Episode 3 外出する幽霊(その9)
「プードル氏が扉の閉じる音を聞いた、というのが引っかかっていたんだ」
ラッセルが連行されてから、レトはメルルに説明をはじめた。
「殺人現場から抜け出すのに、わざわざ音を立てる危険を冒す必要はない。だが、音を聞きつけたプードル氏が廊下をのぞいたとき、そこに誰の姿もなく、ノートン氏の部屋の扉が少し開いているだけだった。どこか幽霊のしわざを思わせるできごとだけど、時計の問題が解決されて、ノートン氏の幽霊が現れたわけでないことはわかっている。その事象に犯人が意図しているとも考えられない。つまり、あの音は何らかのできごとで起きたと考えられた」
「そのできごとって……?」
「僕がノートン氏の部屋で窓を開けたとき、扉が開いただろう?」
「ええ。涼しい風が通って」
「あの扉は閉まりが緩く、気圧の変化だけで開閉してしまうものだったんだ。つまり、窓を開けたときは外から風が入って……、つまり、外気圧で扉が押し開かれ、窓が閉められると、今度は寮内の内気圧によって扉が押し戻された」
「扉が勝手に開け閉めして『バタンッ!』って鳴ったんですね?」
「そう。このことから、何者かが窓から出入りしたのだと推察される。では、何者が何の目的で窓から出入りしていたのだろう?」
「ノートンさんの部屋で盗みをするため、ですね?」
「ノートン氏は以前から自室で物がなくなることをこぼしていた。しかし、部屋が乱雑なので、それが原因だとあまり深く追及する様子がなかった。もちろん、なくなったものすべてが盗まれたと言うつもりはないが、それでも実際に盗まれていたのだろう。そして、一向に防犯対策も取られないことで、犯人も犯行を続けていた。
事件があったとき、ノートン氏はおめかしして外出した。あの寮では物音が響きやすいから、隣人であればノートン氏が外出するのは気づきやすかっただろう。ノートン氏の隣人……。つまり、ドン・ホールド氏とラッセル・チムニーのふたり。チムニーはノートン氏の外出を知ると、窓からノートン氏の部屋へ侵入した。これまで、こうしてチムニーはノートン氏の部屋で盗みを働いていたんだ。
ノートン氏は出かけたばかりだから家探しする時間はあるとチムニーは考えただろう。家探しを始めたチムニーはすぐに指輪の存在に気づいた。机の上には宝飾店からの領収書が残っていて、僕は証拠品として回収している。ノートン氏がアイリーンさんのために指輪を買っていたんだ。
ノートン氏がすぐ戻るはずがないとたかをくくっていたチムニーは指輪を自分の小指にはめてみた。指輪を盗むつもりがあったのかはわからない。さすがに、指輪がなくなれば騒ぎになるだろうから。
そこへ、ノートン氏が部屋に現れた。出かけるとすぐに、大事な指輪を持っていなかったことに気づいたんだ」
メルルは今日出かけるときの自分を思い出していた。ふだん忘れるはずのない帽子をかぶり忘れて出かけてしまっていた。しかし、すぐに気づき、事務所に引き返したのだ。ひとには、つい忘れものをしてしまうことがある。そして、そのことにすぐ気づくことも。
また、メルルもノートンの状況に違和感を抱いていたが、その理由もわかった。ノートンはおそらくプロポーズするはずのデートで指輪を持っていなかった。小銭の入ったポーチにさえ見つからなかった。その理由は、ノートンの性質がわかれば容易に想像できるものだった。
「ノートン氏はすぐ部屋へ戻り、そこで指輪をはめていたチムニーを発見してしまった。公務員の不祥事は厳しく罰せられる。ここの管理人でしかない老人でさえ、些細な不手際の発覚を恐れていた。チムニーも同じ思いだったのだろう。不祥事の発覚を恐れたチムニーはノートン氏に襲いかかり、首を絞めて殺してしまった。
チムニーは、犯行現場からすぐ離れた。窓から抜け出し、すぐ隣の自室に戻った。廊下に出なかったのは、もちろん、目撃されることを恐れてのことだ。しかし、自分が窓から出入りしたことで扉が開閉して物音を立てたことなど知る由もなかった。
自室に戻ったチムニーの指には指輪がはめられたままだった。女性の細い指にはめるものを小指とはいえ、サイズの合わないものをはめたものだから抜けなくなっていたんだ。事件が発覚し、騒ぎになってしまうと、落ち着いて指輪を外す機会もなくなってしまった。そこで、急場しのぎに包帯を巻いて指輪を隠すことにした。状況が落ち着いてから外そうと考えたのだろう」
「わかってしまえば、わりとありきたりの事件だったように思えます」
メルルはそんな感想を漏らしてしまった。恐慌状態に陥った者による突発的な殺人。そう、ありきたりの事件だ。しかし、ノートンはあのとき、どこまで事情を把握できただろう。指輪をはめていたラッセルを見ただけで、すべてを理解できたかどうか。自分がなぜ攻撃され、殺されることになるのか。ノートンはわけもわからないまま命を落としたのではないか。そう思えば、このありきたりの事件も悲しいと感じられた。
「ところで……。レトさんは指輪の件で犯人がわかったんですか? あの包帯は本当にケガを直していた可能性もあったじゃないですか」
「たしかに、事件の証拠を隠すため、何らかの偽装をする可能性は考えていた。万が一、寮内が捜索されることになって、自室から女ものの指輪を見つけられでもしたら『詰み』だからね。自室以外のところに隠す可能性は高いと思っていた。ただ、それだけでチムニーを疑ったわけじゃない。もっと単純な理由だ」
「単純な理由?」
「チムニーに呼ばれた医者はコジャック先生に何て言っていたか覚えているかい? 『首を絞められて倒れている者がいる』と聞いて駆けつけたんだよ。プードル氏やホールド氏の証言から、チムニーはノートン氏の部屋に入らず、そのまま医者を呼びに寮から出て行ったことがわかっている。つまり、遺体の状況などまるで確認していないんだ。それなのに、チムニーは正確に伝えていたんだよ。ノートン氏が首を絞められていたってことを」
「……犯人しかわかりえない情報ってことですね……」
これもわかってしまえば簡単なことだった。メルルはため息をついた。
「そこまでわかれば、こちらのすることは『詰めろ』だよ。ただ、具体的な証拠もなしに、小指の包帯を取り除かせるわけにいかなかった。相手は公務員でもあるしね」
「そこで、私の新魔法で追い詰めさせたのですね?」
メルルは呆れた表情を隠さなかった。「ほんと、レトさんは食えないんですから」
メルルの『金属類に熱を込める』新魔法。それによりラッセルがはめた指輪は我慢できないぐらいに熱くなったのだ。ほかにも包帯を取らせる方法はあったと思うが、相手に苦痛を与えて、包帯を外さざるをえない状況にするとは、メルルもさすがに意地が悪いと思った。
「せっかく君が身につけた魔法だ。捜査に活かしたいじゃないか」
レトはけろりとしたものだ。
メルルは苦笑いしながらも心が晴れない自分に気づいていた。今回の事件に幽霊は現れなかった。ノートンは命を落としたあと、アイリーンのもとへ幽霊となって駆けつけることもなかったのだ。『ありきたり』と表現できるこの事件で、心残りになるのがそれだ。
ニックが目撃したノートンは、レトが明らかにしたものではなく、本当に幽霊となってアイリーンのもとへ向かっていた……。愛するひとのもとへ……。
真相がそうであってくれればと、メルルは心から思ったのだった。




