃いすぎている。……ということは、まさか。
「女神……?」
唖然とした俺が思わず声を漏らすと、彼女はパッとこちらを振り返った。
その瞬間、彼女の長い髪がふわりと宙に舞う。
「むむ? 君は……転生者くんかな?」
息を呑むほど綺麗なその顔に眉間にシワを寄せて、じーっと俺の顔を覗き込んできた。
値踏みするような視線に、俺は思わず身体を強張らせる。
「は、はい。自転車で走ってたら、トラックに突っ込まれて……」
「なるほど……というか君は転生ゲートの方へ行かなくて良かったのかね? さっき、システムがフリーズしたというアナウンスが聞こえたのだけれども……」
「あ、それなら本当にフリーズしちゃいましたので。ほら」
俺が指差した先には、完全に暗転して『緊急閉鎖中』と赤文字で大きく表示された、受付カウンター横の巨大なハイテクゲート。
「ええっ!? 本当にゲートが閉じちゃったのかね!?」
それを見た女神様は、おっとりした雰囲気を一瞬でかなぐり捨てて頭を抱えた。
「うーん……あれ治すのに大分時間かかるからなぁ……」
受付の女の子も、困ったように眉を下げてため息をつく。
「困りましたね……あちらの管理区のサーバーが混み合うと、ゲートが数ヶ月ほどフリーズしちゃうんです。リク様、せっかく来ていただいたのに本当に申し訳ありません……」
申し訳なさそうに眉を下げて、ぺこりと頭を下げる受付の女の子。
その丁寧な対応に、俺の心は驚くほど穏やかだった。
「いえいえ。俺はチートも断っちゃいましたし、急ぐ旅でもないので全然大丈夫ですよ」
俺がのんびりそう答えると、アリア様はパッと顔を輝かせた。
――うおっ……ものすごい美少女スマイル……!
一瞬、神殿の中の明るさが一段階上がったんじゃないかと思うほどの眩しさだった。
「そうなのかい!? 異世界を急いで救う必要もないのなら……1つ相談なんだが、君……ゲートが直るまでの間、ここで私たちと一緒にのんびり過ごしていかないかい?」
「え? ここに居座っちゃっていいんですか?」
「ええ、もちろんですよ!」
と受付の女の子も嬉しそうに微笑む。
「ちょうどおやつの時間だし、天界特製の美味しいケーキがたくさんあるからね。リク様のために、最高に居心地がいいふかふかのソファをご用意するよ!」
気づけば、アリア様がパチンと指を鳴らし、テーブルの上に色鮮やかなお菓子や紅茶を次々と魔法で召喚していた。
見渡す限りのホワイトな空間、有能で優しい神様たち、そして美味しそうなおやつ。
至れり尽くせりな楽園のようで、前世で激務に追われていた俺にとっては夢のような待遇だ。
――だけど、ただ単にご飯を食べてソファでゴロゴロしているだけなのも、なんだか落ち着かない。
「あの、ただ居座るのも申し訳ないですし……ゲートが直るまでの間、アリア様たちの簡単なお手伝いでもさせてもらえませんか? 雑用でもなんでもやりますよ」
俺がそう提案すると、アリア様と受付の女の子は、お互いに顔を見合わせてパッと表情を輝かせた。
ただタダ飯を食うのが気まずくて口にした、半ば思いつきのような提案だったから、少し気恥ずかしくなって後頭部をかく。
「おや、手伝いをしてくれるのかね!? 私たち、男手が欲しかったのだよ!」
「嬉しいです! リク様がいてくれたら、受付がもっと賑やかで楽しくなります!」
アリア様の嬉しそうな弾んだ声と、受付の女の子のパチパチという拍手に、胸の奥がじんわりと温かくなる。
この優しい神様の役に立てるなら、ただ待っているだけの時間も悪くない。
こうして俺の異世界転生は、こうして保留に。




